Friday, April 29, 2011

[台北] 布農族の音楽作法でつくられた “美麗晨曦”

[video:「不能遺忘的歌-聚首布農」のエンディング]
毎週楽しみにしていた音楽番組「不能遺忘的歌-聚首布農」が終わってしまった。番組そのものは引き続いているものの、布農族シリーズは終了ということである。布農族、彼らの独特な「音」は私を引き付けていた。集まってうたう。男女一緒に歌う。悲しいときに歌う。酒を酌み交わしてはみな一緒に歌う。単調なようで深みがある。不思議な「音」をもつ集団である。

「不能遺忘的歌-聚首布農」のエンディングに流れる曲があった。耳に残る。印象的な曲だ。番組に登場する伝統的な曲と違い、現代風にアレンジされている。この曲がもともとは布農族伝来の曲だったのか、そうだとしたら元歌を聴いてみたいと探してみたものの行きあたらない。キーワードを広げ、番組の進行役「朗蔚」を含めてみると、彼女、ある曲の作詞作曲をしていた。四年前に放映されたTV連続ドラマ“美麗晨曦”。この題名は見覚えがある。「高慧君」が演じてその年のドラマ部門で金賞を取っていたはずだ。番組の冒頭とエンディングの曲を朗蔚がつくり、高慧君が歌っている。そのエンディングの曲「日出的聲音」が「不能遺忘的歌-聚首布農」で流れていた曲だった。
さらにビデオクリップに「美麗晨曦片頭曲的錄製過程」、メーキングビデオがあった。題材は冒頭に流れる「美麗晨曦」という曲なのだが、朗蔚は非常に興味深いことを口にしていた。
彼女は台湾原住民でなおかつ布農族の人間である。プロデューサーが彼女に求めたのは、原住民夫妻の一生を描いた作品、だから音の中に原住民らしさを組み込んでほしいと。では朗蔚はどのようにして、何を根拠に曲作りをしたのだろうか。
朗蔚の話から勝手に選んで、なおかつ勝手に要約してみると・・・

・私の希望は男女二人の主人公の[対唱]、布農語を使うこと、さらに和声つまり清唱してもらうこと。
・私は原住民の音楽を学んでいたし、私自身も布農族の人間、[古調](布農族の昔の音調)のように簡単な音にしたかった。
・なぜならこの物語の中で、主人公二人の感情はとても[単純]でとても[直接的]だから。
・この曲は原住民の音楽、内輪の人間(業界の人間)がこの歌を聴けばすぐに原住民の音だとわかる。

・この歌を布農族の古調(昔の音調)で歌うと・・・
・(朗蔚自ら歌い、フレーズの終わりの部分をはっきりと切り取って歌って見せ)
・後ろの部分はこのように・・・
・(一節を歌いながら)
・[Do So Do |1 5 1]または[Do Mi Do |1 3 1]、三つの音しか使わなかった。
・一種、とても簡単で、三つの和声でつくった曲、[五度](五度圏・調性空間)で構成した曲。単純で簡単そうだが、曲は難易度が高い。流行歌を製作するときとは違う・・・
・ㄚ峰という方の採譜があった。イントロと間合いの部分以外、つまりメインは [1 3 5] [Do Mi So] だけだ。
 前段の部分で朗蔚は原住民、布農族を
[古調][単純][直接的]といい、この曲もそうしたと言う。
その一方、[対唱][五度](五度圏・調性空間)など、作曲の技法用語も使っている。[対唱]はフーガの原則の一つだし、[五度](五度圏・調性空間)は平均律などの手法の一つだ。

彼女は何をいいたかったのだろう。そんなに饒舌にならなくても十分魅力的な曲である。「不能遺忘的歌-聚首布農」のエンディングで流れても違和感はない。布農族の音も感じさせている。
このあとは私の推測になるが、おそらく、彼女は布農族の音を西洋的な作曲の技法を使って解き明かし、そこから新しい布農族の音を再現させたかったのではないか。[古調][単純][直接的]+[対唱][五度]。もしそうだとしたならかなり挑戦的だ。それが成功したのかダメだったのか、この曲へのコメントには環境音楽のような言葉が並べられていた。
彼女の続きを待とう・・・

[追記:29/Apr/11]  「不能遺忘的歌-聚首布農 祈禱之歌編」で「美麗晨曦」と「日出的聲音」が流れていました。「美麗晨曦」はタイトルが「祈禱之歌」「遇見布農」とかわり、二曲とも女声合唱によるもので、こちらのほうが布農族の「音」らしさがでていました。どこかでビデオがあがったら紹介できたのですが・・・

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