Friday, July 30, 2004

「不確定な風景-香港一九八七」 十年後記


香 港が中国に返還されてすでに七年、テレビで見る香港の人間はみな標準語を話すようになっていた。体制が変われば言語も変わるのか。きっとそうなのだろう。 台湾も同様、日本の敗戦とともに台湾人は大人も子供も標準語を学習してきている。しかし言語は文化であり、同一性を主張するものである。第四回は、不確定 性にさらされる香港を、返還十年前に訪れ考えたものである。
[写真]1987年6月31日の香港/英領香港も借りた時間はあと10年 photo(C)Eiji KITADA

一九九七年、私は香港を訪れなかった。その一年前、香港で何かが起こるかもしれないことを期待して宿の確保を手配しようとした。当日の7月1日前後は、信 じられないような宿泊料が香港から伝えられ、日本の旅行会社はそれでも多くの客を信じて疑わなかった。返還の日が近づくにつれ、当地からの情報は魅力的な ものではなかった。

当日、香港は予想以上に統制された行動で始終した。中国の思惑通りに進んだ返還行事といえるだろう。キャンセルを受けた多くの宿はダンピングで客を誘い、それでもどこもが満室になることはなかったという。

先日「甜密密」(日本題「ラブソング」)という香港映画を見た。はやりのラブソングを口ずさむ男と女の十年にわたる恋愛映画である。男は天津から、女は広 州から働きにやってきた。男も女も大陸の人間である。香港映画が時代劇を除いて大陸の人間の話を中心に据えた映画を今まで見たことがない。

映画の中で香港の風景は今までと変わることはなかった。いや、むしろ今まで以上に商業主義のにおいを強烈に振りまいていた。テレサ・テンの歌を歌い、標準 語を話す香港の人間は大陸からやってきたものだ、商売で成功するには広東語(香港で一般の人が話す言葉)と英語(英領香港の公用語)が話せなければならな いと女はいう。変わったのはその中の人間だったのか。

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