一服、一休み、中断時間。たまには記事無しの一日で・・・
[ 写真: ナシです。何しろ行動範囲が六十メートル角の中なのです。目新しい写真無しです。 ]
Wednesday, December 27, 2006
Tuesday, December 26, 2006
[廈門・202日] 池の鯉

では私はというと、リタイアードの専門家として受け入れているとのこと。リタイアードといわれると建築家にはリタイアードはない、と自負しているので、はっきりと言われると小憎らしくなる。ボスは我々新入りの幹部との会食の席でこう話していた。「私は君と違ってストレスの度合いが違う。君の仕事はいつまでも続けられるが、私の仕事には限度がある。退職までそんなに時間がない」。つまり新入りの幹部の中から次世代をになう人材を捜し始めていると感じた。
その仲間から選ばれた一人、新しい総経理の彼が今日我が家に一宿を求めてきた。やってきたのが十時近く、それまで仕事場で組織改革の案を練っていたとのこと。現在の案を語りながら私のしたいことは何なのか、そのための提案を提出して欲しいと話した。リタイアードと語っておきながら、一方では意欲的な改革に荷担してくれと。はっきり言って疲れる話だ。それでもこの気持ちのいい廈門に慣れ親しんだ今、ここでの仕事も受け入れなければいけないのかもしれない。
[ 写真: 新しい総経理の話が長引き、投稿が翌日になってしまった。写真は池の鯉。この写真を撮っている傍らで、本社から現場へと追いやられるらしい総経理が煙草をくゆらせていた。 ]
Monday, December 25, 2006
[廈門・201日] 海外の常識・私の非常識

私の非常識。当たり前のことですが、ビザを求められる国に滞在すると、ビザの期限というものが記されます。ビザの種類にはいろいろあって、観光だ商用だ留学だ、かつ何日間滞在可能だ、などなど。これを無視すると不法滞在、ときには強制退去させられたりする。しかし面白いもので、日本で不法滞在五年を切り抜けると滞在許可が下りるらしい。人伝えに聞いた話であります。
ともかく私は非常識な日数を不法滞在してしまいました。不注意からであります。対応にでた公安の方は呆れかえっておりました。出国の際の係員も、私のパスポートを見て、上司に確認し、上司は「金は払ったか?」、「いくら払った?」と聞いてきましたです。
しかし会社も会社なのであります。当然のように外国人の管理を怠らない必要があるはずです。パスポートのコピーを渡しただけでは何も動いてくれないのです。台湾人はここ中国では同胞であり、いろいろな面で優遇されておるのです。滞在手続きも簡単らしいのです。前回の不法滞在に懲りた私、再入国と同時に事務方にしつっこく対応をお願いした。結果、無事一年間出入り自由と相成ったのであります。
[ 写真: ふっふっふっ、一年間出入り自由なビザであります。 ]
Sunday, December 24, 2006
[廈門・200日] 鍋と教会

この店、運転手が選んだのですが、バスを降りて店構えを見た拍子に、見覚えがある。そう、つい先日、中国語の授業の日、会社から戻る車が無く、さんざん待たされた末に授業がキャンセルされたときのこと、弁解がわりにここで食事をおごったばかりでした。着いた席も先日の席に近い。ボーイ、さすがに我が秘書を覚えていました。「このあいだ来てあすこに座ったでしょう・・・」。運転手、秘書嬢に「あれ?来たことあるの?」。一寸バツが悪かったですね。
旨い鍋を口にした後、私と秘書嬢は教会に向かいました。彼女の面倒を見ているお姉さんが熱烈な信者で、我々が引っ張り出されたわけです。中国で教会、どこにも信者はいるもので、それもよく組織され、ボランティアの方々があれこれ面倒を見ている。舞台では聖歌隊が、これもまたよく訓練された歌声を披露しておりました。
人混みのなかをタクシーで戻り、湖畔のコーヒーショップあたりはいかがなものかと、一人散歩に出てみました。夜中の十時過ぎ、どの店も満席、毛唐の姿がいつもより多い。クリスマスは毛唐が持ち込んだものです。彼らが賑わいを演出しておりました。
しかしクリスマスイブに鍋と教会、なんだか泥臭い夜でしたね。この泥臭さをこちらでは「土」 [ tu3 田舎臭い ] というそうです。
[ 写真: 鍋と教会、不思議な取り合わせの聖夜でした。 ]
Saturday, December 23, 2006
[廈門・199日] 湯圓

あんこは花生 [ hua1sheng1 落花生 ] か芝麻 [ zhi1ma5 胡麻 ] が一般的らしい。あやかりたいものでしたが残念なことでした。
退勤、家に戻り、一人夜食をどうしようか、面倒くさいものだ、トーストにベーコンで誤魔化すか、なぞ考えておりましたところ、扉の外から声がします。「ジジ!ジジ!」。玄関には早く扉を開けろとうるさくわめく元秘書が、買い物袋を抱えて立っておりました。我が元秘書は実に気がつく、面倒見がいい、献身的なのであります。
元秘書、「今日実家のカーサンに電話したら、冬至には湯圓を食しなさいと言われたの。だからジジに食べさせようと買ってきたよ」。早速手料理と、食後に湯圓を手際よくつくってくれました。湯圓の中身は芝麻であります。冬至に湯圓、薄ら寒い廈門の冬を食しました。
厨房であれを洗えこれを用意しろと指図されるままにしていると、窓の外から奇っ怪な声が伝わってきました。暗い窓先を覗いてみると、すぐ上の階のバルコニーから、孫を抱えたバーさんが、下で湯圓を調理している様を孫に見せていたのであります。バーさんは湯圓を孫に与えたのでありましょうか。
[ 写真: 湯圓を口にしようとしている元秘書。湯が多すぎ、甘さが足りなかったのは残念。 ]
Friday, December 22, 2006
[廈門・198日] こちらでゼロを持ち歩くと・・・

このゼロ、存在自体が話題になってしまった。みな危険だ危険だと叫ぶ。現金がいっぱい詰まっていると思われる、やめろやめろ、とうるさい。このところ、黒一色のビジネスバッグが一般的。しかし私のゼロ・ハリーバートンはシルバー。よく目立つ。米国映画でよく使われているのを見ているから、現金搬送用だと思っている。これでアタッシュケースと私の左手首を手錠で繋げばそのものになってしまう。よく目立つことは悪いことでもあるのだ。
昨日は帰宅が遅れた。原因は移動用の車が極端に少ないこと。現在、専用の車がなく、いつも数人で利用している。一人が遅くなれば三人遅くなる。これに懲りて、今日はあらかじめ一般事務員の利用するマイクロバスに乗るつもりでいた。ところが運よく一人の秘書嬢の車に同乗できた。自家用車である。広大な敷地から大通りに出るところにゲートがあり、一般車は一時停車させられ、保安員が一台一台トランクを調べる。我々の車も規定通り一時停車し、トランクを覗かれ、さあ行くか、とそのとき、後部座席でゼロ・ハリーバートンを抱えていた私を見付けた保安員、ゼロを指さしなにやらわめいている。助手席の女性、「いつも抱えてるじゃないー」。で何とか抜け出した。車の中で二人の女性にみな私のせいだ、そんなアタッシュもう持ってくるなと、家に着くまで口汚く文句を言われ続けたのである。
[ 写真: ハリーバートンですか、イラクで社員が拉致されていたような気がしますね。何しろ米国随一の民間軍需産業会社です。それだけで狙撃される可能性大なのです。 ]
Thursday, December 21, 2006
[廈門・197日] 龍虎相対する

そんな最中にやってきたのがボス。ホテル一泊99元について話し始めると、それは一寸違うぜとこちらも熱く反論を始めた。竜虎相まみえたのである。しかしどう見ても代案を持たないボスの説得力は弱い。それでも元ボスは静かに上司の話を聞いている。ボスを見つめる目は悲しそうだった。私は用を見付けてその場を去っていった。
この企業グループ、その中でオンブにダッコが不動産開発部門。石油化学グループが生み出す大きな利益を使い切るための部門なだけに、最も給与が低い。そのことを秘書も運転手もみんなして私に話をしにくる。といわれても、私だってオンブにダッコ状態、何も利益を上げていない。いつクビになっても給与を減らされてもおかしくないのだ。契約とは言い難い一枚の紙には、署名無し、私の名前無し、つまりどう転んでも保証しますよととは言っていないのだ。
あー今日も殺伐とした話になってしまった。それに一人頑張っている総経理のおかげで、帰宅は遅れるは、中国語の授業は中止になるわでいいこと無しであった。
[ 写真: 竜虎二人の写真。結構いいタイミングで撮影できた。シャッター音の後、ボスはその場を少し後ずさりした。撮影されるのを嫌ったのかもしれない。 ]
Wednesday, December 20, 2006
[廈門・196日] そういえば元ボスは・・・

前にも話したように、上司のボスというのが建築の「外行」 [ wai4hang2 ・素人 ] 。その上物事が決められない、朝令暮改、間違いはたとえ自分が指示したものだったとしても部下の責任にしてしまう。部下はたまったものではない。今日も食事時、麗江の現場担当者をひたすら罵り続けている。ボスの去った後、「今日の食事は味がわからないでしょー」と声をかけた。彼は私に「ポストを替わって、ポストを替わって」と懇願してくる始末である。
私はボスにほとんど罵られたことはない。理由は簡単だ。「外行」には私のやっていることが理解できないからだ。文句のつけようがない。会議の席でも、私が打ち合わせを始めると、「じゃ旨くやってくれ」の一言で退席してしまう。ありがたくもあり寂しくもあり・・・。
元ボスの話に戻ると、彼、このボスとの確執がますます激しさを増しており、彼から実質的な権限を何とか取り上げようと策略を立てていた。そのため、最後の切り札を斬るまで私たちには何も話をしてくれないのである。先週末に開かれた董事会、元ボスは開始直前に席を立って姿を消したという。おそらく会の議事録を見て、密かに裏ボスと練って合意した会社の改革案が見事消えさっていたからに違いない、と私は見ている。元ボスは負けたのだ。
[ 写真: そんな殺伐とした内容はおいといて、昨日の廈門の空である。実に気分爽快でありました。今日は中国語教師が別の生徒を教えに行ったため、私の時間が空いた。おかげで投稿はいつもより早めなのです。 ]
Tuesday, December 19, 2006
[廈門・195日] 一陽来復

仕事場がばかでかい紡績工場の一角に移ってからというもの、買い物も食い物も他の人に会うのも車が必要。食事だけは食堂でとることができるからいいものの、周りを見渡しても顔ぶれは変わらず、煙草が切れても買い足しすることもできない。自ずと話題が限定されてしまう。
家に戻り、中国語教師が訪れるのを待ち、外部情報を交換し、現場ではああだったとか、ホテルの経営陣の給与が半減するのでほとんどが辞めていってしまうとか、代わりの総経理が新年にやってくるとか、ようやく新鮮な話題に出逢うことになる。
12月は私だけでなく、我々の仲間も苦悩の日々だったらしい。新しい人事と共に、同じ仲間の一人が本社の総経理に大抜擢された。この男、拍馬屁 [ pai1ma3pi4 ] 、いわゆるおべっか男、ごますり男、それも実に壮絶。口先の鋭いことこの上ない。欠点を指摘しそこを徹底してついてくる。同僚は彼の役に立たない攻撃に辟易とし、私にしきりに離職したいと漏らす。おかげで我々はバラバラに。私もそんな中に巻き込まれたくなく、可愛い中国語教師とささやかに日々を過ごすこととなってしまった。そんなわけで一陽来復を願うのである。
[ 写真: 早朝六時半の風景。まだ日は昇ってこない。後ひと月半待てば旧暦の正月がやってくる。春到来である。 ]
Monday, December 18, 2006
[廈門・194日] だらしのない猫

廈門のマンション、脇に馬祖廟と池がある。ここに野良猫が住み着いていて、真夜中なにやら泣き叫んでおり、ときにうるさくてしょうがない。それに愛想がない。近づいても一定の距離を保ち、決して人様に柔肌を触らせようとしない。一度誰か住民が餌を与えているところに出くわした。このときだけは彼か彼女か、なでなでしても餌場から離れようとしない。久しぶりに感じた柔肌である。しかし所詮都会猫、人様との付き合いの要領を心得ていて、千葉の片田舎の猫のように野性味にほど遠い。やはり私は田舎の猫が好きだ。
廈門はきっと中国の他の地と違って裕福な層が厚いのだろう、日曜日の昼下がり、湖畔で犬と散歩をしたり、戯れている姿をよく目にする。それに湖畔のコーヒーショップ脇の路上には、レンジローバーやらボルボやらベーエンベーの7シリーズやら、ここで購入すると目の飛び出るほど高価な車が横付けされていたりする。廈門は特別行政地区なのである。田舎の縁側でだらしなく眠ける猫には相応しくないのだ。一度このあたりの田舎に出かけてだらしのない猫に出逢いたいものである。
[ 写真: 千葉県勝間の片田舎、我が愛する雄猫のだらしない姿である。 ]
Sunday, December 17, 2006
[廈門・193日] パラソルに吊られたサンタ

今日日曜日、久しぶりに快晴、爽やか、家の外に出たくなったのであります。ただ風がいささか冷たい。小雨と曇天の肌寒さ、風邪をひいておりました。昼時、ぶり返さないよう厚着をし、湖畔を歩いてみます。一人イタメシ屋のデッキに。日射しが体を温めてくれます。いつものお嬢さん、「珈琲ですか?」、「エスプレッソ・ダブル」。これも久しぶりに喉を苦みが通る。
デッキ上には鉢植えのポインセチアが至る所に置かれていました。まもなくクリスマス、こちらでは聖誕日と呼んでおります。呼んでおっても周りの人たちはあまり気を入れている様子がありません。ここは中国、西洋のしきたりには馴染まない。ポインセチアが賑わう場所は外国人の宿泊先のホテル、西洋料理店、そして商機を狙うテレビの宣伝で見るくらいなのであります。ポインセチアの赤、目に鮮やか、こちらの国旗の色に近いと思うのですが、これがイタメシ屋のデッキによく合っておりました。
次の日曜日が聖誕日、さて一人で過ごす青き聖誕日になるのでありましょうか。それともかわいらしい我が秘書が一緒に過ごしてくれるのでしょうか。そうなると贈り物を考えなければなりません。これもいささか煩わしいことであります。
[ 写真: デッキを覆うパラソルに、ジングルベルとサンタが吊られておりました。 ]
Saturday, December 16, 2006
[廈門・192日] これでは多すぎる!

日々料理を用意してくれるのはありがたいことで、では賄い料を払おうかと口にするといらない素振り。理由は、「一にジジのため、二に料理が好きだから」。毎回「美味しい?」と聞くので「美味しい!」と答える。しかし二人とも塩がききすぎていることがわかっている。「だんだんと直していこうではないか」、「うん」。これも毎回の会話。不思議なテーブルトークなのだ。
もと運転手に聞く。「彼女の料理進歩したかな?」、「ほんの一寸、スープ以外はしょっぱすぎる」。お世辞抜き。ここ中国ではお世辞は必要ない。自分の意見をはっきり言うこと。まだまだ私はそこまでできていない。わたしは「中国学」を身の回りの人たちから学んでいる。理解はできても実行までいけないでいる。まだまだ修行が足りない。
[ 写真: 一瞬のうちにこれだけの料理をつくってしまうのには驚かされる。中華料理店もそうで、次から次へと切れ目なく料理が運ばれてこなければ、客足は遠ざかる。ここでの仕事も同様、切れ目をつくらないことだ。 ]
Friday, December 15, 2006
[廈門・191日] バースデーケーキ

さらに秘書嬢、日本料理店に招待してくれました。予約無しだったため、はじめのお店は満席、タクシーで下町のビルの中の店に移動、満腹で我がマンションの下にあるアンデルセンへ。家に戻り、二人だけでしたが、胃袋を無理矢理開けて美味しいケーキを口にいたしました。秘書嬢に感謝なのであります。
彼女が帰宅した後、我が愛娘はどう対応してくれただろうかとメーラーを開いてみます。残念、誰からも祝いの一言もなかったのです。ただ一人、学生時代の知人、ピアニストから不確かだが確か今日が誕生日ではないかというメールが届いておりました。彼女にも感謝しなければいけません。早速お礼の返信を入れたところです。
一人長逗留していると、一寸した心遣いを受けるとやたら感激してしまうものでして、二つも感動を受けた一日がまたうれしくなってしまうのです。やはり私には物より思い出、死ぬときには体いっぱいにこれらを詰め込み旅立ちたいものだ、なぞ考えてしまったのです。
[ 写真: アンデルセンというパン屋さん、日本のお店と関係あるのか解りません。漢字で表記したいのですが、変換できません。字がないのです。中国語で書き込むと文字化けしてしまいますので遠慮しました。 ]
Thursday, December 14, 2006
[廈門・190日] 喫煙

実は中国人、煙草の好きな人は多いのです。会議でも挨拶のときでも食事でも、すぐに煙草が差し出されます。断るのはなかなか難しい。郷にいれば郷にと言っていると肺ガンになってしまいそうであります。こちらの人はどこでもお構いなしに煙草を吸いますから、ホテルのレストランの禁煙席は実に少ない、かつ恵まれない一角だったりします。普通の煙草が5元から15元、出費は少なくない。中には目玉の飛び出るほど高価な煙草もあります。いわゆる国賓への贈り物、幹部の会食で配られるもの、などなど公費でなければなかなか手にできない代物です。
問題はやたらと辛い、私が日本で愛用していたタール1mgのキャスターなぞ、こちらの人に差し出すと、これなんぞやと驚かれる。全く味がしない。私は長年味わってきていたので、微妙な味がわかりますが、こちらでは15mgなぞごく普通なのです。あれやこれや探しまくった結果、現在愛用しているのが韓国製煙草、ESSE Lights、タール4.5mg、細く長い。ここでは俗称「女人煙草」といわれているそうです。クラブなぞ、きれいどころのお嬢さんたちは好んでこの煙草を吸っていると聞いています。
[ 写真: 韓国製煙草「 ESSE Lights 」。細い分、一日に吸う分量はそんなに多くなっていない、はず。 ]
Wednesday, December 13, 2006
[廈門・189日] 自行車

この作業用自転車では、サドルに、荷台に金属プレートありです。どれもがしっかりしている。色もいい、図案もいい。こういうものに出逢うとなぜかうれしくなるものです。バチバチと撮影をいたした次第であります。


[ 写真: 何も語りません、じっくりとご覧になってください。 ]
Tuesday, December 12, 2006
[廈門・188日] 秘密の花園

この鉢植え、全部で三百はくだらないでしょう。それを一週間ごとに変えていくのですから、相当の出費に見えます。さてその花なのですが、今日、秘書嬢二人が、私を誘い、仕事の合間に抜け出し、秘密の花園へと案内してくれました。高い樹木に囲まれた、手入れの行き届いた庭先の小道を木々の間をくぐり抜けると、隣接した広大な土地一面に鉢植えが並べられておりました。一人のおじさん、一つ一つ鉢植えを見て回っております。手間のかかるものです、生き物は。まあ生き物といってもご婦人に手を出すわけではないものですから、和やかに眺めておりました。
それにしても庭園に手間をかけることにお金を惜しまない、手間暇かかる鉢植えを選ぶ。日本の本社ビルでは、できるだけ手間暇かからない植栽を選びますが、ここは違います。人件費が安い国柄とはいえ、そう簡単にまねできるものではありません。よき心構えであります。
[ 写真: 本社ビルの一階、中央はかくのごとく鉢植えで埋められている。一階にいると目につきにくいものの、二階三階ではかくのごとく眺められる。今回は白い花でこの会社のシンボルマーク、白鷺を表しておりました。右の写真は鉢植えを送り込む秘密の花園、色とりどり、冬でもここはかくのごとくであります。 ]
Monday, December 11, 2006
[廈門・187日] 半年も住めば・・・

我が家は、以前紹介したように30坪に二寝室二浴室、床は真っ白な大理石、壁は部屋ごとに色が異なり、かといってうるさい感じのしない清楚な仕上がりなのです。先日、日本の知人がどんな部屋に住んでいるのかと聞いてきたので、何も物が置いていない部屋の写真を送ったところ、何もないという部屋もきれいな物ですね?と疑問符付きの返事が届いた。何もないのは半年という時間もあるだろうし、しがらみのない生活が影響しているのかもしれません。しがらみがなければ物に執着もしない、できたら死に際には何もなくなっているのが一番いいのではないかなぞと思っている次第であります。
場所柄、私と時期を同じくしてやってきた連中の中では一番部屋代が高い。それでも月4000元というのは日本円で約六万円。連中の中には、私の家に居候し続けたり、ボスの家にそれこそずーっと居続けている者もおります。彼らは実にケチなのです。ケチというより、戻るときには大金を懐に戻りたい、そう思っているようです。生活を楽しみながら仕事をする、建築家にはなくてはならない要素であります。そんな考えは彼らには全くないのです。これではいい物できないはずです。
[ 写真: この地図はわが家の界わいを中心に撮影したものであります。 ]
Sunday, December 10, 2006
[廈門・186日] ある男の話

