Thursday, December 23, 2004

[追伸:台北通信] 08-Big Mom

「二ヶ月も出稼ぎに出かけていて、仕事は何をしていたのですか?blogでは人のことや古い町のことや食べ物のことしか書かれていませんが・・・」
「もちろん仕事で出かけたのですからしっかり働きましたよ」

ある台湾の大きな企業の手付かずの土地がありました。あれこれ計画は立ててきたのですが、実現までには到りませんでした。実現しなくても企業は困らないく らい他で仕事をして稼いでいました。ところがほっておけない事情が外からやってきました。敷地の前の道路に地下鉄駅ができることになったのです。地下道か らの出口が敷地のどまん前にボカッと出てくることがわかりました。これでは困ります。地下鉄工事も休んでいません、こちらも急がなければならなくなったの です・・・

こ の企業は複合ビルを造りたいと考えました。しかし今まで複合建築を企画したことがありません。どうしよう、と相談された先が私の先輩でした。先輩は「外国 人に頼むべし。日本に神様がいる」と声がかかったのが私でした。神様には参りましたが、いわゆる外圧を利用したらどうかというのが本音でしょう。

一ヵ月後にオーナーの大ボス、つまりおやじさんに報告できるレポートの作成が私めの役割です。来てみると資料もない、条件も整理されていない、何をやって いいのか分からない始末です。スタッフをつけてくれたのですが、これがハーバード出のアメリカ生まれの中国人女性でした。こちらに来てわずか七年、これで は私より台湾の法規や建築事情は疎いはずです。二人の外国人は、それでも毎日毎日一生懸命働きました。

彼女がスタッフについてくれたことは、私にとってあるメリットを生みました。彼女、台湾の習慣に縛られることがなかったのです。ここの設計事務所は、ある 意味企業の企画室でもありましたので、オーナーの意向を心得すぎていました。彼女と私は外国人、そんなのお構いなしです。合理的でないものは駄目なもの、 発想はフレキシブルであるもの。他の人たちがPCと取り組んでいる脇で、二人はフリーハンドの作業を進めました。

私がコンセプトを絵なり言葉で表現すると、彼女図書室をかき回し、数時間後にはスケッチを持ってきます。間違いがありません。質の高い回答をだしてくれま す。合衆国での厳しい競争を生き抜いてきたからか、仕事も速い。またたくさんのINDEXを持っていて、かつそのなかから最適な検索ができる。おかげでい い答えが出せましたが、ここの習慣に乗らない私たちには苦しい展開でもありました。なかなかオーナーの意図が見つけ出せなかったからです。滞在が長引いた 理由はそこにありました。

彼女との関係で難しい場面も出てきました。彼女、中国語はまだまだ発展途上だったのです。もちろん私より十分話せますが、漢字が苦手と来ています。漢字書 いて見せて、とせがむと怒っていました。メモは日本語から英語に、そして中国語へと翻訳されていきます。ここでも彼女の才能が活きてきました。私のメモは 彼女の翻訳で膨らみが与えられたのです。トンネルの先が見えないような作業が続いても、持ち堪えられたのは彼女が脇にいたからにほかありません。

一言。凄い美人でした。古典的な・・・今では見ることができないような・・・オバサンでした。私は「Big Mom」と呼んでいました。(すいません、写真はありません。写真を撮ると怒鳴られそうでして・・・)

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