・救援体制が整い、国中が団結し、お互い助け合い・・・あとは亡くなられた方の数が予想を下回ることに望みをかけることか。
・人心を鼓舞する檄が次々と画面上にあらわれる。誰がこれほどタイミングのいいキャッチをつくるのだろう、実に的を得ている。優秀なコピーライターだ。
・アタシが気に入ったのは”地震無情、人有愛情”。穏やかでいいでしょう。
・総書記が現場に入った。うーん、遅きに失したか。総理の、型にはまらない視察がとても印象的だっただけに。
・あちこちチャンネルを彷徨ったが、やはり四川電視台に戻ってしまう。中央電視台が上から目線なのに対し、四川台は同じ目高。地元だけある。
・今日もスタッフの労をねぎらう番組がほんのちょっと流れた。みな若い。兵隊の行軍に手を借りながらついていく様には愛らしさまで映っていた。
・悲しい光景をいやというほど見せられたが、一番恐ろしかったのは、瓦礫を取り除いても取り除いても現れない中学生たちの亡骸。
・画面の向こう側の人たちとともに歓声をあげてしまうのはやはり救出シーン。
・しかし四川電視台、24時間体制の報道特集、広告も一切入れず、いつまで続けるつもりなのだろう、もう丸四日を過ぎている。それにしても女性記者が目につく。それも若い。危険地帯へよく突っ込むものだ。
・四川電視台の安藤優子さん(いや圧倒的に若いので比較するのは申し訳ありませんが・・・)、さすがにお疲れさんか、今日は出番が少なかった。
・いつもはチャンネルを回すことのない遠い四川の電視台、記者の皆さん、とても記憶に残りましたよ。お疲れ様でした。まだまだ続くのでしょうが、とりあえずおやすみなさい・・・。
今回テレビを見続けて感じたのは、一皮も二皮も剥けた報道姿勢だった。騙されたかと思いながらテレビを見ていたが、情報が統制されたのではないかという感は最初のほんの一瞬だったような気がする。三十二年前の唐山大地震とは大違いである。
会社の営造部に天津出の経理がいた。彼と話をしていたとき、唐山大地震の際、天津でも大量の死者が出たと語った。道路わきには死体がごろごろしていたという。はじめて聞いた話だ。このときは二十四万人が亡くなっている。
昨日は朝から夕方までテレビに貼りついていた。画面がひと段落ついたかと踏み、仕事に取りかかった。馴染みの珈琲店に出向き、今日は客が少なく、いても静かで、仕事ははかどった。おかげで日曜日翻訳依頼は一日早まった。
さあ今日からは平常生活に戻るぞー、といっても今のアタシ、何が平常なのか、自分でもわからず、ましてや人に話すこともできない。
[ MEMO: 神戸はテレビで、台湾は現地で瓦礫の山に驚かされたが、今回はその比ではない。どう処理するんだろうと変な心配をしてしまった。 ]
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