ある日彼は一人廈門見物に出かけてきました。見物の途中、彼にいわせると「小さなお嬢さん」と出逢ったといいます。廈門に疎い彼、小さなお嬢さんに案内を頼むと、快く承諾してくれたとのことです。しばらくしてのこと、出張先から長旅を終えて戻ってきたある夜、私は彼と道端の屋台でビールを飲んでおりました。彼に電話が入ります。話が終わったあとに電話の相手が「小さなお嬢さん」だと話してくれました。どうも出張先にて彼の秘書をしてみないかという話をしていたみたいなのであります。
一寸厄介なのは彼が我が秘書にも積極的だということです。我が秘書は彼に対し上司に対する心得で対応しているのですが、私に断りなく彼女に仕事は頼む、こちらの予定にお構いなく引き出そうとする。私の秘書なのにここでも秘書にならないかと声をかけております。彼の廈門滞在中、何度か彼女との会食も試みたらしい。しかし誘いを受けたくない彼女、おかげで我が家は毎日のように彼女の避難先と相成ってしまったのであります。彼から電話がかかってくると、「ボスの家にいまーす!」。そんな対応にも彼、まだあきらめた様子が見受けられない。イヤ、こうでなくてはここで仕事は進められないのかもしれないのであります。見習うべきか見習わないべきか。人間、厄介な生き物であります。
[ 写真: 彼が宿泊先に選んだホテルは我が家の真向かい、ここの23階だという。おいおいおい、我が家は丸見えだぜ・・・コワッ! ]
Saturday, December 9, 2006
[廈門・185日] カレーパーティー

老師、自分にできないことはないと、常日頃から虚勢を張っている。私が役員食堂での会話、一人の役員が私に廈門の日本料理はどうかと聞いてきた返事が、ある日本料理店のカレーは一番だと答えた。その話を老師にしたところ、私だってできるできると平気で口にする。意欲は買おう、あとは口にするまで、でパーティー開催が決まった。
当日早朝、彼女は日本で長い間生活したことのある知人宅に寄ってきている。彼女からカレーのレシピを聞き出してきたらしい。カレーのルーも頂戴してきた。昼前、我々はカルフールに出向き、大袋いっぱいに食材を購入、夕刻を待たずに調理を始めた。
私はカレーってどうつくったっけと記憶は定かではない、老師は耳学問、結局二人の合作となった。招待した客は私の同僚と彼女の以前の同僚、私の同僚以外はお代わりをするほどの成功作、なかなかの味でした。廈門で日本味のカレーライス、先日帰国のさいに愛娘のカレーに満足して戻ってきて、今度は老師のカレーに満足、よき一日でありました。
[ 写真: 鍋一杯につくったカレー、お代わりがあったにもかかわらずまだ二三日分は残っている。ああこれでしばらくカレー漬けですか。これもまた問題だなー。 ]
Friday, December 8, 2006
[廈門・184日] 仕事場

重役には個室があてがわれ、ここだけは煙草が吸える。それ以外すべて禁煙。私は一階の窓際、大部屋の一角である。大部屋といってもすべて解放されている。デスクはちょうど目高のパーティションで仕切られ、オフィスに入ってきたとき、人はここには誰も見当たらないのではと感じる。よけいなものが嫌いな裏ボスは建物の気分をよく心得ているのだ。
上斑 ( shang4ban1 出勤 )下斑 ( xia4ban 退勤 )、トイレにお茶、食堂への行き来はこの吹き抜けが廊下がわり、当然雑談も少なくなる。中国社会にあって、この静寂はなかなか得難いのだ。
食事は地下室に設えられており、ここは課長以上の人間が、役員はその一角の周りとガラスで区切られた一室で食する。私には個室が与えられていない。煙草と縁の切れないでいる私は、外の喫煙場所まで出ていく。食後は庭先のベンチでのんびりと一人紫煙を楽しんでいる。芝生に四季の花々、悪くない環境なのである。
[ 写真: 左写真・庭園の一角から本社ビルを眺める。自然要素と人工物、裏ボスの基本姿勢である。 右写真・私のデスクからの眺め。正面右側のガラス戸がメインエントランス。二階もオープン、吹き抜け際が通路。三階はここからは見えない。天井の材料が貧弱なのが残念である。 ]
Thursday, December 7, 2006
[廈門・183日] 戻ってきた笑顔

私も気を取り直し、しっかりと中国語をやり直そうと老師に伝えたところ、彼女も力強い言葉で励ましてくれましたし、これまでの学習の甲斐あってか、教科書の新しいページも何とかクリアできてしまい、心なしかほくそ笑んでいたりしている次第です。彼女あっての成果であり、彼女のキツイおしかりも昔を思い出させます。なにより自然な笑顔がでてきたのがうれしい限りなのです。初めて二人が中国語という一つの媒体で知り合ってから半年、今まで以上に充実した授業になりつつあります。
私たち二人、他の人からは、いささか異常な関係ではないかと思われてる節を随所で見ておりますが、当人、至極自然で、私には母親を亡くしたときの娘が父親を必死に面倒みようとしていた姿を思い起こさせるのです。これも年の功がなせる技かと、この関係の続くことを願っている今日この頃なのです。
先日誰とだったか忘れましたが、中国の南と北の違いについて話し合ったことがありました。(おっと思い出しました、日本からこちらにやってきていた先輩の台湾系日本人の華僑、仕事ついでに訪れてくれたとき、ホテルの珈琲テラスでのことでした。)南は何しろ人なつっこいし話し好き、北はつっけんどんとして取っつきにくい。ここアモイは南系、珈琲テラスのお嬢さんは私たち二人に愛想よく長話をしてくれておりました。我が中国語の老師も当地の人間、実に話し好きですし、面倒見がいい。一人長逗留しているものにとってはかけがえのない相手なのであります。感謝、感謝。
[ 写真: この半年で大人の顔つきになってきた中国語教師。空白の11月当時と違い、目に輝きが戻り、顔色も艶もよくなって戻ってきた。 ]
Wednesday, December 6, 2006
[廈門・182日] 気を取り直して中国語練習

