Sunday, August 6, 2006

[廈門通信] 言語障害になる

[廈門・60日目] 言語障害になる
「おしになる」と打ち込んで変換したところ、「言語障害になる」になってしまった。啞(口+亞)は差別用語なのですか?いやだなー。今日は私が啞(口+亞)になりかかったお話を。

中国語をマスターしなさいという指令はありがたい。この機を利用して中国大陸で使われている簡単字(簡体)も読み書きできるようにしてしまおうと考えている。中国語の教師は会社公認ですから、公務以外公用車に搭乗できない秘書を傍らに帰宅してしまったりする。運転手と三人、気軽に話もできる。そんなときは会話がすすむ。

私のボスはビジネスにたけていて、なおかつ教育者でもある。家庭の理由で芸術家になれなかった自分の姿を私に投影してみたりしている。結構私には甘い。私を手間のかかる「連れ子」 (拖油瓶) [tuo1 you2 ping2] だといいながら、いろいろ面倒を見てくれる。ありがたいことだ。ときに私の不十分な会話を補ってくれるつもりで、正しい中国語を教えてくれる。これが私にはプレッシャーになったりする。そうするとわたしは口をもぐもぐ、手だけを動いかしていたりする。言語障害におちいってしまう。

この件をボスに話したところ、彼自身の体験を語ってくれた。幼少期の忘れることのできない記憶だろう。

彼は台湾人。蒋介石が台湾に逃げ込み、国民党政府を樹立するまで、日本語はかなりの人たちに話されていたという。ごく日常の風景だったそうだ。ボスもその一人、日本語は話せても台湾語は話せなかった。ところが、国民党政府の樹立とともに、公用語は中国語に。子供たちの間でも「時代は変わった!」と、日本語しか話せないボスを「シカ!」(「四つ足」 「イヌ」台湾での日本人に対する蔑視用語)といじめられたという。しばらくして、ボスは言葉を口にできなくなった。つまり後天性の啞(口+亞)になったのだ。彼が口を開くようになったのはなんと二年後のこと。と同時に一切日本語が話せなくなっていたという。流暢に使えた日本語が消えてしまった。これを聞いて私は少なからず衝撃を受けた。差別され続けられた間、彼の頭脳は日本語を忘れ去ることに集中していたのだ。

ボスはこよなく日本を、日本の文化を愛している。そして消え去った日本語のことを残念に思っていると話してくれた。

[写真は麗江の騎馬場で麗江馬を調教しているシーン。小柄な馬とはいえ、蹄が立てる音といい、荒々しい息づかいといい、さすが競走馬、気分をかき立ててくれます。]

No comments: