今 日もメモの写真です。風景も人も今回はほとんどカメラに収めていません。それだけ仕事に熱中していたことでしょうか(事実です)。下班(退勤)時間は人さ まざまですが、決まりは朝の八時半から夜の六時半までだそうです。私は九時から夜の八時近くまで働いていました。一人で事務所を出て、一人で夜の食事をと る、そんな毎日でした。それでも週に一度くらいは誰かが誘いをかけてくれます。近くのイタリア料理店、タイ料理のお店、お酒も出る日本料理店、それに普通 の食堂。ごくごくまじめな生活でした・・・
そ んなわけでお酒が中心の席に誘われると、無作法をしてしまったりします。このプロジェクトのオーナーが、関係者一同をあつめて会食会を開きました。彼のホ テルの大広間に十数人、高級なウィスキーとワイン、豪華な料理、少し送れて登場したオーナーとともに食事は始まりました。私は仕事の緊張が抜けなかったの でしょか、酒が入り、料理が運ばれてきた辺りまでは記憶があるのですが、その先翌日の午後一時半まで、思い出せるのはわずかに三つばかりのシーンのみでし た。タバコを買いにいったこと、クラブらしいテーブルの目の前にオーナーが座っていたこと、どこかのカウンターで誰かが何かの手続きをしていること・・・なんと十六時間もの間意識不明だったのです。気がつくと、見知らぬホテルのベットに横たわっていました。それもフロントからの電話、「延長しますか?」の 催促の電話が来るまで。「すぐ出ます、すぐ出ます」と下に下りてフロントで清算しようとするとすでに会計は終わっていました。カードの名義には事務所の古 株建築師の名前がありました。残されていたのはTシャツに残る強い香水のみでした。
古株建築師との関係はその日から始まりました。何度かの夜を二人で過ごします。一回目は私のおごりで、もう一回は彼からの盛大な宴席、新北投の酒家での宴 会でした。私のおごりはささやかに、内湖という郊外で古い台湾を残す飲み屋さん。新北投の宴会は、女性が脇に付きバンドが入ったにぎやかなものでした。
この彼、古い時代の台湾の味を持っています。話す言葉も台湾語中心ですし、仕草も格があります。いわゆる男気を見せています。男気が過ぎてついこの間まで 女房をもちませんでした。私の立ち振る舞いは、彼には苦々しく思えたに違いありません。「大行征、あなたは変人だ」と口にしますが、いろいろな場面で私を 諭す言葉をかけてきました。
彼は数年前までしていた仕事に誇りを持っていました。MRT、台北の新交通の駅舎工事を取り仕切ってきたことです。合衆国の顧問団相手に成し遂げてきたこ とです。私のデスクでMRTの説明をしながらその成果をメモにしてくれました。久しぶりに男気を思い出させてくれた台湾人でした。酒に酔ったあとはいつで も、私のホテルのラウンジでただの珈琲を二人で飲んで分かれたものです。帰る時間をはじめに表明して、そしてその通りに出て行きました。
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