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Tuesday, October 6, 2015

金門島:八二三砲戦




この島にまつわるよく知られた数字がある。八二三と八三一(幺 yāo)。共に金門島を死守した中華民国国民党軍と関連している。で今日は八二三について。

1958年8月23日から10月5日にかけ、中国人民解放軍が中華民国の金門島に侵攻すべく砲撃を行った戦闘、金門砲戦のこと。攻撃が起きた日にちから八二三砲戦と呼ばれている。砲撃開始の一晩に五万発以上の砲弾が島に降り注いだそうだ。

島は花崗岩の塊であり、海岸線に、山間に洞窟を掘るだけで立派な要塞と化していた。島民以上の兵士が常駐していたという。目と鼻先、僅か1.5km足らずの先に毛沢東の軍隊が島を奪還しようと虎視眈々としている極度の緊張状態に置かれていた蒋介石の兵士たち。

開戦時に米国は金門の放棄を中華民国当局に要求したものの、蒋介石はこれを断固として拒否したという。米国は仕方なく付き合うことになるのだが、ひと月半後、毛沢東の軍隊は島の奪還を放棄する。彼は蒋介石に負けたのだ。

Wikipediaによると、この砲撃戦で島には47万発の砲弾が撃ち込まれ、砲弾の弾殻に非常に硬質な鋼が使用されていたので、金門の住民は不発弾等を再利用して包丁を製造するようになり、これらの包丁は金門包丁(金門菜刀)として金門を代表する名産となっている、と書かれていた。また、米軍が提供した23サンチ砲の砲弾やケースは、島が解放され、観光化された今、戦跡のあちらこちらで嗜好を凝らして展示されていた。

私が関係している事務所の二人が兵役で金門島に逗留していた。一人は島で一番高い山、といっても三百メートルもない岩山、太武山の地下壕に一年半を過ごしている。もう一人は、向かいの島、厦門(アモイ)と金門島のあいだの航路、今年から中断したままのもうひとつの航路から見える小さな島、彼曰く二十分あれば歩き回れる島に駐留したそうだ。
砲戦後とはいえ、今のように二国間での交流の始まる前、緊張感がまだまだ残っていた時期のことである。兵役が決まって、誰もが貧乏くじを引きたがらなかった金門島での一年半である。

八二三砲戦の詳細についてはWikipedia日本版を参照していただきたい。 
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%80%E7%A0%B2%E6%88%A6)




Sunday, October 4, 2015

金門島:「58」の文字がひときわ冴える金門高粱酒



金門島といえば高粱酒、それもラベルに自慢げに書かれた58の文字。そう58度を表している。これが旨い。38度ってのもあるのだが、わたしには水っぽくて口に合わない。

金門島には田んぼが無い。雨が少なく、島自体が岩でできている。おかげで稲作ができない。できるのは高粱。酒が売りの島となった。

今でこそ向かいの大陸から飲料水を買っているものの、かつては島の至るところに溜池を掘り、耐え忍んできたという。兵役をここで過ごした友の話では、体を洗えるのは週に一度きりだったそうだ。

金門高粱酒は土生土長を代表する金門の特産品である。うまいですよ、本当に...



Posted via Blogaway

Saturday, October 27, 2012

霧社事件: 花岡二郎宿舍牆上的遺書


今から八十二年前の今日、台湾高地原住民・賽德克族(Seediq)が、台湾中部霧社で、占領国日本に対して叛乱を起こした。1930年10月27日早朝、毎年恒例の学童運動会での出来事である。

事件の最中、優良蕃童として日本式の教育を受け、日本警察官として現地で職についていた賽德克族の二人、花岡一郎と花岡二郎は遺書をしたため、一人は賽德克族の習いに基づき首をつり、一人は日本刀で割腹自殺をした。

この写真は、その遺書と、花岡二郎の妻・高山初子および日本人警察官・石川某の妻の写真が合成されたもの。全員台湾原住民・賽德克族である。

[ 遺書:写真出典 ]
・標題:花岡二郎宿舍牆上的遺書(描述標題)霧社討伐寫真帳(機構標題)霧社討伐寫真帖(書名)
・創作者:海老原耕平(日本, 編撰者)
・創作日期:昭和六年(發行日期)
・地點:國立臺中圖書館(中華民國, 台中, 典藏地點)

[ 遺書全文 ] (引用: Wikipedia 日本語)

    花岡兩
    我等は此の世を去らねばならぬ
    蕃人のこうふんは出役が多い為にこんな事件になりました
    我等も蕃人達に捕らはれどふする事も出来ません。
    昭和五年拾月弐拾七日午前九時
    蕃人は各方面に守つて居ますから 郡守以下職員全部公学校方面に死せり
    (花岡二郎筆)
    花岡、責任上考フレバ考フル程コンナ事ヲセネバナラナイ全部此処二居ルノハ家族デス
    (花岡一郎筆)


[ blog内霧社事件関連記事 ]
GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道
台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち

[ Wikipediaから ]
・霧社事件 - Wikipedia 日本語
霧社事件 - Wikipedia 中文
Wushe Incident - English



Friday, October 26, 2012

台湾・礁溪:水田地帯に計画される町屋形式の高級別荘


昨日、ある計画地を見てほしいというので台湾東部の温泉地・礁溪を訪れる。一帯が水田地帯。その田んぼをつぶして四角いコンクリートの住宅が虫喰いのように建っている。ところどころ、うっそうとした竹林に囲まれた古農家が。覗いてみると、朽ち果てようとしている三合院形式の伝統住宅。有り余る土地に、老夫婦が畑の手入れをしていた。長閑で、水田地帯になじんだ風景。

話は1900坪の水田を埋め立て、600坪強の土地に150坪三戸の別荘にしたいという計画。しかし信じられないことに、道路に対し短冊のように区画、細長い、町屋のような形式で向う三軒両隣を建てようという。

辺りを見回して思い浮かんだのは、塀で囲われた園林(庭園)のなかに瀟洒な建物が配置されているという風景。そう話をすると、台湾人の、土地所有の、財産分与の方法にあわない、買い手がつかないという。解決方法はいろいろあるはずだが、残念なことに聞く耳持たなかった。

海に近く、海風が届き、強い陽射しに味のある空気。久しぶりに胸の中が洗われたものの、次の一歩を踏み出せないデベロッパー。いつもながらの虚しさを味わうほかなかった。

Wednesday, October 17, 2012

台北:害羞 - Shy - 馬志翔 - 甜‧祕密 Together


Umin.Boya(馬志翔)のFBで彼が久しぶりに映画に登場だと知りました。「甜‧祕密 Together」という題名。FBのコメント欄にひとこと「害羞」とだけ。Shy、はずかしい...。彼らしい。原住民の女性はドンドンドンと前に出てくる人が多い。しかし男性はどちらかというと控えめ。「害羞」なんでしょうね。

癖のある方々が演じています。大姐の李烈、硬派な巫建和、他には隋棠、鍾鎮濤、馬志翔、李千娜、吳中天、張少懷、などなど...。興行的に成功するかは、どうでしょうか。

それより、私は早くUmin.Boya(馬志翔)、彼が演出する作品を見たいですね。

Sunday, April 22, 2012

台北:金門の「貢糖」何故か人気があるらしい

落花生菓子「貢糖」
厦門に出かける前、宿の手配を元同僚の姐姐に頼むべくテキストメッセージを送りました。あいよ、と快く引き受けてくれます。あーと、来る時金門の名産お菓子買って来ておくれ、後で銘柄調べて連絡入れっからね。

私が読めない名前のお菓子です。ネットで調べて見ます。「貢糖」 [gòng táng]。便利ですねネットは。落花生のお菓子。写真がありました。おー見覚えある菓子だなー。よそ様の御宅でしばしば出てくるお菓子ですね。これなら厦門にもあるだろうにと思ったのですが、金門島の名産らしい。土地柄美味しい落花生を生産している。これに麦芽・砂糖・海苔(海草)芝麻(セザミ)などを加えたもの。砂糖の量加減では甘くなりすぎる。姐姐ご指名の「金升貢糖」はその辺が丁度いい加減らしい。

ただネットで売り場を探してみるものの、金門空港もフェリー埠頭も違う銘柄しか置いてありません。さらにネットして見ますと、この金升、小さな工場、伝統的な金門民家の一角で製造しているらしい。その旨姐姐に伝えておきました。

ところが、今回は金門島周辺が天候不順、濃霧で近寄れない、結局桃園空港の売店で違う銘柄の商品を手に出向いてきました。

姐姐の亭主の話によると、子供のころ、この貢糖、彼の村では家ごとで作っていたそうです。落花生を砕くのに棒を使ってつぶす。力仕事で子供も手伝わされた。たたきつぶす動作を中国語で「打」というのですが、これをミン南語(閩南語・台湾語)の発音に当て字をすると「貢」と同じらしい。「打糖」より「貢糖」のほうが見た目にもいい。ということで「貢糖」。

昨日昼間、素食快餐店をでて自由市場で買い物をしていたところ、丁度廟の向かいの屋台で「貢糖」を売っていました。こちらは台湾東部の町、羅東の製品です。「金少爺」「素食」「古早味貢糖」と印刷されています。私が厦門に届けたのと見かけが違う。いかにも素朴そう。お寺さんへの付け届け分が含まれた料金でしょうか、ちょっと高めでしたが購入してみました。手の込んでいないつくりが気に入りました。でも私にはやっぱり少し甘すぎました。 [burikineko]

Friday, January 27, 2012

Jean-Luc Godard & David Darling

 "Jean-Luc Godard / Éloge de l'amour aka In Praise Of Love(TRAILER)"

 Facebookで台湾原住民布農族霧鹿部落民とチェリスト・David Darlingがコラボレイトした曲を紹介しました。しかしDavid Darlingがどの程度日本人に認知されているかは私にはわかりません。私自身も昔映画のなかで流れている曲が印象に残っていたものの、誰の演奏だったのかは知りませんでしたから。ところが台湾でこちらの原住民に関心を持ち、彼らの音楽、特に布農族の「音」、天上と会話をする音を聴き、どのジャンルにも属さない音楽だと驚かされ、彼らの音をあちこち探し回っていたところ、一人のチェリストが布農族と合作している曲に出会いました。

それがDavid Darlingというチェリストでした。Wikipedeia日本では探せず、英語版から引用すると

David Darling (born March 3, 1941) is an American cellist and composer. He won the Grammy award for Best New Age Album in 2010......
In 2000 western famous cellist David Darling recorded an unusual collaboration with the Wulu Bunun 布農族霧鹿部落, a group of Taiwanese aborigines......

チェロという、どちらかというと表に出てこない楽器のせいでしょうか、引き立て役を担うことが多い。"勤快的小孩 Lugu Lugu Kan-Ibi" by 霧鹿布農 Bunun, Wulu and David Darling 2000では布農族の「音」を際立たせていました。彼のほかのジャンルとのコラボをみても そんな感がします。
ゴダール映画では、うーん、彼でなければ、という音を与えていますね。

ただ、布農族の音を採取して持ち帰りデジタル再構成した曲がありますが、布農族の天上と会話ができる「音」は消えてしまった感がありました。西洋的思考の限界かもしれませんね。台湾原住民にはまだまだアミニズムのもつ深い感性が残されているのでしょうか。

それはともあれ、ゴダール映画のこの音はとてもいい、あーフランス映画だなーって感じ入るクリップでした。

参考までに今まで私が書きとめた布農族のブログ記事を書き残しておきます。

[台北] 布農族の音楽作法でつくられた “美麗晨曦”
http://east-asia.blogspot.com/2011/04/blog-post_29.html

[台北] David Darling & The Wulu Bunun
http://east-asia.blogspot.com/2011/07/david-darling-wulu-bunun.html
[台北] 八部合音 - 神への返信
http://east-asia.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html

[burikineko]


Friday, January 13, 2012

明日台湾は総統選挙 旅にでても風景が一変

小さな旅にでました。

大通りに出てタクシーを拾います。運ちゃんに空港までと伝えると、エッ明日投票しないの?と問われます。いや権利も義務もないからね、と答えると不審顔。外国人だからさ、と伝えると納得顔。続いて私、今回どっちだろうね、と問うと、どっちともいえないね。本音ではありません、すぐわかります。馬さんじゃないの?と言うと途端にべらべらべら。そうなんだよ、馬さんはなんだかんだ、ちゃんと答えだしているよね。で私はあなた台湾人?と聞くと答えません。

金門島に着きました。送迎バスで厦門に向かうフェリー乗り場まで向かいます。客はと言うとほとんどが学生。高校生らしい一団。厦門への小さな旅でしょう。学生以外は中国人らしいオネーサンが数人だけ。ガランとした車内です。高校生には選挙権はまだありません。大人たちは明日の直接選挙投票が控えていますからね。

バスが空港を出るとすぐ、ロータリーには昇り旗が円を描いて立っています。その間を埋めるように現政権の応援団が鉢巻に襷に手看板で我々のバスに向かって支援者の名前を連呼しています。いやいやバスの客は選挙権ないんですよ。道路沿いにも立て看板。現政権政党からの立候補者名と次期総統名のものです。対立候補のは?ありました、わずかですが。これでは見た目圧倒的な差ですね。

昨日の夜、厦門の天気はどうなっているかウェッブで探ってみました。その頁のバナー広告は「我投②号 馬英九」。別のサイトにも、そのまた別のサイトにも・・・。うんざりな風景です。

[burikineko]


Wednesday, January 4, 2012

正月といっても何も変わらない台北市内の風景でした・・・政治風景を除いて

元旦の日曜日、街に出てみます。私の住まいは中山北路といって目抜き通りの一角にあります。少しは変わった様子があるかと思いきや、いつのも日曜日同様開いている店は決まって開いていました。ただ街行く人の波はいつもより少なめ、なおかつ行き交う人が話す言葉の半数は日本語。正月休みを利用しての台湾観光でしょが、台北の冬は「湿冷」。じめじめして肌寒い。楽しみの半分がこの気候で失ってしまうんですね。

今月半ばの14日に総統選挙があります。テレビを見ていても青色の集団(国民党)、黄色の集団(民進党)ばかりが目に付く。一方で目先の優遇策を引き出すために動き回る集団ありでなんの面白みもありません。昨日お会いした方は本気で台湾の将来を憂いておいででした。もし今回、現政権が引き続いたなら、大陸との統一の方向が決まってしまうだろう、そうなればちっぽけな台湾、あらゆるアイデンティティーが失われてしまう。キャピタリズムの一部の人たちはどうすれば儲かるかがあらゆる政策に優先される、それが可能な体制を応援する、だから夜八時以降の番組(ニュース番組や特番)は見ないでいる、と話しておりました。

私は台湾が好きです。以前よりもずっと好きになっています。台湾の人は「とても小さな国」といいますが、そこにはとてつもなく大きな隣国に比する豊かな自然環境があります。すばらしい文化的背景を持つ原住民がいます。多元的で多様性のある国なんです。私も陰ながらそんな小さな島国がその独自性を残し続けることを願っています。

[burikineko]




Saturday, December 31, 2011

鯰魚哥 - 打たれっぱなしではいない!今最も熱い原住民

日ごろ原住民はあっちからこっちから誹謗中傷を浴びている。しかし正面切って反論している様子は伺えなかった。そんな状況のなかで登場したのが「鯰魚哥」 (鯰の兄貴)と名乗る阿美族の青年。携帯にかかってくる話に一つ一つ丁寧に、といっても口調はべらんめいですが答えていく。チャットの内容を見ながら解 説、といっても辛らつな対応をしていく。彼のポドキャストは二百万以上ヒットしている。

中国語なので誰でもわかるというわけではないのですが、まあ本当に言いたい放題言いまくっている。機会があれば訳してみますが、雰囲気だけでも感じてみてください。

ちなみにこの青年、文化大学の野球部に所属している。180センチを超える恵まれたからだと端正な容貌でタレント並みの人気を誇っているそうだ。

Youtubeでもあがっていますので・・・年の瀬です、紅白を見たくなかったらどうぞこちらへ・・・

Monday, December 26, 2011

炊き出しがあったんで並んでみました・・・

昨日投稿のつもりがうたた寝してしまいそのまま夜が明けてしまいました。一日遅れの内容です・・・

・昼前の台北の空が一瞬太陽を覗かせたので久しぶりに散策日和かと出かけてみるも、ああ無残、にわかに掻き曇り寒風も吹き始めた昼下がり・・・

・素食屋のオネーチャン、突然愛想がよくなって、昨日帰り際「明日は昼間お店開きますからね」と、日ごろ無愛想なのに声をかけていただいた。このオネーチャン、昔アイドルしていたらしく、時々彼女の歌が店で流れたりする。ただアイドルといってもほとんど笑い顔はないし、キリッとして、通る声でてきぱきと厨房に指図をしていたりする。「地瓜葉(薩摩芋の茎)なくなりますよ!」「はい、急いでね」「加油(ガンバって)!」。東京下町の姐さんのようで私好みであります。ですのでお昼は素食屋さんへ。

・その後はいつものように青空市場です。今日は炊き出しに並ぶ列を公園で見かけました。佛光山普門寺という建て看板がでています。私も並んでみました。炊き出しは素食のお粥。クコの実や寒さしのぎの生姜やなにやら入ったお粥。生姜味が強すぎてちょっと残念でした。炊き出しというと、日本では今はほとんど見かけたことがない。震災やなにやらのときにしか出ないのでは。こちらは宗教団体の力が強い。何かと機会を見つけては開かれていますね。感謝感謝ありがたやありがたや・・・。ついでに教会でもやっているかと寄り道してみましたが残念、人影なしでした。昨年はイブに開いていたと思ったんですが。

・wao!お気に入りなんで・・・

"2011年12月23日、米映画サイトによる「2011世界で最も美しい顔100人」が発表され、台湾の人気女優スー・チー(舒淇)が29位の健闘を見せた。中央社が伝えた" (レコードチャイナ)。http://bit.ly/tmlvZR

アジア勢でトップだったとか。美人じゃないですけどね。

[burikineko]


Saturday, December 24, 2011

あまりの冷温で鶏が卵を産まなくなって鶏卵の値段が突然値上がりしたことなど・・・

・鶏卵が一週間で五割強値上がりした

台湾は冷温と長雨続きで食材が極端に不作だそうだ。夏場にキャベツ一個十元だったのがいまでは六十元もする。鶏卵もそうだ。いつも購入するパック物三十七元が五十七元と五割も値上がりしてしまった。ニュースによると寒さで鶏が卵を産まなくなってしまったんだそうだ。彼女たちが寒さに弱いことがわかった。それとタイの洪水の影響もあるんだとか。鶏卵を輸入しているらしい。あちらこちらで異常気象のとばっちりが私の懐をいじめている。

・トマトの違い

適当に歯ごたえのある、味のするトマトが食べたい。しかしここ台湾では難しい。中華料理にトマトはよく使われるものの、火を通す、煮込む、他の食材と一緒に調理するため皮も硬ければ中身も硬い。こちらの一般の家庭で日本のようにサラダを口にするということが少ない。おかげで私のように朝食に必ず野菜サラダを口にする人間は日本的なトマト探しに苦労する。

土曜の午後、いつものように青空市場を訪れる。珍しく三種類のトマトを並べている出店があった。触って確認すると最も色づきのいいトマトが口に合いそうだった。オバサンに聞く。

私「一斤いくら?」
オバサン「六十元」
私「高いーなー」
オバサン「ならこっちはどう?四十元」
オバサン「これなら十五元」

驚いた。差がありすぎる。どこが違うのか聞いてみると味が違う。そうだろう、違わなければおかしい。結局一番単価の高いトマトを購入してしまった。まだ口にしていないが明日の朝食のテーブルで確認してみることにした。

・値段が理解できるくらいの台湾語は習得するか・・・

青空市場で見るからにおいしそうな黄色の薩摩芋を売っていた。朝食用に購入することにした。「いくら?」って聞くと「〇X△・・・」「オヤッサン、台湾語ワカんねーよ」。毎回これである。長逗留しているんだから数字ぐらいはその場で理解できるようにせんとアカンですなー。

[burikineko]


Tuesday, December 6, 2011

客家料理雑感

今日あるメールが届いた。日本からだ。先月初め、厦門で開かれた土楼フォーラム主催者のメンバーの方から。そこには

”中国では、お世話になりました。
さて、来る12月〇〇日、「客家来祐」という客家中華料理店で反省会?忘年会?同窓会?を行いたいと思います。”

土楼は客家人の共同住居であり、それにちなんで客家料理店が選ばれたのだろう。私は残念ながら参加はできない。しかしここ台湾は客家料理の本場である。かわりにその日はこちらで客家采を口にすることにしよう。

毎週客家料理を紹介しているのがHAKKA TVの「客庄好味道」。台湾各地の客家人が住む土地にあるお店を紹介している。ただ料理づくりを見せるだけでなく、伝統的な客家料理を何代にもわたって継承する難しさ、時代に合わせて味付けを変えていく妙味、食材へのこだわり、料理人の苦労話・・・等等を現地取材している。客家人には流浪の歴史があるだけに台湾でも多くは平地と山間部の中間に住み、豊かさとは縁が遠かったともいわれている。時に、本人も客家人の記者が取材中にそんな話を聞いていて涙してしまったりする。

少し長くなるが、Wikipedeiaから客家料理の一部引用すると

”客家菜は中国の広東省、江西省、福建省と台湾の新竹県、苗栗県、美濃などに住む客家の郷土料理である。

客家の人たちが最も集中している広東省、江西省、福建省にまたがる山間部での生活は、ニワトリ、アヒル、ブタなどの家禽、家畜を育てながら、山の幸である野生動物やタケノコ、山菜、キノコ、川魚、カエルなどを利用し、華南での栽培に適したコメやその加工品とサツマイモを主食とし、煮物や蒸し物を中心とした素朴な料理をおかずとして食べる食生活を形成した。

また、流転の多い生活によって、携帯や保存の利く漬物、乾物、燻製をよく利用するようになった。・・・「酸菜」やさらに干した「梅菜干」がよく料理に使われ、また、干しいも、干し大根、干し筍などの他、ブタやオオハタネズミの干し肉を食べる地域もある。

労働での発汗による塩分を補給して体力を維持するため、脂こく、塩辛く、濃い味付けが多い。風味付けにトウガラシ、ショウガ、酒、醤油を多用する。一方で、スープなどは非常にあっさりしたものもある。

基本的に自分たちで食べるために用意する素朴な料理として伝わってきたため、店で食べても庶民的で、経済的な料理というイメージもある。調理法の上では、石蒸し、竹蒸し、塩蒸しなど多彩な蒸し方を使う料理がある。・・・”

私から見るとちょうど台湾料理と原住民の素材を活かしたつくりの料理の中間みたいな感じを受ける。

言語が文化の基本をなしているように、食も文化である。「客庄好味道」では客家語が使われ、意識的に伝統料理の製法を採用しているお店の紹介が多い。客家語離れが進んでいる昨今、彼らの思い入れも大きいはずだ。私はマイノリティーを愛している。彼らの努力が報われるよう願っている。

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Monday, November 21, 2011

多言語国家の多元文化を容認する姿勢

台湾には公共電視台と いう、日本でいうNHKのようなチャンネルがあります。広告がないので、あってもそれは政府機関から住民向けの案内、たとえば国民年金の手続きはいつまで ですよとか、食中毒が発生しているのでこれこれには注意して何かあったらどこどこまで連絡を、の類です。政党に偏っていることはありません。むしろ公害問 題などの追求はかなり徹底していて、一時期国からの予算凍結という事態にまで なったことがあるそうです。

公視はほかに二つのチャンネルを抱えています。HAKKA TV(客家電視台)と原住民族電視台の運営管理です。予算の少ないHAKKA TVと原視台は番組のすべてを自前で用意できない。そこで公視台が放映する番組を再放送する。

HAKKA TVは昨日、番組に穴が開かないよう公視から借りてきた「那一年曾做錯的事」を放映していました。女優李佳穎の演技が光っていた作品です。ところが彼女意 味不明な言葉を話している。出演者全員が客家語を話している。「那一年曾做錯的事」は国語と台湾語のドラマですが客家電視台で放映するときに客家語に吹き 替えをしていました。

チャンネルが変わると言葉も変わる、いささか厄介で手間がかかるものですね、こちらでは。でもそれだけ多言語国家の多元文化を容認しようとする姿勢がよく分かります。 

[burikineko]

Saturday, November 19, 2011

「1990 こちらコールセンター・・・」

 時代は現在、場所は大都会台北、一人のタクシー運転手がとある女性客を拾う。その日運転手は彼女と台北市内を走り回ることになる。彼女の消えた男の足跡を追って・・・。

これは先日放映されたテレビドラマ「你現在在哪?」の大筋。行く先々で消息を求める女、手がかりはない。待つ身の運転手に入る無線。「1990 1990 こちらコールセンター 今どちらですか?」。頻繁に入る無線の暗示的な数字がそのうち気になってきた。1990。その答えは昨夜放映された台湾 百年の歌謡曲を追ったドキュメント「聴時代在唱歌」のなかにあった。1990年は台湾民主化運動が頂点に立った年なのだ。

タクシー運転手はその年、学生運動の中にいて、仲間とバンドを組み、デモに参加し、明日を夢見ていた・・・。そして挫折と仲間割れと女に去られ・・・日本でもあったような話だ。運転手は水商売の女をみているうちに自分の過去を重ね合わせていく。

おそらくこの監督と脚本家(李志薔、蔡銀娟╱共同導演‧共同編劇) は自らの時代を表現したかったのだと思う。台湾百年の節目はいろいろな面から時代を検証していて私の知らない台湾を教えてくれて興味深い。 [burikineko]