Monday, July 5, 2004

「揚子江の南」十年後記


始めて上海を訪れたのが二十数年前、街中には暗闇があった。二十世紀前半に築かれた植民地建築群。そして十年、上海は変わろうとしていた。それでも旧市街はいぜんとして中国らしさを見せていた・・・写真は北田英治氏

第二回は中国、北と南の物の見方考え方の違いについて

北京の香山飯店の現在について詳しくは判らない。しかし、初めての訪問から3年もたたないうちに、建物は汚れ、庭は手入れが不十分、客層の顔つきも違っていた。なぜだかは知らない。市内から離れすぎているからなのか、南部が嫌いな北京人が近ずくのを嫌ったのか。

北京は空間も人間も何か大雑把でとげとげした印象しかない。政治の中心地となると、どこもそうだろうか。退屈をしのぐ場所も上海に比べれば圧倒的に少な い。夜中まで仕事が続いたある週末、同僚と二人天安門広場前の大通りで退屈しのぎを考えていた。人と自転車が行き交うだけの通り、同僚に提案する。「お い、抱き合って見せようぜ!」。この案は決して彼に受け入れられなかったが、今ならどうだろうか。

上海は北京に比べるとはるかにくだけた感がある。
魯迅の上海時代の住まいを取材した夜、友人とホテルの外にでると若者たちが近寄ってきた。「話をしたいんだけど・・・」 「飯にしたい」「あっちだ、こっちだ・・・」「安くて美味しいとこ」「OK!」で、連れてこられたのはバンドの入り口に建つかつてブロードウェイマンショ ンとよばれたホテル裏。こぢんまりとした普通の店、料理は上海家庭料理、しかし何かが違う。若者たちはにやにやしている。客は男ばかり、それも結構いい男 たちだ。オンナはわずかに掃除のばっちゃんだけ。そう、ここはホストが店の始めや終わりに食事をするための溜まり場だった。

No comments: