Wednesday, June 23, 2010

[East Asia photo inventory] 「ベトナムは東アジアの匂いーサイゴンの中国人」

ホームページを閉鎖することにしました。古い記事、当時の東アジアの雰囲気を伝えた部分をこちらに掲載しておくことにします。

メコン川フェリー乗り場の物売り photo:(C)Eiji KITADA

建築雑誌 "at" 連載 第12回
「ベトナムは東アジアの匂いーサイゴンの中国人」

文:大行 征
写真:北田 英治

サイゴン空港に降り立った我々を出迎えたのは、中国系ベトナム人の女性である。日本語のできる通訳を期待していたリーダーの苛立ちを尻目に、彼女は我々が当然のように中国語を理解するものと思って話をはじめた。聡明な眼差しと、毅然とした態度と、人の上下関係を即座に理解する中国人特有の素養を彼女は身につけていた。歴史を遡れば、ベトナムも日本同様、中国の友好国であった。それに、十九世紀後半までは漢字が使われていた国である。そんな知識が彼女にどこかにあったのか、日本人が中国語を理解できないとは思わなかったのかも知れない。

たしかに、ここには中国の匂いがある。メコンの街、カントーでは、英語を勉強中の、外国人というと話しかけてくる類の中国人女子学生に出会ったし、かつての日本人街もあったという中部の街ホイアンには、騎楼をもった中国南方様式の街屋が残されていた。サイゴンの中国人街チョンロン地区では、独自に中国語の新聞「解放日報」まで発行されており、ほかに外字新聞をもたないベトナムで、湾岸戦争の記事を入手できる数少ない媒体でもあった。しかし経済活動の中心を占め、常に新しい情報を手にし、中国人を表明するかたわら、賑わいを見せるサイゴンのベンダン市場では、中国人の物乞いに出会うことになった。

南の都市には物乞いが多い。かれらはあらゆる機会をつかまえ、使えるものなら何でも、親でも病人でさえも引っ張り出し物乞いのネタにする。市場で出会わせた子供を抱えた母親は、三十分ちかく我々についてまわり、ベトナム語とカタコトの英語と中国語とで二人のおかれている惨状を語り続ける。そして最後には、自分の子供を買ってほしいとまで言いだす始末である。僕はお金をあげることにして話しかけた。「よし、子供を引き取ろう、いったいいくらだい?」。

市場を舞台にした彼女の演技はここで幕を閉じる。彼女は、僕が与えた以上の演技をみせてくれた。それに荷担した子役も見事であった。彼女は上海の出身、結婚してご主人についてベトナム中部に働きに来る。雇い主がサイゴンに出てきたものの、事業が芳しくなかったのか、また中部に戻ってしまう。ついてきた彼女の一家は、残って働くことになった。彼女にいわせれば、物乞いも立派な職業である。

それにしても、ベトナムに住む人々は中国人を含めて活き活きとしている。世界最貧国といわれながら、彼らの表情にはそのかけらも見受けられない。むしろ、久しぶりに表情豊かな人々に出会った思いである。市場の物乞いや、メコン川のフェリーで出会った物売りがみせた仕草、そして街なかの建築物にいたるまで、いまの日本では失われた表情を見せてくれた。
(第11回終り- "at" '91/04掲載)


「ベトナムは東アジアの匂い」ーサイゴンの中国人 十年後記 2001年7月7日

掲載されたベトナム人女性の写真は、どの絵を載せるか写真家の北田君と話し合った際、僕が強く希望した一枚である。建築雑誌に女性の写真を全面に出すのを、編集者の高橋君はきっと嫌ったにちがいない。しかし、女性の豊かな表情と、ベトナム人というよりは中国人にちかい顔つきで、連載の趣旨にかなうものとして大きく載せることにした。

場所はサイゴンから南、カントンというメコン川南の街にわたるフェリーの埠頭で彼女に出会った。埠頭では、メコンを行き来する客を相手に物売りがあふれていた。マイクロバスで南に向かっていた我々は、バスを降りてフェリーが出発するまで辺りを歩き回った。埠頭は人と自転車とバイクと自動車、それにバスでごった返していた。子供たちが客にコインを河に投げ込むようせがんでいる。おもしろ半分に投げ込むと、子供たちは河に飛び込んではそのコインをすくい上げる。客にその成果を見せびらかせ、コインはその子たちのものになる。

フェリーの出発時間が来て、我々はバスに乗り込む。その瞬間、多くの物売りが閉まる扉に篭を押し込み最後の売り込みを計ってきた。一人の物売りの、扉から我々に向けた表情があまりに印象的だったので、僕は写真家にシャッターをせがんだ。バスは動き始めようとしていたし、扉を閉めないと物売りは立ち去る気配をみせなかったので、押されたシャッターはわずかに二回程度だった記憶がある。日本に戻り、できあがったこの時の写真を僕はかなり気に入った。

[注:内容的に間違いのある部分も含め、手は加えてありません]
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」  に収録されています。]

1 comment:

fumanchu said...

私が知っているヴェトナム人にTrekEarthのThanhさんがいます。
http://www.trekearth.com/members/ngythanh/
新聞のフォトグラファーをしていて、サイゴンの米国大使館からの、最後から何機目かのヘリで国を離れ、今は米国にお住まいのようです。
以前「昔の写真」の凄まじいのを載せていらっしゃいました。
知ったのは「田んぼ」の写真から。
http://www.trekearth.com/themes.php?thid=5473
彼は中国の米屋が強力なので、既にヴェトナムでは種モミの商業的生産が出来ないことを、心配しておいでです。中華帝国主義の恐ろしさをご存知なのでしょう。。