中 国語を話せるようにならなければいけない、と思い始めていた数十年前、台北にいたときのことです。大それた思いが湧いてきました。「漢詩を詠おう、杜甫の 春望を原語で詠おう!」。早速本屋に出かけて「漢詩のテープありますかー?」とあちこち飛び回った結果、台北駅前の本屋さん街で見つけることができまし た・・・
部屋に戻りテープを回してみます。「ん?」違う、ぜんぜん違う、高校で習った「春望」なんかではない!ノイズの入ったテープから聞こえてくる音は謡曲のように思えました。浪々と、滔々とわけのわからない老人の声が聞こえてきました。
翌日仕事場にこのテープを持ち込み、文化的な興味をもたれていそうな人を探し、ここまでの経過を説明、「どうなんでしょう?」とお聞きすると、春望を詠っ ている人は戦前の方で、詠いの、ある一派の第一人者だと教えてくれました。「貴重なテープですよ」とも言っていただいた。
そうだったのです、漢詩をやすやすと詠うことなど恐れ多いことだったのです、中国世界では。
それでも、日本語でもいい、「くにやぶれてさんがあり しろはるにして そうもくふかし・・・」と懲りずに試みています。
春望 杜甫
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
しゅんぼう とほ
くにやぶれてさんがあり
しろはるにして そうもくふかし
ときにかんじては はなにもなみだそそぎ
わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす
ほうかさんげつにつらなり
かしょばんきんにあたる
はくとうかけば さらにみじかく
すべてしんにたえざらんとほっす
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