私の部屋に居候が長逗留し、脇に人がいては勉学に集中もできず、老師は老師で個人的問題で身が入いってこない。結局十一月は中文学習の空白のひと月となってしまった。元ボスはしきりに私の中文が進歩していないことに口を挟み、会社内部の組織替えで、私が話ができないままではポストも与えられずと嘆くことしきり。元々会話で仕事をするなぞ思ってもいなかったのが、口先だけで仕事を進める中国人社会の特質にうんざりし、さらに中文をしたためなければならず、役員食堂で情報をやり取りするという習慣にもなじめないでいる。
とはいえ一念発起、中国人になりすませるだけの会話力をつけようと、この年で語学の勉強を再開したわけであり、ここで折れては東アジアの首領の私の名が泣く。十一月末に戻って、老師共々気を取り直し中国語学習に再び取り組むことにした。仕事の合間を見付けては予習に取り組み、漢字練習をしてみたりしている。はたして、七月末の中文学習、あの気の入れようが戻ってくるのか、正念場となった。
[ 写真: 私のデスクは一番後ろ。なおかつ衝立があり、簡単にはデスクトップは覗けない。それをいいことに、ときに中国語の予習なぞしている。しかし元々一つのことに熱中すると他が見えなくなる質、顔を上げると脇で元ボスがニコニコと私を見つめていたりする。 ]
Tuesday, December 5, 2006
[廈門・181日] 足もとの民俗劇

歌仔劇、台湾では節目節目に、路上や一寸した広場で目にしてきた民俗劇。ここアモイは福建省、台湾へ渡来してきた人たちの故郷である。同じ神様を祭り、同じ民俗劇を演じ、同じ言葉を話す土地柄である。気分はまさに台湾。懐かしいのである。厚化粧の、華やかな衣装を纏って演じる男女、冬の寒空のもととはいえ、あの台湾のむせるような暑さのもとで覗いた伝承劇を思い出さずにはいられないのである。
境内はがらんとして人けは少ない。子供たちが舞台のかぶりつきに張り付き、本殿の階段を椅子代わりに住民たちが座り込んで聞き入っている。かれらは携帯のデジカメで様子を撮影する奇っ怪な老人を不思議そうに眺めていた。いくら北回帰線に近い場所とはいえ、夜は冷え込む。わたしは一通りの時間を過ごすと、そそくさと部屋へと戻っていった次第だ。
[ 写真: ここでは歌仔劇とはいわず、高甲劇と呼ぶそうだ。同じ系統の言葉とはいえ、違いも多いし大きいらしい。演台と観客の姿である。できたら夜でも暑さが染みこむ夏に見てみたかった。 ]
Monday, December 4, 2006
[廈門・180日] 移転通知

・移転通知_捜索願のでる前にと思い関係者におくりました。特別深い意味があるわけでもありません。しばらくアモイ滞在を続けるということで、いつまた日本に戻るやもしれませんです。その一方でこのあたり、つまり福建省の小都市や片田舎で阿姨(お手伝いさん)を傍らに余生をなんて気分にもなっております。
・オーバーステー_海外で長期滞在をしようとすると、多くの国は滞在許可書をとるよう要求されます。私が取得したのはFビザ(商用)、六ヶ月、数次、ただし一次30日、というものであります。とんとそんなことは忘れて、一度シンガポールに出かけて一次分をクリアしたものの、その後は何も知らない幸せな日本人として過ごしてしまった。で、結局大幅なオーバーステーとなりまして、こちらの公安に五度も足を運ぶという体たらくとあいなりました。
・一時帰国_11月の終わりに人知れず一時帰国をしておりましたのです。いささか面倒なことを一週間にわたり片付け、そそくさと廈門に戻ってきております。そのあたりの下りはオイオイお知らせしたいと考えております。冬着に替えつつある今日この頃です。ではでは・・・
[ 写真: 移転を知らせた一枚のはがき。 ]
Sunday, November 5, 2006
[廈門・151日] スピードダイアルのイラスト
日本より持ち込んだ携帯三台。そのうちの一台は日本のボーダフォンのSIMカードでしか使えない。国際電話同様だから電話を受けるにしてもかけるにしても高くつく。一台はデジカメとビデオ専用。ビデオは中国語教師が教科書を読んでくれるのを録画、授業の予習用に使っている。中国語の扱えるのは一台だけ。といっても英語版の携帯に中国語を突っ込んでいるので、中文を打つのに向いていない。SMSはこちらでも便利。しばしばやり取りされる。それになんといっても安い。手軽に素早くやり取りするにはやはり純正の中国語版が欲しくなる。というわけで新たに携帯を購入した。
ノキアのN73という最新機器。使い勝手がやたらいい。これ一台ですべて賄えるといっていい。ボタン押しやすくてよし、画面大きくてよし、写真撮ってよし、名刺スキャンして解読してアドレス登録できて、MP3聴けてFM聴けて・・・重宝この上ない。今では慣れて中国語でばんばん使っている。デジカメも3MBと、解像度も上がっている。強いて不満を言えば幅が小さいためわたしの手ではホールドしにくいことぐらいか。
便利しているのがアドレスに写真を添付できること。これが意外といい。文字で誰からかかってきているかは解るのだが、写真やイラストだと一目瞭然、即座に電話を受ける際に相手の名前をよんで返答する。「タマさん、こんにちは!」。かけてきた相手は気分がいいだろう。
(また blogger.com にアクセスできない。原因不明。中米間で何か政治的な問題でも起きているのか?そのため " a Cup of AsianTea " には投稿できないでいる。 )
[ 写真: イラストを使ってアドレスに添付。その人の特徴を見つけ出し選び出している。左から下へ、我が秘書タマさん、元ボスの孤独な後ろ姿、今のいい加減で女好きな運転手、そしてわたしが最も信用している中国人、前の運転手。ルパン三世に似ているので選んだ。 ]
ノキアのN73という最新機器。使い勝手がやたらいい。これ一台ですべて賄えるといっていい。ボタン押しやすくてよし、画面大きくてよし、写真撮ってよし、名刺スキャンして解読してアドレス登録できて、MP3聴けてFM聴けて・・・重宝この上ない。今では慣れて中国語でばんばん使っている。デジカメも3MBと、解像度も上がっている。強いて不満を言えば幅が小さいためわたしの手ではホールドしにくいことぐらいか。
便利しているのがアドレスに写真を添付できること。これが意外といい。文字で誰からかかってきているかは解るのだが、写真やイラストだと一目瞭然、即座に電話を受ける際に相手の名前をよんで返答する。「タマさん、こんにちは!」。かけてきた相手は気分がいいだろう。
(また blogger.com にアクセスできない。原因不明。中米間で何か政治的な問題でも起きているのか?そのため " a Cup of AsianTea " には投稿できないでいる。 )
[ 写真: イラストを使ってアドレスに添付。その人の特徴を見つけ出し選び出している。左から下へ、我が秘書タマさん、元ボスの孤独な後ろ姿、今のいい加減で女好きな運転手、そしてわたしが最も信用している中国人、前の運転手。ルパン三世に似ているので選んだ。 ]
Tuesday, October 24, 2006
[廈門・139日] 勝間ネコ便り

昨日下の娘よりメールが届き、愛娘二人が墓参りに出向くと伝えてきました。わたしはこちらにいて早々と去ったかれらの母親のために何ができるのか。多くの海外在住者たちがこの件をどう対応しているのか知るよしもありません。そこで勝手にわたしなりに供養することにしたいと思う次第です。
さて、日本には他の家族もいるわけで、久しく無沙汰しているのが三匹のネコたち。千葉の片田舎の畑と雑木林に囲まれた古農家で彼らが如何様に過ごしているのか心配でなりません。娘に一文連絡を入れてみます。今朝がた届いたメールには、丸々と肥えた二人の姿がありました。面倒を見ていたわたしがいなくなり、さぞかし不便をしているのではないか、一人心配していたものの、その気配すらなく、いささか拍子抜けした次第であります。これを取り越し苦労というのでしょう。
[ 写真: 土間に積まれた段ボール、二人はこの場所が好きなのです。彼らに邪険にされているもう一人が映っておりません。やはり仲間はずれにされているのではないかと、心を痛めております。 ]
Sunday, October 22, 2006
[廈門・138日] 刃こぼれ

料理は芸でありまして、それでは料理の先生は芸人かというと違う。日本でもこちら中国でも料理人は芸術家なのであります。ちなみに料理の先生を師匠と呼ぶのは当然なのです。我が社が保有する開店したばかりのホテルの料理の師匠は香港の人間、ふとっちょであります。至極愛想がいい。その割には味付けの方向が曖昧でありまして、どの料理も同じ。次から次へと出てくる料理に起承転結がない。これでは飽きられてしまう。はたしてどうなるのか、人ごとながら心配してしまいます。
それに反し我が秘書兼中国語教師兼義理の娘の料理ははっきりした味付けであります。簡単に言えば田舎料理の田舎味、野味があって豪快そのもの。少女がつくったものとは思えません。しかしここ中国では誰もが料理の先生なのであります。世の中いろいろです。だから面白い。廈門の旅もひとしお面白いのであります。
[ 写真: 鶏と家鴨を捌いた少女の腕は太いのです。でなければ刃先がこれほど痛めつけられるはずはありません。 ]
[廈門・137日] 毛沢東の子供たち

先日、マーケッティング部門の新人のいささかデブな若者と一緒に町に出た。このデブ、ボスにダイエットを勧められている。「ブリキ猫を見ろ!彼はわたしが指令した三ヶ月で中国語の会話を理解できるようになったではないか!デブ、君も三ヶ月の猶予を言い渡す!その間にわたしの秘書程度まで痩せるように!」。これは本当の話である。お話を面白くするための作り事ではない。例に引き出された秘書も哀れである。彼女、先日結婚したばかり。ちょっと小太りのぽちゃぽちゃ。かわいらしい。しかし彼女を引き合いにするところが実に面白い会社なのである。
まあそれはそれとして、このデブを連れて三人、町に出た。廈門でも話題になっている食い物屋があるというので行ってみた。店の名前が「老知青 lao3 zhi1 qing1 」。七十年代の学生運動に荷担した人間には、「オッツ!あれか!」と手を打つに違いない。文化大革命という中国国内の内紛の時代、「下放 xia4 fang4 」といって、学生は実社会で体験を積め!地方に学べ!農村で働こう!運動があった。当時、わたしはいたく感激した記憶がある。どこかで今の千葉の片田舎のもとになったみたいなものかもしれない。「知青 (知識青年)」という名付けられた店、では一体どんな店なのか。
つたない翻訳でご紹介する。
・料理の分類:東北料理
・店の紹介:廈門の「比較的特徴ある」レストラン。店にはいると「文革時期の東北地方を思い出させる」、「至る所に毛沢東語録が」、「壁にはトウモロコシが掛けられ」、「椅子はオンドル」。服務員は「みな紅衛兵の格好を」、「緑色の軍服を身につけ」、「肩に軍包」、「さらにマネージャは軍用の水筒を」。餃子の味は「比較的まとも」、東北料理の味は「まあまあ」、「量がとても多く」、つまり「一寸雑」。価格は「高くはない」、口にしてみたいとお考えなら、おいでになって試してみるのも悪くないでしょう。
意地悪なわたしの運転手が一人の青年を捕まえて聞く。「鞄の中には毛語録入っているの?」、青年「はい」、運転手「じゃ見せて」、青年「いやいやいや・・・」。意地悪なあたし、彼らに声をかけてみる。「同志! tong1zhi4 」、誰も振り向かない。そりゃそうだろうな、ここの店で働いている若者たち、当時まだ生まれていなかったんだから。
[ 写真: 壁には軍用トラックに乗って下放する若者たちの姿を描いた漫画が。 ]
Wednesday, October 18, 2006
[廈門・133日] 家鴨を捌くと・・・

懸案だった家鴨を捌いたのが先週の日曜日。冷凍庫からこちこちだった家鴨を引き出し、半日掘っておいてもまだこちこちの姿を我が秘書は手際よく捌いていく。すでに鶏が捌かれるのを見ていたので衝撃は少なかったものの、やはり迫力がある。まな板の上でガッツ、バッキ、ドンドンと切り裂かれていく。その力強い包丁捌きであたりには骨付きの肉の塊が飛び散っていく。あとで拭き取るのの大変だったこと。
我が秘書は豚さんより鶏さんより家鴨の肉が大好きである。できあがった家鴨の料理をルパンIII似の前運転手と三人で食した。しかし、わたしには鶏の方が何倍にも美味しく感じられた。鶏の方が数倍脂っ気が少ない。野菜との取り合わせも悪くない。秘書さんの努力を評価するものの、古い日本人には家鴨より鶏の方が魚のほうが口に合う。
[ 写真: 左が冷凍庫から出したばかりの家鴨。右はそれを捌いている我が秘書の姿。 ]
Thursday, October 12, 2006
[廈門・127日] 游土楼-IV

土楼を案内してくれたホテル嬢は、ここで生活している風景が「脏 zang1 (汚らしい) 」という。たしかにあちこち痛んでいたり、生ゴミが散らかっていたり、小動物の糞で靴を汚しそうになったりした。それでもわたしには汚らしいという感じはしなかった。なぜなら、ここには最新文明の産物がほとんど見当たらない。特に石化製品がない。おかげで空気も水も土も汚されずにすんでいる。わたしには桃源郷のような環境なのだ。
帰り際に前の運転手がこんなことを口にした。「burikinekoさん、ここに住みたいですか?土地は安いし、土楼を買って手を加えて土を耕せば長生きできますよ」。彼のわたしのライフスタイルを理解しての発言だ。一考の価値ありか、廈門に戻って頭の片隅から引き出してみた。ここ廈門は、わたしには、魅力的な小都市として映っていることに気がついた。ここの生活環境は棄てがたい。土楼への移住はしばらく先に考えることにした。
[ 写真: 土楼のなかを好き勝手に走り回って運動している家鴨たち。食するに適当に脂ののった肉になっているに違いない。 ]
Monday, October 9, 2006
[廈門・124日] 路地裏のDVDショップ

彼の住むあたりは廈門の旧市街の中心だったところ。洋館風三階建ての連続アーケードを持つ商店街にある。奥さんがメンズウェアの店を開いている。道幅は狭く、人と車が入り乱れている。子供たちの遊び場はこの街路、向こう三軒両隣の関係である。この店、以前は向かいに開いていた。隣人の家から出た火で内部が丸焼けになってしまい、移ってきたもの。内部は雑然とし、どう見てもどこもかしこも整理されているとは言い難い。
二階はルパンが手を入れて、仮住まいのように部屋が仕切られている。その一室のちょっと広い部屋でルパン手作り料理をご馳走になった。我が秘書の田舎味と違い、彼の味付けは薄くわたしの口にあった。肉料理が少なかったのは、わたしが肉をあまり口にしないのを知っているルパンの配慮だろう。かわりに魚が食卓に上がってきた。わたし以外の人間は手をつけなかった。魚はあまり人気がないようだ。
食事を終え、彼が廈門で最も賑やかだといわれている歩行者道路に出かけた。ここはやけににぎやか。モダンな店が並び、華やかに着飾った若者たちが溢れ、家族連れが路上のオープンテラスで飲料を口にしている。それにやけに長い。どこまでもどこまでも続いている。
すでに夜中の九時。彼の店に戻る途中ビデオショップを見かけた。聞いてみる。「韓国のDVDある?」、店の女性「ここにはないわ」、「あっそ」とわたし。すると彼女「ちょっと待って」。どこかに電話を入れると間をおかずに若い女性がやってきて手招き。我々を薄暗い路地裏に。「どこに行くの?」、「ついてくればいいの」。路地の奥の奥、曲がってまた曲がって、たどり着いたのが掘っ立て小屋のような建物。ここがビデオショップの本拠地だった。小さな部屋の中は棚いっぱいのDVD。学生らしい若者たちで溢れている。
あるわあるわ、韓国版だけでなく米国も本家中国のDVDも、最新版DVDはほとんどあるのではないだろうか。目についたものの中から素早く手に会計。うーん、この値段で手にはいるの?我々会計を済ませるとそそくさと木戸から外に出た。
家に戻りNHKで放映された「オール・イン」という連続劇を見てみる。問題ない。オーディオは韓国語と日本語、問題ない。サブトラック、韓国語と日本語。日本語をポチして再生してみるとどうだろう、そこには中国語が。そうなんだ、ここは中国なのだ。日本語をポチしても誰もそんなの見るわけない。中国語の学習用にはいいだろう、そう納得することにした。
[ 写真: わたしのご贔屓の二人。男優のイ・ビョンホン。女優のソン・ヘギョ。二人が競演の「オール・イン」と黒社会を描いて白眉な「甘い人生」。 ]
Sunday, October 8, 2006
[廈門・123日] 游土楼-III

特に風水を重んじた客家人が、いかに風水をこの土楼に応用していったかの話の部分は、建築を専門とする人間を引きつけるに十分だった。若く饒舌なガイド嬢も風水の関わりを説明してくれたが、老人の口から出た話は、道理を説いて面白いのだ。この話をご紹介したいのだが、ちょっといい加減になりそうなので、時間をかけ整理したら後日紹介してみたい。
円楼と四角楼をじっくり見学したあと、四角楼の出口でお茶していたご老人たちと雑談をしてきた。どうということのないとりとめのない会話だったが、腰を下ろし、煙草を交わし、ただただ時間が過ぎていった。不思議なもので、土楼の壁の暖かさがこちらにも伝わってきた。これは麗江古城では体験できなかったことだ。土は木よりも安定感を与えてくれた。
[ 写真: 円楼と四角楼の合間。ご老人はこの関係は風水から生まれたものだと語った。二つの建物には脈絡がなさそうだが、視線の先の建物が重要だという。この結果、円楼の外壁は長い間修理の必要がなかったのだという。確かに四角楼の外壁は痛みが大きかった。風道が関係しているのだろうか。 ]
Saturday, October 7, 2006
[廈門・122日] 剥き鶏

彼女、さあ今日は鶏を喰らってしまおうというと、目の前で大なたふるって捌いていく。見事なのは鶏の頭、首元で切り落とすと、くちばしに刃先を入れてガッツ。見事二つに。いくら田舎育ちで、母親の料理を見てきたとはいえ、普通の少女にできることなのか。驚くと同時に、中国人はすごいなと傍らで感心しきりなあたし。大鍋でぐつぐつと半時ほど、地鶏のスープができあがった。肉もスープも堪えられない美味さであった。
わたしは幸せである。あれやこれや煩わしいことがいくつもあるにもかかわらず、そんなことも忘れさせてくれるこんな菜を喰らうことができ実に愉快である。
[ 写真: 秘書嬢、持ち込んだ裸の鶏を瞬く間に捌こうとするので、オイオイちょっと待っておくれと、あわててデジカメを持ち出し撮影をした。 ]
Friday, October 6, 2006
[廈門・121日] 中秋の名月なり

今日は中秋の名月、こちらでは中秋節 [ zhong1 qiu1 jie2 ] 。名月を観賞し、月餅を食し、そして博餅(ダイスの賭け事)をする。湖畔のコーヒーショップで我々は名月を眺めたものの、月餅も博餅も無い晩であった。家に戻ると隣の家からダイスの音が聞こえてくる。きっと家族で博餅を楽しんでいるのだろう。
前の運転手から「中秋快楽!」とショートメール。何事にも挨拶を欠かさないこと、こちらで生き残るための大切な礼節である。我が秘書は口酸っぱくわたしにこのことを説いて聞かせてくれていた。礼節を尊び、わたしも彼女へショートメールを送った。「中秋快楽!」。
[ 写真: ボケて見えるのはわたしの技術不足と光量不足。湖畔はネオンで飾られ、建物も光り輝く。ネオンが眠りにつくのは十時半。突然辺り一帯真っ暗になってしまう。 ]
Wednesday, October 4, 2006
[廈門・119日] 游土楼-II

ホテル嬢の友人、以前は隣の土楼で生活していたそうだ。この土楼、今では民間人が所有しているという。売り物として土楼は人気があるらしい。観光用に、民宿に、別荘用に、土楼は所有者をかえながら残り続けるのか。
最初に訪れた土楼群は、永定という町からしばらく山中を登っていったところにある湖坑鎮洪坑土楼群。四十六もの土楼のある村。入り口でチケットを購入、カートで見て回る。案内役にホテル嬢の同窓生が付く。博識である。ただうるさい。さかんに「なぜだか解りますか?」と質問してくる。解るか!さらに撮影場所を指定したりする。ここからの眺めが一番綺麗だとか何やらかんやら。ホテル嬢とルパンIII似の運転手をフレームに入れる。廈門の戻って看てみると、確かに様になった写真だった。口うるさいガイドさん、ありがとう。

[ 写真: 高頭鎮高北村の土楼群。見る人を圧倒する。すでに夕方、みな疲れていた。近くに温泉があるというので向かうものの、原泉は少ないらしい。この季節では汗が出るだけだと食い物屋の主人。我々その忠告に従い帰路についた。ホテルにはいると直ぐさま眠りに。 ]
Tuesday, October 3, 2006
[廈門・118日] 游土楼

現在「? [ 門+虫 ] 南古鎮」と名打った計画案がある。福建の歴史文化を建築群で表現しようという意欲的なもの。ただ意欲的なのはいいが私から見れば絵空事のような図面、これから建設を進めていく人間には多大な苦労が伴うだろう。

そして土楼。最大八十メートルにも及ぶ円形の、最大一メートル八百もある厚い土壁で外部からの侵入を頑固に守るようつくられた集合住宅を指している。山奥 の、外部から人の近づきにくい地を選び、集団で生活し続けてきた客家人独特の住居だ。これを日本に紹介したのは同斑同学 [ tong2 ban1 tong2 xue2 同じ専攻の同級生 ] の K 教授。もう二十年前ぐらいのことだろうか。一冊の本になり、そこに収録された土楼を見、私はかなりの衝撃を受けたことを覚えている。中国は深いと。
国慶節の一週間の休みを利用し、一泊二日、私は期待の土楼を見に出かけてきた。今では観光拠点としてこの休みに訪れた人間は少なくない。それでも土楼は私を魅了してくれた。ここには実存感があった・・・。
[ 写真: 地図と土楼を紹介したガイドブックを手に、土楼群のある二つの地点を一日かけてみて回ってきた。まだまだ他の地に数多く残され、今でも一部の人たちが住み続けている。暇を見つけて全てを見て回るつもりだ。 ]
Sunday, October 1, 2006
[廈門・116日] 二時間遅れは常識

昨夜、会社の女性の結婚式が執り行われ、私も参加してきた。中国で結婚式に出席するのは初めて。招待状には六時から始まると書かれていた。式場となった先日開幕のホテルに早めに出かけ、現場事務所で待機。六時半、一緒に参加する人が先に行きますよと声をかけてきた。
はいはいと私もそろそろ出かけるかと宴席に向かう。地下の大きなバンケットルーム、しかし人影はなし、オイオイ一体どうなっているんだ。仕方ないのでしばらく時間つぶしにコーヒーショップで高いエスプレッソを口にする。七時、また宴席に。二十ばかりの丸テーブルの半分が埋まっているだけ。席は決まっているわけでなく、勝手気ままに仲間同士が集まっている。お茶と雑談で時間をつぶすも、始まる気配はいっこうにない。
ボス連中が集まり始め、というか彼ら心得ている、いつ頃登場すればいいのかを。ここ廈門の結婚式の始まりは二時間遅れが当たり前だと隣に座った男が説明してくれた。一週間前にも同様結婚式があり、そのとき本来七時開催が九時半に始まったという。不思議な習慣である。とうてい日本では考えられない。おおらかといえばおおらか、しまりがないといえばしまりがない。それでも新郎新婦にとって晴れやかで数少ない誰もが祝福してくれるひとときである。お二人に幸あれ。
[ 写真: シャンパングラスにシャンパンを注ぐのがはやっているらしい。先日、ホテルの日本料理店開幕式典でも同じようにシャンパンイベントが行われた。 ]
Saturday, September 30, 2006
[廈門・115日] 戻る?留まる?

金を握ることができずに現場の仕事に当たらなければならないほど厳しいことはない。なぜ現場に裁量権を与えないのか。当然トップ同士の紛争に他ならない。元ボスは何とか裁量権を得ようと日々「謀略」を張り巡らしているらしい。風説じみた話が伝わってきたり、組織の大変革を提案して影のボスがそれを了承したとか。開幕したばかりのホテルのブッフェでは、関連会社のトップの人間たちが、この話は出任せだとかがせネタだとかほら吹きがいるなどと旨い料理を食いながら話しているとか・・・。事実はどうなのか、乞うご期待と言うところだ。
元ボスに呼ばれてこちらにやってきた台湾の連中は不明瞭な給与体系にうんざりしている。金の件になると彼らの主張は力強くなる。GM同士仲が悪くても、この件では一致して上の人間にあたっている。すばらしい。なかには台湾に戻った方がどれほどいいかと私に口をとんがらせて話してくるものもいる。国に戻るか留まるか、決断しなければならない日が近づいている。
日本人ということで彼らに比べ比較的恵まれた待遇にある私は横目で騒動を傍観している。私ももっと主張すればいいのだが、この年までお金には無頓着だった習慣が身に付いてしまった。元ボスによく言われたものだ。「ヒッピーと同じ」だと。
[ 写真: マンションの中庭で先日開かれた博餅大会風景。子供の男女がペアダンスを披露。見事なものだった。 ]
Friday, September 29, 2006
[廈門・114日] 博餅( bo2 bing3 )

国慶日に始まり月見の中秋節まで一週間の休暇になる前、老若男女、大人も子供もこの遊びに一喜一憂する。我がマンションの中庭でも博餅大会が開催され、二十ものテーブルに一組十二人、かわりばんこにダイスを振っていく。中国語授業そっちのけで、老師と私、参加してきた。マンションとあって、家族連れがほとんど。六つのさいころの出目で山と積まれた景品を手にしていく。六つというのも初めてだし、さいころの一と四が赤というのも初めて。参加者全員が輪になって代わる代わるさいころを振る。
一位はコーヒーメーカーだったりジューサーだったり。この一位は出目の一番大きいのを出した者が手にできる。一位だけは順番が入れ替わる。私は二位の出目を出したものの、最終的に三位に落ちてトップ賞は手に入らなかった。素朴といえば素朴な賭け事、お金が賭かっていないので、子供もダイスを握って大きなお椀に放り込む。出目の一番大きいのが四つの四と二つの一、隣のテーブルで出たのを見ただけだった。
この遊び、廈門独特な行事らしい。鄭成功時代に始められたという話とか、漢の時代の韓信という武将が兵士の慰みに始めたとか、西太后が脇に積まれた餅の山をみて思いついたとか、いろいろな話を聞かされた。どれが正しいのか解らない。とにもかくにも町中がこの一週間、博餅で賑わっているのだ。
[ 写真: 磁器製のお椀に振り込まれた賽子 ]
Thursday, September 28, 2006
[廈門・113日] 車社会へ

運転技術も急ごしらえの感がある。軽快に動かしている者がいる一方、だらだらと走る者、車線のどこを走ろうとしているのかも解らない運転。その車の合間を縫うように人間が車道を横切っていく。危ないことこの上ない。原因の一つに信号が少ない。極端に少ない。完全に車優先の道路計画だ。だからみな片側四車線の車道を横切る。大人も子供も老人も労働者も、中には自転車抱えて渡る者もいる。中央分離帯の植え込みから突然に人間が現れる。怖ろしい。本人はどう感じているのか。一体人身事故はどの程度起きているのだろうか、誰に聞いても解らない。他人のことは他人の責任なのだ。
新事務所ではボスたちが組織改革に血眼になっていて、私のポジションに全く無関心でいるし、そんな中で一人ぽつねんとしている私の様子を眺めていた我が秘書は、私が「度假」 ( du4 jia4 休暇 ) 中だと揶揄ってくる。下につく人間もおらず、責任もなく、勝手気ままに振る舞っている私への賛美の言葉だと私は受け取った。そう、私は旅にでているのです、旅先で見つけた仕事場にいるのです。そして「停・看・聴」、ひたすら周りを観察し続けているのです。実に愉快であります。
[ 写真: 公共バスの広告 ]
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