Friday, February 11, 2005

「白衣民族」ー民族の色」(韓国) 十年後記


韓流が定着したようだ。十年前には信じられないことだ。流れという文字の持つ捉えどころのなさと、急流になったときの力の恐ろしさも感じる。メディアを賑 わしている男優たちも日本の一昔前を思い出させる。韓国自体もそうだろう、その顔つきの端正さに飽き飽きして、彼らもアン・ソンギなどという伊藤雄之助を 軽くしたような男優をもてはやしていた。

女優は違う、私はいたく気に入っている。どこか色っぽいのだ。大人なのだ。「膝と膝の間」などという映画のイ・ボイなど最高だった。彼女の映画のロケ地な どをたどって三十八度線近くまで出かけて行ったりした。今では「冬のソナタ」などがそれに取って代わったようだ。チェ・ジウもいいが、作られた顔つきなの が気に食わない。などと書いていてやはり韓国には思い入れが強かったのに気がついた・・・ [写真:琴を弾く楽士] photo:(C)Eiji KITADA

この原稿を書いたときのことはよく覚えている。映画の主人公オウドがチマチョゴリを脱ぐシーンで、最後に残るのはなんなのか、とても興味を覚えた。ひん しゅくを買うかも知れない話題だが、和服と異なり女性も褌をしていたのではないかと考えたからだ。比較文化論なので誤解の無いよう。

文献をあれこれ探したが、求める答えは見つからなかった。和服を愛用する女性の友人にも尋ねたが、やはり分からないとの返事だった。ただ、女性が下穿きをしていた可能性はあるだろうといっていた。

比較文化論の続きでもう一つ。数年前イスラム圏を旅した女性が、公衆浴場で見た(勿論男女別になっている)イスラム女性の白または黒の衣服の下には、鮮やかな色物がまとってあったそうだ。

Tuesday, February 8, 2005

消えた老眼鏡

酒の席が元で老眼鏡をなくしてしまいました。そこに到る経過は、オーナーとの会食の席から始まりました。記憶を失って気がつくと翌日の昼過ぎ、見知らぬホテルでした。普段の眼鏡が、そして仕事になくてはならない老眼鏡までもが見当たりません。目を細め、辺りに注意を払いながら宿泊先に戻ります。

そこでまずしたことは眼鏡屋さんを探すこと、小売店など不案内な台北市内、ホテルのフロントに尋ねてみます。右手を顎にあて、一寸考えた後にある場所を教 えてくれました。ホテルを出て真っ直ぐに大通りを三つ越えればあるはずです。歩ける距離です、歩き始めます。結構な運動になることに気がつきました。なお かつ途中に何軒か眼鏡屋を見かけました。しかしフロントの教えに従います。きっと素敵な店にちがいないと・・・
たどり着いた先は間口一間、奥行き二間のこじんまりした店。棚に飾られた品数も余りありません。当然ファッション系などありません。店の主人は退屈そうに新聞を読んでいました。目論見は外れました。

私「老眼鏡ありますか?」
店「○×△□・・・」
何か眼鏡の専門的なことを聞いているようです。
私「えっつ?」
店「臨時に使うのか?それともちゃんとしたものか?」
私「臨時です」

引き出しから出てきたのが写真に写っている眼鏡、見掛けはなかなかいい。
私「2.5がほしいのだけど」
店「ないな」
私「では何度のがあるの?」
手にしたのは2.0、掛けてみます。
店主が先ほど読んでいた新聞を目の前のかざして言います。
店「どうだい、見えるかい、違う違うもっと近づけて・・・」
私「フレームの色、別のないですか?なんか女性用みたいで・・・」
薄紫色です。
店「ないない、これだけ」

見えないことにはどうしようもありません、購入することにしました。
店「250元」と気を張っていいます。値切られるとでも思ったのでしょうか。
私「小銭ないのでこれで」千円札を出します。
今度はお釣りがありません、店主、店を出てどこか両替に出かけます。
十分待たされた挙句ようやっと戻ってきました。
その間、手に入れたばかりの老眼鏡で店に置いてあった新聞を眺めていました。
日本円で約八百円強でした。

