昨日、テレビのスイッチを入れなかった。被災地の大方の道路が復旧し、救援体制も整い、あらゆる面からの支援もなされるようになった。海外援助隊が現地を目指し、外国メディアも入り始め、報道は正確さを増していくだろう。地震発生後の混乱とも思える報道から五日、アタシなりの目で見てきたものを時間の流れの中でメモってきた。正確さを欠いていたかもしれないし、中途半端に中国語を理解していたかもしれない。全世界に正当な報道が始まった今、とりあえずアタシの役割は終わった。当地の報道陣すら山間部の地名がどこにあるのかも分かっていなかっただろう、闇雲にカメラとマイクを担いで突き進んでいった一地方テレビ局員達、まだまだ伝えなければならないことは多いだろうが、まずはお疲れさんといいたい。
昨日の記事で、気に入った檄文に”地震無情、人有愛情”が穏やかでいいと書いた。四川電視台の記者達、スタジオに戻って一様に語ったのが、取材時に被災者たちから受けた”情”だという。四川台の安藤優子さんが聞き返す、何故ですか?記者、自分でもわからないのです、と答える。記者が情にほだされるのも問題だが、おそらく駆け出しだろう記者達、他局(中央電視台)よりも早く伝えないと、という根性にかけてしまったのかもしれない。殺伐とした被災地を眺め、被災者に触れ、何かを感じ取ってしまったに違いない。
なぜ四川電視台にこれほど肩入れしたのか。単純に“Minority”だから。全国にニュースを、中央政府の政治記事を送り出しているメジャーな中央電視台は、だからこそ切り捨てている部分が多い、だろう。少数派の意見が取り入れられるのは、もしかしたら四川電視台のようなメディアかもしれない、と肩入れしたのだ。
西蔵、聖火接力と外患を抱えていた中国、今回の大地震で国内は完全に一つになった。
[ MEMO: 人民解放軍の救援活動を表す檄文か。被災地を背景に連続して流される。最初に登場したのがこの一連のフィルム。背景には、震源地と思われるあたりの山間の農村が映っていたのだが、報道画面には一度も登場していない。なぜだ。報道の真偽のほどを疑ったのはそのため。もしかしたら違うフィルムを転用して作ったのかもしれない。檄文フィルムだからあり得るのかも。
公式報道は活字が新華社、放送メディアは中央電視台。全世界に流されるのはほとんどがここから。人から人へ、ほんの二十年前まで、口コミが主流な伝達方法だった。それが今では携帯とメッセンジャー。携帯にはカメラもビデオも付いている。いつも手の中にあるから、これという時を逃さない。今回もblog上に多くの投稿がなされている。一つの投稿がメジャーに負けないことだってある。強力なメッセンジャーとしてQQというのがある。昨年、アモイ近くにPX建設が始まるといった時、デモに加わろうという口コミの大部分は携帯とQQから行われた。もちろん官憲だって利用する。アタシの携帯にも、建設時期について話し合いを始めたからと政府機関からメールが届いた。 ]
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