Wednesday, December 22, 2004

[追伸:台北通信] 06-残された砦 「寶蔵巌」

一 昔前までの台北市内のいたるところに違法建築群がありました。いわゆるバラックです。仮説小屋ですね。なかには街区すべてがバラック群のところもありまし た。特に有名だったのは、南京東路と林森北路との交差点、林森北路をまたいだ一帯です。もともと日本時代には神社が建てられ、お墓のあったところだそうで す。日本の敗戦のあと、蒋介石といっしょに台湾に渡ってきた人たちの一部がここに住み着いたといいます。

残念なことに、この人たちは神社を取り壊し(鳥居の礎石は大きく重かったのでそのままバラック群の中に残されていたといいます)、お墓の石を使って基礎と し、その上に家を建てたと聞いています。私の記憶では、そんなことなど露も知らず、活気のある迷路のような細い路沿いの小さなお店が続く面白い場所という ものでした。国民党が政権基盤を弱くするにつれ、また都市再開発が進むにつれ、ここは本来の場所へ戻そうという運動が始まったようです。ほんの十年ほど前 のことでした。今ではきれいな公園に生まれ変わっています・・・

バ ラックはすぐに取り壊すこともできますが、こちらは一筋縄ではいきません。市内南の端、台湾大学を少しすぎて新店渓(川)と接する高台に出来上がった違法 建築の固まりは、時間とともに堅牢かつ幾重にも重なり合って築かれてきました。山と川に挟まれた、守りを固めるのに十分な立地条件を備えていました。独立 した自治組織を持ち、周りとは異なる言葉を話し、彼らが記念日とするその日には青天白日旗が家々に立てられます。こちらも急な坂道の路地をもち、車の出入 りもできません。ある壁には、いつの日か故郷に戻ろう!という標語がペンキで書かれていました。

私の知人で先輩のお嬢さんが台北市役所の文化局で働いています。たしか台北に来て三週間たった日曜日のことだったと思います。かねてから話のあった見学会 がもたれました。先輩のお嬢さんに連れられて、ここにやってきました。お嬢さんが今やろうとしていることは、これら台湾の複雑な歴史がつくってしまったも のを、用途転換しながら残せないだろうかという試みです。まず手始めに、芸術活動をこの砦の中で催し、住民に徐々に理解を得ながら修復へ持っていこうとい うことだそうですが、時間のかかる作業になることでしょう。

それにしても、小さな台湾の中で、このこと以外にも複雑な背景があることをいまさらながら驚かされます。大陸との関係、いまだに続く海外移民希望者のいること、華僑という私たちには理解できない人間関係などなど・・・

No comments: