Friday, May 30, 2008

[廈門] 香港へ船の旅なぞどうだろう

目覚ましは目の前で工事中の重機が動き出す音、早朝六時半だ。バルコニーに出て軽くからだじゅうの関節を動かす。いたるところの継ぎ目がボキボキと音をたてる。真下の工事現場は無視し、国際埠頭、港、そして対岸がどの位モヤっているかでその日の天気を予想する。今日は雲が厚かった。雨季なのだ。

週に一度、埠頭に豪華客船が停泊する。四段のアッパーデッキが魅力的に見える。機会があれば、のんびりとデッキ上から海原を眺めて過ごしてみたいものだ。

豪華客船が停泊した日の夕食を姐姉の家で御馳走になった。客船に話が及んだ際、乗ってみたいなーと口にすると、この船、台湾船籍の船らしい。香港を拠点に、アモイ・海南島をクルーズする、三泊四日の旅と聞いた。日本円で百万はするのでは……、なんと人民元二千円(日円約三万円)だという。まさか、アッパーデッキじゃないだろう、二千元ならすぐにでも乗ってみたくなる。

ここアモイで提案書を書き終え、翻訳も完了、あとは結果待ちの日々、時間は有り余っているはず、手持無沙汰のはず。

ある会食の席、毎日何をして過ごしていますか?の問いに、部屋から海を眺めていますと答えた。「看海的日子」ですか……と返事が返ってきた。。古い台湾の短編小説の題名だ。うる覚えなので正確さに欠けるが、たしか、船乗りの亭主が海に出て行ったきり戻らない、カミさんは毎日浜に出て海を眺めながら亭主の船が戻ってくるかと待ち続ける。むなしく時を過ごしている。映画にもなって、見たような気がするが遠い昔のこと、定かではない。ちょっとうらぶれた物悲しい話だった。

私はなにを待って海を眺めているのだろう。あてはない。そんな時だ、香港へ船の旅なぞどうだろうか。

[ MEMO: 高校時代の絵画の先生は船を描くのが好きだった。あたしも習って芝浦桟橋に出かけてはスケッチを重ねたものだ。 ]

Thursday, May 29, 2008

[廈門] 同安の造り酒屋

やはり田舎に住みたい、それも農村、村人の生活と共に過ごしてみたい。周りの人間は言う、危ないですよ外国人がそんな中にないったら、私の別荘を使ってください、日に一度連絡いただければ安心です。いや違うんだ、畑耕して……大丈夫です、庭は広いですから畑にしていただいても……。アタシのライフスタイルはなかなか理解してもらえない。

ガッコの先生と一度アモイ市郊外、同安という農村を訪れた。手配してくれたのは、かつて農業行政に携わっていた方。一声で地元農村出のお嬢さんたちがハイハイと案内してくれた。なだらかな丘陵地帯、北に山、南傾斜、風水上申し分ない。そして何より魅力的だったのは、地酒工場があったこと。地場産業があるというのは村の魅力の一つだ。

レンガ建て四棟の建物、中心に窯から上がったばかりのコメを戸板に広げ、そのまま引出し天日干し、コメ麹をまぶして樽に詰める。あとは発酵を待って土瓶に注ぎ込む。米蔵の棟、コメを炊く棟、麹をまぶし発酵を待つ棟、そして土瓶に寝かす棟が効率よく並べられていた。

小さな村はずれにある工場、ふらっと入りこんでいってもだれも気にもしない。何かを持ち出されるとか盗まれるとか心配の様子もない。そんな村、危険だろうか。塀をめぐらし、ガードマンを置き、ビデオ監視装置があるような別荘地こそ危険極まりそうだ。

[ MEMO: 逆に心配だったのは、こんなスケールの生産量で採算が成り立つのか、という素朴な疑問。欲をかかなければずーっと続けられるのかもしれない。あくせくせず、時間をかけ、コメの発酵を見ながら日々それを繰り返す。土地とともに生きている限り可能なのだろう。 ]

Monday, May 26, 2008

[廈門] あまりにも美しすぎた……

アモイに足を踏み入れて間もなく二年を迎える。二年もいながら他の地を訪れたことがほとんどない。多くの友が聞く、なぜ桂林の奇景を見にいかない、武夷山は美しいぞ、西湖はどうだ……。時間がない、金がない、それ以上にその名前に興味をひかなかった。金を落として景観を見る気がしなかった。アタシはその地に根をおろして生活している様を見ているほうに興味がわくし、その中に入って行きたくなるタチなのだ。

日本のサイトに四川大地震で建物のほとんどが崩壊した村の話が紹介されていた。「中国地震:廃墟と化した雲上の集落」。その記述には「……4500年前の歴史を誇る雲上の集落「蘿蔔寨」が四川大地震で廃墟と化したと報じた。蘿蔔寨は震源に近いブン(さんずいに文)川県雁門郷付近にあり、一帯に住む少数民族チャン族の古代王国の首都だった。その急しゅんな地形のため、ふもとからの接近が難しく、長い間外界の影響をほとんど受けないまま、 1000人余りの住民が暮らしていた。……」。どんな村だったのか、こちらのサイトで探ってみた。山頂に寄り集まった集落、その周りを取り囲む棚田。遠くには切り立った山並み。このようなところで生きていると、時間はどのように過ぎていくのだろうか、思いをはせてしまう。

この村が地震の影響で壊滅状態になっという。風景と生活が一体になったかつての王朝が消え去ったという。あまりの美しさに誰かが嫉妬したとでもいうのだろうか。残念である。

[ MEMO: 先ほど、久しぶりに台湾から戻られた方がたと食事をした。話題は今回の地震で寄付をしたかしなかったか、いくらしたのか、どこそこの会社はいくらで有名人の誰それはいくらで……。これで中国への思い入れがどの程度かが判断されてしまいそうだ。 ]

Friday, May 23, 2008

[廈門] あまりにも酷すぎる……

十日が過ぎ、四川省大地震、復旧が急ピッチで進んでいるようだ。それとともに多くの情報がネットに上がってきている。鮮明な画像が現地の残酷さを見せつけていた。正直見るに堪えられない。

まるで戦場のようだ……

一週間前、解放軍、山間部に入り込み人命救助に明け暮れた。ウェッブには、彼らの必死な活動の様が紹介されていた。それにしても被害地は広大すぎる。解放軍五千人を投入したという。生き残った児童が兵士に感謝の手書きボードを差し出していた。

あまりにも酷ごい……

あまりもの悲劇だ。痛ましい児童の姿には胸がつまされる。

・「まだ生きているぞ!」と叫ぶ医師、その傍らには放置された亡骸。
・瓦礫から突き出した児童の腕。握りしめているのはコンクリートのくず。必死に耐えていたのか。
・巨大なコンクリートの柱が倒れこみ、その下敷きになった児童の姿。頭部だけが見えている。
・瓦礫の中から探し出した娘の亡骸を抱く父親。傍らで泣き叫ぶ母親の姿。
・バイクにまたがる男。背中には女性が紐で縛り付けられている。どこかに運んでいくのだろうか、生死のほどは読み取れない。

これらの写真は、中国国内のウェッブで見つけたもの。他にも多数あり。ほんの一部だが紹介させていただいた。大旗網の中からボランティアで救援に参加していた父親が戻ってきて…というタイトルからいくつか。

他にも新華網(新華社)からの写真なども入れさせていただいた。

[ MEMO: すべてを紹介することなぞ出来ない。すべてを掲載するにはあまりに酷だ。死者はすでに五万人を超えた。 ]

Thursday, May 22, 2008

[廈門] 切断された回線

この期にネットに接続できない。昨日、床に就くときパソコンの電源を落とさず、ネットも繋ぎっ放しで寝込んだ。朝起きるとルーターのライトが消えていた。仕方がない、ではダイレクトにとLANケーブルを差すも信号は届いているようなのだが繋がらない。ルーターはホテルが用意していたもの。ホテルスタッフがやってきてあれこれいじりまくるが復旧の見込みなし。メールのチェックもサイト情報もスカイプでILCの情報も拾えない。こうなるとアタシはいささか焦る。日常の一部になっている行動が阻止される。それだけのことで右往左往し始めてしまう。

結局昼過ぎ、なじみの珈琲店Javaromasにドンと腰をおろして半日を過ごした。ネットに接続し、メールをチェックし、こちらと日本のニュースサイトを訪れ、blogを投稿し、スカイプを開いて誰かが訪ねてきたかを確認し……。何か期待することでもあったというのだろうか、いや別にどーってこともなかった。一日待ってもかまわないことばかりだ。

ルーターの修理は明日までかかる。今晩はどうしよう。不安が残るアタシは、姐姐にショートメールを送り、預かってもらっている荷物の中のアタシのルーターを取りに行くことにした。

ルーターを受け取り、家に戻り、ネット接続を試みるも、切断された回線は元に戻らなかった。原因は不明である。

姐姐の家で食事を御馳走になり、その際に見知らぬ愛国者の話をした。姐姐の話では、日本人を嫌悪する中国人は多い、アモイにもそんな連中がいる。携帯を購入した時に実名を書いたでしょ、日本人だとわかれば彼ら愛国者たちは容易に情報を横流ししてもらうことができる。姐姐、組織とは言っていなかったが、若い連中が集まって相談事をしている可能性はあるといっていた。そんなサークル仲間が嫌がらせに……、もしそうだとしたらとんでもない標的にされてしまったわけだ。

姐姐はアタシに問う、かつて日本人が中国に来て戦争をした、あの戦争は間違っていなかったのかと。まあそうだろうと答えると、ほらほらそんな調子だ、それじゃあれこれ言われても当然なのでは、文句言えないでしょ、と諭された。この地にあってあいまいさは敵だ。イエスだろうがノーだろうが右か左か、白黒はっきりさせなければならない。答えがどうあろうと、そのあとでなければ握手はできない。改めてチャットの内容がいい加減だったかチェックしてみることにした。

姐姐は言う、他に誰かスカイプネームと携帯を教えてないかと。麗江の若造はどうだ?オーそうだ、あいつとは昔からスカイプでやり取りしていたし、仕事仲間だったので携帯も知っている。しかしヤツから情報が流れた?いくら奴でもそれはないだろう。床について考えてみる。そうだ、一昨年末、帰国時に移転通知を出した覚えがある。そこにはこちらの携帯番号とスカイプネームを印刷していた。しかし日本語で、送った先はみな日本人だ。fucking ladyに届くはずはない。

実のところ、fucking ladyに携帯で問い詰めた時、なぜだか怒りの矛先が緩んだ。チャットの彼女と、携帯の向こうでちゃらんぽらんな返事の彼女とが一致しなかったのだ。ついつい俗な話になって、アタシの知り合いにもお前と同郷の人間がいて背が高くて…、彼女が問う、どのくらい、これこれだ、まああたしもそれに近いのよ…。そんな彼女が何故執拗に真夜中無言電話をしてきたり、汚らしい言葉を投げかけてきたり、チャットにまで言い散らしてきたのだろうか。

突然襲った四川省の大地震、突然受けた見知らぬ愛国者の迷惑チャット、そして突然のネット回線の切断……。変な出来事が重なったものだ。

[ MEMO: 姐姐の家に届いた白黒の夕刊。死者は四万人を超えた。久しぶりに完全モノクロ新聞を見た。日本の新聞に色気が出始めたのは割合最近のことだし、それもパートカラー。二十年以上前、すでに台湾の新聞はフルカラーだった。 ]

Tuesday, May 20, 2008

[廈門] 黒白

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒、モノクローム ]昨日から四川電視台の報道スタジオ、照明を落とし、背景を暗くし(背後はコントロールルーム)、衣装は白黒、化粧も薄く、黒の衣服に白の布花を胸に差していた。以外と雰囲気出て、落ち付いて・・・。まさに悲劇の報道にふさわしい。

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒つけよう、どっちなんだ ] 昨日の「見知らぬ愛国者」を読んだシンさん、はやりの小説か映画みたいだといってきた。確かにアタシも韓国映画で執拗に追い続けられる女性の話を見たことがある。アタシはアタシで別の観点から推理してみる。(一応昨日の「愛国者」を読まれたことを前提にします)

・カギとなるのは、スカイプ・ネームとアタシの携帯番号との関連。彼女はアタシを知らないといっていた。もし知っていたらどうなる。携帯で嫌がらせすることはできる。しかしアタシがburikinekoだと知っている人間はここ中国では一人だけ、この間まで中国語の先生をしていた方のみ。とはいえ迷惑電話も、初めてスカイプでコンタクトされたのも先生と知り合う以前のもの。彼女が知ることのできる余地は少ない。

・ここアモイのアタシの携帯番号はアタシの名刺に刷り込まれている。仕事で知り合った方は番号を知っている。銀行・部屋の大家・電力会社やネット契約でも連絡先に携帯番号を書きこんでいる。買い物先やカラオケ屋のお嬢さんと番号の交換はしている。アタシの携帯番号はかなりの人が手にしている。その中の一人か?しかしその誰もアタシがスカイプを使いburikinekoという名前を使っていることは知らない。

・彼女からかかってきた電話番号、スカイプから電話を入れると見慣れぬ番号が表示されるのか。これはあり得る。スカイプでチャットし、スカイプで直接アタシに通話するのでなく外線経由(スカイプアウト・有料)で携帯にかけた。これは同じパソコン、同じ回線を利用したことになるので可能性は高い。しかしスカイプの電話にでないとみるや携帯にかけてきた間の時間をみると、スカイプの電話リストにアタシの携帯番号が登録されていたとしか思えない。そうだとすると用意周到だったことになる。

・もう一つのカギ、何故彼女はアタシに迷惑電話をかけるようになったのか。アタシは中国人に迷惑をかけた覚えはない。どう考えてもない。恨みを買った覚えはない、と思う。いや絶対にない。ではただ単に日本人だからということなのか。半年前の迷惑たわごとはどういうことだったのか。半年たった今ご丁寧に再登場したのはなぜなのだ。

・組織の可能性はどうだろう。彼女、日本の右翼といっていた。こちらの報道で右翼という一言は使われているのか。ここにも右翼がいたとしたら、組織があったとしたら。組織で動けば、アタシのスカイプと携帯番号の関連をつかむことはできるかもしれない。標的を探していたのか、それがアタシだったのか。これはあまりに飛躍しすぎる。しかし個人の力でスカイプ名から携帯番号を、またはその逆をつかむことができるだろうか。

自分に振りかかった難題だが、他人事のように興味深い、面白い。アタシから彼女のスカイプへコンタクトするつもりはないが、今後彼女からアクセスしてくるだろうか、電話は掛ってくるだろうか。その際にはどのように白黒つけようか・・・。

しかしそれでも答えはでない。電話で罵り、スカイプで日本を罵倒する。なぜなんだILCさん。アー、アタシは暇を持て余しているわけではないのだ。早くそんな話は切り上げて自分の問題に取りかからなければならないのだ。

[ MEMO: 四川電視台のメインキャスター、彼女もこれこの通り白と黒の衣装で登場していました。

Monday, May 19, 2008

[廈門] 見知らぬ愛国者

・現在午後二時二十八分。サイレンが鳴り響き、港の何十隻という大小なの船が霧笛を鳴らし始めた。テラスに出て黙祷する。

かなり前のこと、一年はたっていないが、真夜中に二三度ワンギリを受けたことがある。注意しなければと、ログから番号をアドレスに残しておいた。それからしばらくして夜中に再度その番号から電話がかかった。こちらの問いかけには一切答えず、ただただつたない英語で罵り続ける若い女性の声。そこでアドレスに名前を付けた。"Fucking Girl"。彼女と彼女達からは(わきでもう一人女性が加担していた)再度罵声を受ける。こちらもかなりきつい返事を返した。以降電話が鳴ることはなかった。

アタシのスカイプ・コンタクトリストには何人かの中国人女性が上がっている。ほとんどが日本語を勉強中です、よろしくお願いします、ということでアタシのところにやってくる。なかにILC(仮称)と名乗る女性がいた。初めに一度ぐらい挨拶をしたあとはお互い不義理をしていた。昨夜、その彼女からチャットが入った。お互いに自己紹介をし、どこに住み、何をしているのと型どおりにチャットは進んでいった。

何がきっかけでそうなったのかわからないが、突然に彼女、私は日本が大嫌いだ、家には日本のものなんか一つもない、中国製品が一番で・・・。私は愛国者です、聖火リレーで中国人を殴った日本の右翼をあなたは許せますか?日本の首相は靖国に参拝します、日本は中国で何人中国人を殺したと思いますか・・・云々。

はじめのうちは丁重に受け答えをしていたものの、どんどんエスカレートしていく。かなりカチンときたアタシ、「あなたは真の愛国者ではない、あなた達の領導(指導者)の考えを理解していない、あなたは単に人を罵っているだけだ。」と。彼女、意に介せずさらに続ける。これでは交流も糞もない。アタシはそれでも丁重に、そのような態度ではあなたと会話を続けることはできません、よろしいですね、と答える。そして彼女が執拗に迫る問いに答えず放置した。

スカイプフォンが鳴った。彼女からだ。アタシは受けないことにした。と、次に携帯が鳴る。画面には"Fucking Girl"とでていた。

スカイプの友ILCと携帯のFucking Girlを結びつけるものは何もないはずだ。一瞬背筋が寒くなった。アタシは電話を受けることにした。受けなければいつまでも追いかけてきそうだ。「誰?何?以前もアタシに電話入れたよね・・・」、「ない」「私ILC」。先ほど罵り続けていた彼女だ。「どうしてアタシの電話番号がわかったの、知る手だてないはずだろ」、彼女、「私もよくわからないんだけど、ああしてこうしてああやっていたら・・・」。要領を得ない上に何やらぐちゃぐちゃと話す。「酔っているのか?」、返事無し。

アタシのスカイプニックネームはburikineko、ただしプロフィールにはアルファベットで本名が登録されている。携帯の番号は掲載していない。Google CNでburikinekoを検索してみると、アタシのブログとHPが引っ掛かる。ここから漢字の本名は探せる。しかしそれ以外の手がかりはつかめない。彼女に「会ったことあるか?」に「ない、知らない」と答えている。たとえ携帯の番号がわかったとしても、スカイプ名からアタシを引きこむほど手の込んだことができるだろうか。話した限りではできそうにない。そこまで賢こそうにも思えない。そう感じた。

気になったのは、昔のFucking Girlと昨日の彼女と声の質が違うこと。昔はやたら若く跳ねるような声だった。昨日の彼女はだらだらと話し、嗄れ声で、アタシのことそっちのけで一人、日本のポップスを歌い続ける。彼女の電話先を確認してみることにした。

こちらではかなりの範囲までユーザー情報を絞ることができる。携帯からどのキャリアでどこの局でぐらいはウェッブで検索できる。電話を受ければ相手先が分かる。受信拒否ができないのだろう。探ってみるも番号を打ち間違えていると。確かに変な番号だ。どのような回線経路からやってくるのだろう。想像できない。

彼女の背景から数人の声が聞こえていた。仕事場かインターネットカフェか。彼女はホテルの服務員だと言っていた。手がかりは何か。皆目見当がつかない。どちらにしても偏狭な愛国者に捉まってしまったのは確かだ。

真夜中の迷惑電話、執拗な日本への反感にくらべ、携帯から聞こえてきた彼女の声には、どこか投げやりな感を受けた。アタシは不思議な夜を過ごしたことになった。

[ MEMO: こちらは執拗に投げ込まれるピンクチラシ。衝立に飾ってみた。おっと、今日は喪に服す日だった。ピンクチラシはないだろう、こちらの新聞もエンタテイメント系ウェッブだってモノクロだ、ということで写真差し替えました。チラシは後日にでも。 ]

いつもは男性陣を楽しませてくれていたサイトもこれこの通り、モノクロで喪に服している。カラーからモノクロへと対応の遅れたものは、このサイトのようにトップページを入れ替えるか、単純にアクセスできないよう閉じてしまった。

[廈門] 雨季は近い

・「四川大地震 握りつぶされていた!国家地震局研究員の予知

本当なら中国には優秀な地震アナリストがいることになる。

・中国政府は19日から21日まで三日間は「全国哀悼日」、それに伴い、オリンピック聖火リレーも中断という話はもう世界中に伝わっているはず。世界のみならず、国内からも出ていたこの時期に聖火リレーは不謹慎という話、何かいいきっかけを探していたにちがいない。震災発生時がアモイ、我関せずと革命の地、瑞金・井岡山を黙祷もせずに突き進み、北京オリンピック協会は非難の矢面に。さすがにこらえきれず、昨日の杭州ではリレー時間を短縮、結局明日から三日間中断することになった。確か四川省に聖火が入るのが六月十日ごろ、成都は十六日だったか。あとひと月足らずだ。その際には、米国9.11あとのソルトレークシティー冬季オリンピックで、ボロの星条旗を掲げた入場式のようなまねはしないでほしい。あの式典には反吐が出そうだった。

アモイの雨季は近い。夜、気温は下がるものの、湿気が体にまといつき始めた。間もなく本格的な夏だ。姐姐の招待を受け、夕食をごちそうになり、徒歩で帰宅を始めたが、戻るとシャツには汗が浸みこんでいた。部屋のクーラーを入れた。

姐姐の話。同僚のおばさん、海外からの救援隊の話が出た時、日本は瓦礫の下に毒ガスを吹きかけるんじゃない?と冗談を飛ばしたそうだ。冗談とはいえ、すぐさま毒ガスの話が口から出るというのは、それくらいこちらでは反日教育が徹底していたんだろうと、空恐ろしくなった。

[ MEMO: 四川大地震哀悼日、国を挙げて喪に服します。ネココ達も喪に服します。救援活動につかれたネコは、だらしなく酔っぱらってしまい、喪に服せませんでした。反省・・・ ]

Sunday, May 18, 2008

[廈門] 廃墟の花嫁

成都市内からおよそ五十キロあまり北、ボウ州市、ここで婚礼の段取りが進められていた。地元の教会で新郎新婦は記念写真を撮り始める。午後二時のこと。撮影は進み、そして運命の時間を迎える・・・。

MSN中文網にその記録写真が載せられていた。降り注ぐ教会の外壁。埃で真っ白になった参列者たちの衣装、新婦の白無垢のドレスはさらに白く。彼らいわく、何が起きたのかも分からずに夜をむかえ、光のない現場で火を起こし、安らぎが得られた。住民が何かと手を貸してくれ、車を放置し、徒歩で帰路についたと記されていた。

[ MEMO: 今後このようなエピソードがいろいろと紹介されていくだろう。これはそのほんの一部。おそらく日本で紹介されることはないだろうかと記事にした。 ]

Saturday, May 17, 2008

[廈門] 役割は終わった

昨日、テレビのスイッチを入れなかった。被災地の大方の道路が復旧し、救援体制も整い、あらゆる面からの支援もなされるようになった。海外援助隊が現地を目指し、外国メディアも入り始め、報道は正確さを増していくだろう。地震発生後の混乱とも思える報道から五日、アタシなりの目で見てきたものを時間の流れの中でメモってきた。正確さを欠いていたかもしれないし、中途半端に中国語を理解していたかもしれない。全世界に正当な報道が始まった今、とりあえずアタシの役割は終わった。当地の報道陣すら山間部の地名がどこにあるのかも分かっていなかっただろう、闇雲にカメラとマイクを担いで突き進んでいった一地方テレビ局員達、まだまだ伝えなければならないことは多いだろうが、まずはお疲れさんといいたい。

昨日の記事で、気に入った檄文に”地震無情、人有愛情”が穏やかでいいと書いた。四川電視台の記者達、スタジオに戻って一様に語ったのが、取材時に被災者たちから受けた”情”だという。四川台の安藤優子さんが聞き返す、何故ですか?記者、自分でもわからないのです、と答える。記者が情にほだされるのも問題だが、おそらく駆け出しだろう記者達、他局(中央電視台)よりも早く伝えないと、という根性にかけてしまったのかもしれない。殺伐とした被災地を眺め、被災者に触れ、何かを感じ取ってしまったに違いない。

なぜ四川電視台にこれほど肩入れしたのか。単純に“Minority”だから。全国にニュースを、中央政府の政治記事を送り出しているメジャーな中央電視台は、だからこそ切り捨てている部分が多い、だろう。少数派の意見が取り入れられるのは、もしかしたら四川電視台のようなメディアかもしれない、と肩入れしたのだ。

西蔵、聖火接力と外患を抱えていた中国、今回の大地震で国内は完全に一つになった。

[ MEMO: 人民解放軍の救援活動を表す檄文か。被災地を背景に連続して流される。最初に登場したのがこの一連のフィルム。背景には、震源地と思われるあたりの山間の農村が映っていたのだが、報道画面には一度も登場していない。なぜだ。報道の真偽のほどを疑ったのはそのため。もしかしたら違うフィルムを転用して作ったのかもしれない。檄文フィルムだからあり得るのかも。

公式報道は活字が新華社、放送メディアは中央電視台。全世界に流されるのはほとんどがここから。人から人へ、ほんの二十年前まで、口コミが主流な伝達方法だった。それが今では携帯とメッセンジャー。携帯にはカメラもビデオも付いている。いつも手の中にあるから、これという時を逃さない。今回もblog上に多くの投稿がなされている。一つの投稿がメジャーに負けないことだってある。強力なメッセンジャーとしてQQというのがある。昨年、アモイ近くにPX建設が始まるといった時、デモに加わろうという口コミの大部分は携帯とQQから行われた。もちろん官憲だって利用する。アタシの携帯にも、建設時期について話し合いを始めたからと政府機関からメールが届いた。 ]

[廈門] あとは死者の数が予想を下回ることを願うのみ

・救援体制が整い、国中が団結し、お互い助け合い・・・あとは亡くなられた方の数が予想を下回ることに望みをかけることか。
・人心を鼓舞する檄が次々と画面上にあらわれる。誰がこれほどタイミングのいいキャッチをつくるのだろう、実に的を得ている。優秀なコピーライターだ。
・アタシが気に入ったのは”地震無情、人有愛情”。穏やかでいいでしょう。

・総書記が現場に入った。うーん、遅きに失したか。総理の、型にはまらない視察がとても印象的だっただけに。

・あちこちチャンネルを彷徨ったが、やはり四川電視台に戻ってしまう。中央電視台が上から目線なのに対し、四川台は同じ目高。地元だけある。
・今日もスタッフの労をねぎらう番組がほんのちょっと流れた。みな若い。兵隊の行軍に手を借りながらついていく様には愛らしさまで映っていた。
・悲しい光景をいやというほど見せられたが、一番恐ろしかったのは、瓦礫を取り除いても取り除いても現れない中学生たちの亡骸。
・画面の向こう側の人たちとともに歓声をあげてしまうのはやはり救出シーン。
・しかし四川電視台、24時間体制の報道特集、広告も一切入れず、いつまで続けるつもりなのだろう、もう丸四日を過ぎている。それにしても女性記者が目につく。それも若い。危険地帯へよく突っ込むものだ。
・四川電視台の安藤優子さん(いや圧倒的に若いので比較するのは申し訳ありませんが・・・)、さすがにお疲れさんか、今日は出番が少なかった。
・いつもはチャンネルを回すことのない遠い四川の電視台、記者の皆さん、とても記憶に残りましたよ。お疲れ様でした。まだまだ続くのでしょうが、とりあえずおやすみなさい・・・。

今回テレビを見続けて感じたのは、一皮も二皮も剥けた報道姿勢だった。騙されたかと思いながらテレビを見ていたが、情報が統制されたのではないかという感は最初のほんの一瞬だったような気がする。三十二年前の唐山大地震とは大違いである。

会社の営造部に天津出の経理がいた。彼と話をしていたとき、唐山大地震の際、天津でも大量の死者が出たと語った。道路わきには死体がごろごろしていたという。はじめて聞いた話だ。このときは二十四万人が亡くなっている。

昨日は朝から夕方までテレビに貼りついていた。画面がひと段落ついたかと踏み、仕事に取りかかった。馴染みの珈琲店に出向き、今日は客が少なく、いても静かで、仕事ははかどった。おかげで日曜日翻訳依頼は一日早まった。

さあ今日からは平常生活に戻るぞー、といっても今のアタシ、何が平常なのか、自分でもわからず、ましてや人に話すこともできない。

[ MEMO: 神戸はテレビで、台湾は現地で瓦礫の山に驚かされたが、今回はその比ではない。どう処理するんだろうと変な心配をしてしまった。 ]

Friday, May 16, 2008

[廈門] 四川電視台と中央電視台

中国四川省大地震で亡くなられた方々のご冥福を・・・

(記事は随時更新しています)

昨夜から四川衛星台のほか、中央電視台と二つのチャンネルを切り替えてみるようにした。中央電視台、流石に情報内容が厚かった。専門家を呼び、分析し、あらゆる方面からの情報提供がなされている。

災害対策、あらゆる面で実に手際よい対応を見て取れる。かなりしっかりした災害時のマニュアルができているのか。まさかこれほど、拝馬屁ではない、率直な印象だ。

[memo]
・湖錦涛総書記が動いた。成都飛行場で温家宝総理の出迎えを受ける。うーん「風林火山」か・・・
・「・・・むしろ情報の透明化によって、デマの流布を止め、国民の団結が強化される効果があった。中国政府はここまで計算していたのだろうか?・・・」「四川大地震で見えてきた『新しい中国』」(徐 向東氏中国市場戦略研究所代表)
・テレビ画面の背景に山の地肌があちこちで見られる。繰り返し放映されるので、注目して観察してみると、足元には道路、工事の際根元を削っている。平地をつくるために切り取っている。安定していた地形に手を加えることは恐ろしい。
・青海省は四川省の隣、震源地の山を越えた向こうにある。成都への出稼ぎ者も多いはずだ。ここの衛星テレビ局にも目をとおしてみる。回教徒の多い、草原の続く美しい地方だという。地震情報番組は中央電視台を受けていた。現場はあまりにも遠い。
・四川衛星台のスタジオゲストの多くは視線を下げて呼んでいる。仲間の記者、志願者、民兵、中央電視台との違い。
・もう一人四川からアモイに来ている女性を思い出し、ショートメールでご家族の安否を尋ねる。問題ないですと返事、そして彼女の仕事「足裏マッサージ」においでくださいと付け加えられていた。
・ポップス支援歌が昨日から流され始める。
・温家宝総理、日本にはいないタイプの政治家だ。

[四川台]
・感染症予防は一昨日から始まっている。山間部でも、道際、仮説ベット、寝具などに消毒液の噴霧を始めた。兵士は営倉に戻っては両手を液につけている。
・昨日のニュース。ダムの対岸に住む村民、水路撤退を始める。道路が切断されていない地区の人間は陸路被災地を去る。長い列が続く。老人を仮設の輿にのせ下山する光景も多い。
・映像に撮影日と場所のスーパーが入り始める。
・山間部、道路切断で孤立した小さな小さな村に入り援助物資を持ち込む小隊ほどの軍に同行するカメラ。巨大落石を乗り越え入りこむ。
・午後四時半、美型キャスター登場。目の周りが腫れぼったい。中央電視台に先立ち24時間体制で登場していたのだ、疲れもたまっているだろう。
・山間部は戦場のようだ。ヘリが飛び交う。村々をまわって救援物資を渡し、交代要員を引き上げ、患者を乗せ・・・。
・年少者の被害が多いのは平日の昼間、授業中に被災したため。多くの校舎が耐震不足で倒壊している。山間の中学校、瓦礫を取り除いても取り除いても出てくるのは教科書、靴の片割れ、ほこりまみれの衣服、首からかける学生証、人影はまったくない。昨夜、美型キャスター、ここを取材中の現地記者とやり取りしている最中声を詰まらせた。
・亡くなられた方々の名前と年齢、出身地がテロップで流され始めた。
・インタビューを受けていた民兵、現場の状況を語っているうちに気が動転、嗚咽、そして気を失った。周りの人たち、あわてて彼の口を開けて呼吸手当。
・ダムのある村、救援活動中に土砂崩れ、村が土煙であふれる。あわただしく被災者を移動させる民兵たち。
・都江県、ボランティアが支援物資を長い列をつくり手渡しリレーでトラックまで運んでいる。インタビューの合間、一人の若者を指さし、「今日は彼の誕生日です」。
・日本からの救援隊が昨夜到着、インタビューを受ける。
・ボランティアは腕に黄色のテープを締めている。
・さすがローカル局、中央台と比べると抑えどころが細かい。美人アナウンサーは安藤優子さんばりに番組を仕切っている。同じフィルムを何度も繰り返すが、中央台と比べるのはかわいそう。

[中央台]
・がれきの下から顔をのぞかせ、気丈に大丈夫、みんなが脇にいてくれるからと語る女性。救出されると手を振りマイクに向かい感謝のメッセージを。
・CENC(中国地震信息センター)、昨日まで6M級の余震が何度か起きていたが、今日は減っているとデーター。
・ブン川県城地震発生十分後に撮影された市内の状況が放映された。大通りを右往左往する群衆、道路は粉じんが舞って視界が利かない。倒壊した建物なし。
・白人系の観光客が撮影した観光地で発生時の光景が放映。彼ら、バイクできていたらしい。バイク上から撮影。倒壊はしていないが、建物の一部が破壊されている。

[ MEMO: 昨夜から四川衛星台のほか、中央電視台と二つのチャンネルを切り替えてみるようにした。中央電視台、流石に情報内容が厚かった。専門家を呼び、分析し、あらゆる方面からの情報提供がなされている。 ]

Thursday, May 15, 2008

[廈門] 四日目

中国四川省大地震で亡くなられた方々のご冥福を・・・

[追記 : 8:30pm ] 五万人かー。キツイナー。

山間部の町、潰れた小学校、病院、小学生が、入院中だった老人が救出された。広場に安置された遺体の列、その間をさまよう家族。青いテントをはがしてはまた次へと進む。人命かー。やはりテレビから目が離せない。

総理が被災者の中に入って語りかける。明確で分かりやすく語る。檄を飛ばし、拍手を誘い、涙を流させる。とてもわかりやすい政治家だと感じた。横たわる老婦人に話しかける。老婦人が「温家宝?」「そう温家宝ですよ」。

四川省の災害コントロール室に記者が入った。大画面と何十台も並ぶモニター、まるでシャトルのコントロールルームのようだ。道路災害状況が一目でわかる。

やはりテレビにしがみついているアタシがいた。

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ようやく震源地付近の山間部の映像が流されはじめた。サイトに上空からの光景が載せられはじめた。携帯に赤十字から寄付以来のメールが入った。

各地で生き埋めになった人たちの救出シーンが映し出される。

山間のコンクリー道路、被災者が現場を離れ移動している。長い列だ。真っ赤な布地に「陸軍がやってきた!」とかかれた軍用トラックが道を埋めている。・・・

一瞬山間の村落を上空から写した写真が画面に流れた。一面の緑のなかに民家が点在している。どの家の周りに白っぽいものが点在していたのは何なのか、屋根が落ちた証なのか。と目を凝らしたら、すぐに口元の色っぽい女性アナウンサーに切り替わってしまった。・・・

援助物資を上空から投下するシーンが数フレームだけ映された。・・・

いささか地震報道を見るのに疲れてきた。被災一日目に流された山間部の映像はどこだったのだ。上空から見た震源地あたりの村はどこなのか、そしていつ撮影されたのか。ダムと思しきコンクリート壁をよじ登った上には何があったのか、皆説明なしの中途半端な映像である。見ていてイライラしてしまう。

報道競争のない状況、ヘリが我先に飛び回ることはない。いや、どこかかがすでに災害状況は把握しているだろう。分かってきたことは情報のタイムラグ。

重機が瓦礫を撤去し、消防や省政府の救援隊の活躍に始まり、市民ボランティアが駆けつけ、赤十字のテントが張られ、そして軍が溢れるように登場し始めた。迷彩服、災害に挑戦する標語の書かれた赤旗を振る姿は絵になっている。皆が、国民が一丸となって困難を乗り越えようとしている。画面から受ける印象だ。

報道の先走り、過剰な報道攻勢、他社よりも一秒でも早く、そんな印象だった日本の報道番組を見ていたアタシは今、チャンネルを変える手段を持っていない。ただただリークされるように一瞬映し出されるシーンから、オー何かあるのかなーと推測するばかりである。

あるスカイプの友、アタシのコメント欄「亡くなられた方々のご冥福を・・・」と書きいれたのを見て「ありがとうございます」と返事がきた。当然のことに感謝されていささか恐縮した。

ん?聖火はいつ成都に入るんだったっけ?被災地の西方で起きていた世界が注目していた事件はその後どうなっているのか?このところ四川衛星電視台しか見ていなかったので他の情報に疎くなってしまった。思惑どうりか、アタシは乗せられたのか・・・。アタシはアタシの生活に戻ることにした。やらなければならないことが残っているのだ。ガッコの先生に翻訳を依頼しなければならない。

[ MEMO: 震源地付近の地図。中国谷歌(Google)から。G108号線沿いのほとんどの都市、そして左側山間部のすべてで被害が出たという。震源地はG213マークあたりと思われる。 ]

Wednesday, May 14, 2008

[廈門] 四川電視台

中国四川省大地震で亡くなられた方々のご冥福を・・・

いまだ被害の大きさが見えていない。テレビ画面には、あっちで一人こっちで一人、瓦礫から救出される被災者の姿が映し出されている。数万の人たちが行方不明だというから恐ろしくなってくる。

今回の地震報道を支えているのが四川電視台。震源地四川省の衛生テレビ局である。他の衛星テレビ局が通常番組の中での報道にとどまっているなか、地震報道をはじめて24時間体制休みなし。地元だから当然だろうが、四川電視台頑張っている。それに救援と報道の公平性みたいなもの、漢族と少数民族の差が感じられず、いやそんな余裕もないのだろうが、よかったのかなと。とはいえ、少数民族の多く住む山間部には、ヘリでまず武装警官隊が入いり、そのあと報道と救援隊が陸路遅れて入れたようす。場所によってはなんらか報道制限、内容ではなく、されていたのかもしれない。アタシの推測であり正確ではない。

昨夜、四川電視台は中休みの番組をほんの少し、流したフィルムを編集して放映した。お疲れさん番組、電視台のニュースキャスター、現場記者たちの活躍ぶりを紹介した。登場したのはほとんどが女性。ホッとしたひと時でもあった。おー、どっかの国と似ているのでは・・・。ところで四川電視台を日常看ている人間はどのくらいいるのか、省内の人間に外地にいる四川出身者か。それでも日本の人口近くいるんだろうなー。今回の件でキャスターも現場記者も全国に知られるようになったに違いない。がんばれ四川電視台。

中国は途方もなく大きい。彼らの故郷までどのくらいかかるの?近い近い八時間。八時間は近いのか。一つの省は一つの国だ。それだけに地元意識が強い。隣の省にあるものがこちらにないのは耐えられない。争っている。しかし画面に出てくる四川人の話す言葉は難解だ。アタシにはお年を召した方の話が皆目理解できない。むしろ少数民族と思われる人の話のほうが聞きやすい。

さきほど衛星通信車の映像が入ってきた。軍用飛行場から現場を離れる温総理の姿を映しだしていた。

[ MEMO: 四川電視台の方々と現場での姿。馴染みになった感がある。 ]

[追記] こんな話があるのか・・・。”「なんでも評点」他所ではなかなか読めない世界各地の珍しいニュースを読み物風にわかりやすく”というサイト。タイトルは「巨大ダムが四川省地震を誘発した可能性も皆無ではない?」。三峡ダムを指している。世界中で大型のダムができると、その周辺で地震が起きるというのだ。 そこには、「・・・2006年8月、香港の中国人権情報センターは三年以内に三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性があると発表した。また中国国務院の温家宝総理もこの件について憂慮しているとも添えられている。同発表によると、当局は1993年より同ダム近辺についての地質調査を行っているが、その結果および重要な地質資料が極秘となっている為に、外部機関が精査することが出来ないとしている。・・・」。

午後になると山間部の映像が入るようになってきた。徐々に震源地に近付いている。四川電視台は切れ目なく被災地に貼りついている。

Tuesday, May 13, 2008

[廈門] 四川省のスカイプの友

中国四川省大地震で亡くなられた方々のご冥福を・・・

朝からテレビを開け放している。四川衛星テレビ局は地震関連報道を切れ目なく続けている。中国MSNの主頁には、リアルタイムで亡くなられた方の人数をのせている。当地朝十時現在で9219名が亡くなられたという。地震情報で、アモイに聖火がやってきたニュースは片隅に追いやられていた。四川省のチベット少数民族自治区で地震が発生したことも皮肉だ・・・。

昨夜は日本のネットから地震情報は開けなかった。突然に四川省の首都、成都にスカイプの友のいることを思い出した。開けてみると彼女のスカイプは眠ったままだ。インフラがやられたのだろうか。それでもメッセージを送っておいた。

しばらくするとチャイムが鳴った。彼女からの返信である。この時点、成都では50名が亡くなられていた。返事には「ごしんぱいかけました」「だいじょうぶです」。日本語の本科卒業、地元の会社で働いている彼女、よほど緊張しているのだろう、漢字に変換されていない。続けて「四川はたくさんの人が亡くなりました」「とっても悲しい」。ようやく漢字変換されてきた。真夜中である、心配して、ゆっくり休んでくださいと送ると、「・・・ねるきになれません」。気持ちを抑えて・・・というと、「でもやはりなきたいほど悲しい」。それでも気を取り直したのか、最後には「災害に挑戦しましょう」と逆にエールを送られてしまった。

まだ現地からのビデオは届いていないらしい。ほとんどが昨夜撮影したもの。代わって、blog上に携帯で災害の様を撮影したビデオや写真がどんどんと投稿されてくる。かつて、神戸で起きた被災地に入った友人、当時の携帯にカメラは搭載されていなかったし、バッテリーの持ちも悪く、間もなく通信不能になってしまい心配したものだった。様変わりも激しい。同様なことが聖火リレーでも起きている。さすがに国内で見ることはできないが・・・。

聖火リレー、昨日一日がかりでアモイ本島を走り回っていたようだ。朝方は気にとめていたものの、いつの間にか忘れてしまい、晴れ渡り気温も上昇夏気分、出かける気にならず、夕方、日が落ちて外に出た。いつもの珈琲店に向かうと、今日はやけに人通りが多い。と、若者たち、大きい赤い旗小さいオリンピック旗、胸に国旗のシール、おーそうだった、リレーが終わったのだー。前を歩いていた毛唐の青年に一人の若もの、旗はいらないか、差し上げると囁く。青年、いやいやいいですよ。そのやり取りを見ていたアタシ、彼に微笑むと、青年、掌を小さく開いて見せた。彼、どっちの旗を振りたかったのだろう。

おっと、MSNニュースのリアルタイム死亡数欄が消されている。ちょっとまずったかな。

徐々に現地からのフィルムが放映され始めた。しかし一万人近い死者を出したといわれる震源地からのものはまだない・・・。( 記:08/05/13 11:36am )

[ MEMO: 徐々にテレビで地震の詳細が。しかし震源地周辺の情報で、まだ大惨事が起きていると思われる震源地からのものはない。心配である。 ]

[追記] なぜ震源地からの情報がないのか、GoogleMapであたりを探ってみたらこれこの通り、急峻な山間地である。ここに向かう道も一本しか見当たらない。平地には整備された高速道路が網の目のよう。最大の被害を出した北川チャン族自治区もどうやら都市部から切り離された場所にあるようだ。もしかしたらやはり山間地かもしれない。

[追記-2] 正確な地図を見つけたので修正します。被害の大きかった場所は山間部、少数民族の住む場所。ドイツのメディアがちょっと過激な情報を流していましたが、アタシはちょっと違った印象を受けています。

Saturday, May 10, 2008

[廈門] Cafe Javaromas

三月末、帰国に際し部屋を解約した。一年契約だったが、三カ月前倒しで部屋を出た。おかげで前頭金の一カ月が戻らなかった。日本から戻ってみると、定住場所がないことの浮浪感みたいなものが出てきた。面倒見のいい人妻が単身公寓というサービスアパートメントを用意してくれていた。そして気がつけば一カ月をここで過ごしていた。本来なら台北か上海かに定住の場を移していたはずである。

掃除は部屋代に含まれているし、一応の調理用具もあるし、洗濯機も冷蔵庫も衛星テレビも見れる。30平方米は優にあり、キングサイズのベットだ。一カ月長期滞在で予約すると一日110元、日本円で約1600円。21階、目の前に国際フェリー埠頭が眺められる。足元には24時間営業の小さいが日常必要なものほとんどが手に入るコンビニがある。毎日のようにピンクチラシがドアの隙間に挟まっていることを除けば、便利で居心地のいい場所だ。

居心地はいいが、仕事には向いていない。有線無線のLANありでネット接続に不自由しないが、問題はデスクだ。ソファデスクではすぐに腰が痛くなる。長時間作業には向いていない。何しろ今はオフィスがない。パソコンが唯一のワーキング・ツールだ。結局、歩いて二十分ほど、人造湖脇の珈琲店に長居しながら作業をしている。運動不足と孤独な日常を回避させる有効な手段になった。しかし毎回25元、400円近くが消えていく。

この珈琲店、Cafe Javaromas for Coffee Lover... という。オーストラリア人が開いた。ボスの名はJames。自分の名前をもじって店の名前を付けたそうだ。二年前、アモイに足を踏み入れて間もないころ、ホテル現場の設計顧問に連れて行ってもらったのが始まり。客は毛唐ばかりという当地では風変りな店だった。家から歩いて五分ほどだったし、何より珈琲らしい珈琲を口にできる店が他になかった。休みの日に一人出かけて行ったものだ。しかし今や半分以上が中国人客にとって代わられている。彼らもコーヒーもピザも口にする時代へと変わってきている。

火曜日は「ピザ一枚注文するともう一枚サービスします」の日。昔はこれ目当てに出かけては一枚持ち帰り、翌日の朝食としていた。しかし今はこの日だけは避けることにしている。何しろ、このサービス、皆に知れ渡り、朝から晩まで客でみせがあふれてしまうのだ。落ち着けるものではない。

半年ほど遅れて麗江の若造が仕事場に加わった。麗江に行くまでの半月、アタシの家に居候していた。部屋を提供してもらっているというので、しばしばこの店に出かけ奢ってくれた、のはいいのだが、丁度この店に新人の店員が加わったばかり、かわいらしい子で、麗江の若造、彼女を見るなり「携帯の電話教えて」・・・。こんな調子だから会社の金で女囲ってボスに見つかってしまうのだ。

彼女、今でもこの店で働いている。毛唐客が多い、客と簡単な英語でのやり取りが必要とあってか、店員の質はほかの店よりもよかった。しかし他の店員は辞めてはまた新人が、そしてまた入れ替わり・・・。何しろ仕事がきついらしい。朝の七時に始まり、真夜中一時閉店。それを一交代でこなさなければならない。手にできるお金も千元に達しない。当時からの顔見知りは今ではわずか二人、チームリーダーだけが残っている。

この店は居心地がいい。落ち着くのだ。ゆったりとした椅子と騒がしくない客たち。いつまで粘っても文句ひとつ言わない店員。無線ランは無料だし(このあたりの店は皆LANサービスを用意している)、みなパソコンを持ち込んでいじくっている。バックグラウンドに流れるサウンドは、古き良きポップス。耳に心地よい。一人ボケっとしていると、英語・ドイツ語・伊太利語・西班牙語、亜剌比亜語に聞きなれない東欧系、韓国語に時には日本語すらも聞こえてくる。そしてもちろん中国語に台湾語も。残念なことに、中国人客が増えるにつれ、携帯の呼び出し音と大きな声でのやり取りが耳障りこのうえなくなってしまった。

ボス、オリンピックを目当てに北京に店を出すらしい。いま改装中だそうだ。

[ MEMO: やっぱり気のおけない仲間はネココ以外ない。ウェッブで見つけた酒飲みネココ。もう一枚あったのだが、それは酔いつぶれたネココ。といっても、だらしなく寝込んでいるネココの脇に人間様が飲みほしたビール缶を添わしただけだが・・・それにしてもネココは可愛らしいのだ。 ]

Friday, May 9, 2008

[廈門] jazzy!いや華やかなのだ

この街を歩いていると、若い女性のファッションに目が向いてしまう。おーそこまでやるかー、めちゃくちゃとも思える着重ね、あふれる色、刺繍しまくりのGパン、そして穴だらけ、かつへそから下へ日々下がり、いまや十センチ以上。いやいや華やかかつ大胆なのだ。花不垃圾、[花 hua][不 bu][土+立 la][土+及 ji]。はやり言葉である。当然若者にしかわからない。色とりどりの衣装、小物などの様を指すらしい。中国語の若き教師が教えてくれた。

当初、いやかなり昔から、中国圏の色文化には違和感を持っていたが、住めば都か、いまでは楽しんでいる。台湾で初めて見た廟、驚きの華やかさだった。間違いなくセンスを疑った。それがどうだろう、今では街を行き来する若者たちのファッションを楽しんでいる。そう、お金をかけたポップカルチャーの浸透だ。KTVの歌手は言う、「男性はブランドもの、女性は流行もの」。彼女は黒をベースのはやり衣装を着こなしている。

ここの若い女性に人気なのが韓国発のファッション。ネットショップでかなり手ごろな価格で購入できる。韓国、衣装にしろ携帯電話にしろ、安く華やかな製品を切れ目なく供給している。これはここで商売する上での強みだ。こちらの女性があたしに聞く。「なぜ日本の女性は同じ服しか着ないの?」。彼らにはそう見えるらしい。

街を行き来する女性が目につく理由に、その見栄えの良さがあげられる。夜目遠目笠の内とはいえ、なにしろガタイがいい、歩く様がいい、顔が小さく、腰が細く、足がまっすぐで膝頭が小さい。昔、ロスの空港で車を待つ間、さまざまな人種を観察していると、残念ながら日本人、歩く様が悪い。膝から下で歩いている。ほかの人種は?というと太ももで歩いている。中国人、幼少の時からガッコで正しい歩き方というのを教育されている。見栄えのいい歩き方をだ。その連中がはやりの衣装で動き回れば、いやがおうにも目についてしまう。

ちょっと待て、若造はどうだ。そういえば流行りもの好きな若造、ラップを踏んで歩いているなー。もう一つ、こちらの女性の髪形、ポニーテールである。ひっつめ黒髪にポニーテール、健康だった戦後の米国を思い浮かべる。

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このところ写真を撮っていない。町中の光景やら人やらをと思い、携帯のカメラを開放したまま湖畔の珈琲店のデッキ席に着いた。対応したウェイトレス、カメラレンズカバーが開いているのを目ざとく見つけ、眉間にしわを寄せ、唇をひん曲げた。オット、某大学教授(助教授?)のように濡れ衣を着せられてはたまんない、で以降写真を撮っていない。というわけで、このところ掲載写真は全てネットから借用しております、あしからず。(写真を借用するに際しては、何しろ匿名性の高いものばかり、かつ転載の転載の転載、断りの入れようもないのであります。ご了承ください。)

[ MEMO: あるネットから借用の写真。あるイベントのコンパニオン。かくも華やかな衣装に身を包んでいる。結構アタシは好きなのだ、この色柄の組み合わせ。 ]

Thursday, May 8, 2008

[廈門] 先のことなぞ・・・

二年前、アモイに初めて足を踏み入れた時、元ボスが昼飯に連れて行ってくれた。羊肉面(簡体字で麺は「面」と記す)。出汁の濃厚な味と羊の肉とがよくあった美味な麺であった。八元、路地裏の麺が三元、高級麺である。一年ほどたち、価格は十二元に跳ね上がった。そして今年、さらに三元上乗せされ、十五元にまで高騰した。悪いことに、だし汁は薄味になり、羊肉の風味が薄まっていた。なぜだ、と聞いてみると、客の好みに合わせたという。うそだろー、原価を下げただけだ。

この店に限らず、ここアモイでの物価高騰は激しい。一年で20%ほど上昇したという。それに伴い、公定給与も15%上乗せされた。麺店に限らず、価格を抑えたと思しき場面にしばし行き当たる。先日入った日本料理屋、天ぷらが使い古しの油味、口にできなかった。麗江の若造、腹が減っていたのか、気にもせずほおばっていたが、店を出るや腹を抑えていた。

企業業績も昨年に比して落ち込んでいるという。いや昨年が異常だったのだが、売上の横ばいと下降、一攫千金を目指し、都市へと流れ込む投資は激しい競争にさらされる。しかしここでの業績、粗利が50%というのは当たり前だそうで、なかには100%200%という不動産投資の話も聞く。店を開いても、半年で元が取れなければその事業は失敗、早々と他人に売り渡すことを考える。「金」が読めないアタシにはただただ驚くことばかりである。

学歴社会は歴然としている。それでも大学出がホワイトカラー職に就けるとは限らない。何しろ、一つの総合大学、学生数三万人というのは当たり前、毎年一万人近い社会人が生まれてくるのだから大変だ。受け口は限られている。半年一年の就職浪人もごろごろしている。就職捜しはネット、広大な中国、各地から面接にやってくる。そのための旅費もばかにできない。めでたく就職できても、ひと月働いた後に、ここおれには合わない、別を探す、といって去っていく者の多い。おかげで会社は四六時中人探しに追われている。元いた会社、この面接に幹部が時間を食われていた。「明日の午後はインタビューで・・・」と。その数を自慢する幹部も幹部である。原因がどこにあるかなぞ考えもしない。

大学出がそんな様、高卒は難関である。ほとんどが接客業に。馴染みの珈琲店で働く女性、大半は地方の農村出、小学校を出ただけのお嬢さんもいる。その子が、西洋人客の多いこの店で、巧みに英語で接客している姿を見るとちょっとうれしくなってしまう。大学入試資格を取ったものの、両親の離婚で大学をあきらめた子がいた。西洋人がこれほど出入りする店も珍しい、何か自分に役立つだろうと働き始めたという。しかし結局得るものがなさそうといって店を去ることにした。アタシの傍らにやってきて、携帯に自分の番号を打ち込み、何かあったら連絡ちょうだい、とこともなげに言ってのけた。彼女、ビジネスチャンスを広げたのだ。

誰もが先のことなぞわからずに動いている。今の中国、先を読もうにも読めない。あまりに動きが急激すぎるのだ。あと二三年はこんな状態が続くに違いない。ルールが定まっていない。だから今が面白い。アタシだって明日が読めずにアモイに留まっている。

[ MEMO: 日本から戻り、アタシは今ワンルームマンションを利用したホテルに滞在している。目の前に竣工したばかりの国際埠頭を見下ろし、口に糊のネタを作っている。一日中部屋に閉じこもっていると、どこかの台湾人みたいになってしまいそう。午後は馴染みの珈琲店に出向き作業をしている。長期滞在契約をすれば日本円で月三万円の部屋代。はじめからそうしていれば「金」に縁があったかもしれないと思ったりしている。読めないのだ、先のことが。 ]

Wednesday, May 7, 2008

[廈門] 聖火が町にやってくる

ここアモイで出会う人間が政治を語るのを聞く機会は少ない。興味がないのか、語りたくないのか。それでも「日本人」と「南京」との関係は結構しつっこく問い詰められる。悪意を持っていわれるわけではないが、30万人が・・・といわれると「できるわけないだろー」と言い返している。

オリンピックは政治なのか純スポーツなのか、まあどちらもだろう。東京だってそうだったし、ソウルだってそうだった。ヒットラーは純粋に国策を謳っていた。ここが違うなんてだれも思っていやしない。そもそも夏のオリンピックなぞ興味を持ったことがなかった。今回もそうだ、ったのだが、聖火が香港に到着するや否や、テレビと新聞は今までの苦渋の報道から解放されてか、連日連夜聖火報道でにぎわっている。否が応でも耳にし、目にすることとなった。

ウェブニュースのオリンピック関連記事も華やか極まりない。四月末日が開会式まであと100日ということで、万里の長城は赤い旗と群衆で埋められていた。北京の天安門広場では、ボランティアの若い連中がこぶしを差し出し、[“你我同心”“同一个世界,同一个梦想”](中国語)、「同じ心」「一つの世界、一つの夢」とシュプレヒコールが聞こえてくる。

香港に移る前、韓国ですったもんだした聖火が朝鮮にわたっている。「同じ心」「一つの世界、一つの夢」は、ここで見事に花咲いたらしい。1枚の写真がそう語っている。この「同じ心」「一つの世界、一つの夢」、自由主義社会では勝手が違うのだろう、聖火を見守る沿道には、始終二つの旗が振られていたようだ。割りを食ったのはフランスか。ここアモイにもカルフールがある。カルフール不買運動とデモが不定期に盛り上がっているこの地、それでもアモイはわれ関せずらしい。彼らはお金を愛し、身を飾ることを受け入れている。

ファッションという世界、身を飾ることを売りにしている業界は目ざとい。オリンピックを応援しましょう、私のファッション雑誌は4周年目を迎えました、オリンピック特集を組みました、みなさんお買いになってください・・・。細身の八頭身モデルが種目をシミュレーションして見せてくれている。オリンピックは商売ネタでもあるのだ。彼ら、決してこの機を見逃すことはない。

聖火がアモイにやってくるらしい。今日は確か広州あたり、沿道を真っ赤に染めた中を走り抜けているようだ。そしてアモイ。12日土曜日だという。さあ旗でも振ってみるかー(いや冗談冗談)。

[ MEMO: ウェッブ上のオリンピックの記事の脇には、精神異常の女性が全裸で街を徘徊し警察に保護された写真付きの記事が。町はあまりにも急激に動きすぎているのだろう。アタシがシンさんに送ったメールで、ここでは優しい顔の女性を見る機会が少ないと。 ]