高校時代、絵でも手にしてみるかと、教師の影響もあり、ロマン派の画家の作品を脇に置いて模写まがいのことをしていた。その一人にウジェーヌ・ドラクロワがいた。アタシはドラクロアの油絵よりクロッキーや水彩が好きだった。とくにモロッコやアルジェなど地中海沿岸を旅した時に描いた水彩画がいい。女性たちがまとう衣服の、今では当たり前の原色が溢れ、そして重なり合っていた。
しかしこの原色、単純な色合いではなかった。模写するたびに絵の具を探った。そのつど新しい絵具を購入しに画材屋へと足を運んだ。おかげでいろいろな色の名前を覚えたが、今では忘れてしまい、当時探り当てた色合いを再現しようにもできそうにない。コンピューターの登場で、ドラクロア風色合いなぞ、今では簡単に再現できるそうだが、試行錯誤しながら探し当てた行為そのものは自分だけのものである。
Ishtar Alabina のビデオ・クリップをあちこち探し回わった。なかに強烈な色彩をまとったベリーダンサーと舞台に登場、見事に演じているにであった。艶やかな色彩、肉体の誇示、激しい振り、ほとばしる汗と体臭をまき散らしている。そう、人間が本来持ち合わせているものである。
そう感じ、そういえばアルゼンチン・タンゴも色っぽかったなと、こちらもあちこち歩き回る。そして圧倒されるダンサーは年を経た人間が圧倒的に多かった。助平そうなオヤジのあの色っぽさはどこから来るのだろうかと、羨望のまなざしで見いってしまった。アラビアンに比すれば、彼の衣装はほとんどが暗色、いや暗色でなければならない。モダン・タンゴが単なるステージ・ショウに変わってしまい、ビジュアル系タンゴなのに、クラシック・タンゴには、オヤジの衣服の下の肉体にたまった色気を眼もとから、鼻先から、首元から、腕先から、靴の先から発散させている。
ドラクロアはアカデミズムを超えるため「色」を求めて地中海を渡った。それも押さえた色ではなく、艶やかで「彩」な色を。前回帰国時、物書きの友人がアタシを見て言った。「なんだかスケベさが消えてきちゃったね」。涸れるには早いか。今一度振り絞ってみるか。
[ MEMO: ドラクロアのスケッチをウェッブで探したが、日本のサイトの絵はみな小さく、これでは子供たちが絵の学習をしようにも役立たずだ。海外のサイトには、美術館や画廊が、収蔵作品を詳細に紹介していた。 ]
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