ホテルに戻りフロントで結果を報告します。意外と評判がいい。私もその気になっていました。これで何とか残りの日々を過不足なく過ごすことができそうです。

日本でもそのまま使い続けているこの老眼鏡、私の周りにも評判がいいようです。次回台湾を訪れる時にはみなから注文をとろうか、贈り物にしようか考えているところです。

Friday, February 4, 2005

いつの間にか台湾にも支店が・・・

昨年十一月の台湾、暇をもてあましてTreo600というスマートフォンを手に入れるまでのあれこれを 紹介しました。このときのWebShopはeXpansysという英国に本社を持つ会社です。台湾に支店がないので香港から購入とあいなったのですが。 と、今日見てみるとなんと台湾にも支店が開かれているではありませんか。あーあのときのやり取りはなんだったんだろうと思わざるを得ません。

Treo600、マルチリンガルに使えてよかったのですが、SMS(ショートメッセージ)で日本語が通りませんでした(同じキャリア同士で使えたという報 告もあがっています)。これからはNOKIA9300が取って代わります。わずか一ヶ月の寿命、それでもそれなりに台湾では役に立ちました。物欲の言い訳 です。

[左側に台湾の国旗を見ることができます]

「悲情城市」の舞台は今

台湾北部の東海岸に金瓜石という取り残された金鉱があります。「悲情城市」の舞台にもなったところです。日本時代の官舎が海岸から競りたった山肌に残されています。

ここが村興しをしていることは聞いていましたが、その様子をNHkが紹介しました。村興しといっても観光客誘致、映画で見るような厳しさはありません。

時代は動く、でしょうか。最後に訪れたのが六年前、様変わりした光景を見るのも一興かもしれませんね。

まもなく農歴の元旦

二月九日は農歴の元旦、東アジアの国々では今でもきっちりお祝いをしています。中国ではすでに大移動の始まりと報道、ここ数週間で数億の人が移動というから驚きです。

その昔、台湾で旧正月を過ごした事があります。帰国するのが面倒だったのでしょうね、おかげでビザが切れてしまい不法滞在となってしまいました。罰金を十分払わされたことは言うまでもありません。

Tuesday, February 1, 2005

確かに「うるせーよ・・・」

NOKIAの702NKがらみで台湾ネタのblogに行き当たりました。JACKPOT's Blogです。その中に「うるせーよ・・・」というお話がありました。ホテルの隣りの部屋から漏れ聞こえる音のことです。私も何度かそんな思いをしたことがあります。最高級ホテルはどうか分かりませんが、ごくごく耳にするものです。もちろん目にすることはできません。
[写真は昨秋滞在のホテルの一室、ふてた片足が写っています] 理由は建物のつくりと空調の方式が・・・
漏 れる場所はほとんどが壁と窓枠との境、ここがいい加減なんですね。古い事務所をホテルに改修していたりするとなおさらです。オフィスビルは外壁がガラス張 りでできていますから、ここを小さな部屋に割って仕切ると後付で壁を窓枠にぶち当てることになる。この仕事がしっかりしていないので、空気が行き来してし まいます。ためしに手をかざしてみるとすぐ分かります。

もう一つは空調、台湾ではがんがん部屋を冷やしますし、噴出す空気の勢いもがんがん。高級なつくりになると、部屋の空気をちゃんとその部屋でリターンさせ るダクトが天井に組み込まれています。これがなかったりいい加減だったりすると、部屋の空気は廊下へと漏れ出てきます。おのずと音も付いてきます。

大昔、馴染みのホテル。十人くらいで日本からやってきてわっせわっせと仕事をしていました。そのうちの一人が合衆国に留学するというので先に帰国すること に。最後の晩、明日は早いから先に休めといって部屋に上がらせます。残った我々、餞別にと彼にお嬢さんをプレゼントすることにしました。カンパを募りま す。ボーイにこれで何とかしてあげてくれと頼みます。しばらくしてプレゼントが届いたとボーイが言ってきました。

残った我々、一斉に彼の部屋の扉にへばりつきます。膝をついて扉の下に耳をつけるもの、枠に耳をつけるもの、七人ほどが一つの扉に固まって耳を立て息を潜 めて寄り添います。脇で見ていると滑稽そのものです。ひどい話ですが、元気だったんですねそのころは。今の若い人は真似をしないように。品位を疑われます から。当然ですね。