REX Hotel の屋上 photo:(C)Eiji KITADA
建築雑誌 "at" 連載 第11回
「蘇る”旧体制”」ーサイゴンのホテル (ベトナム)
文:大行 征
写真:北田 英治
建築雑誌 "at" 連載 第11回
「蘇る”旧体制”」ーサイゴンのホテル (ベトナム)
文:大行 征
写真:北田 英治
二十数年前、ラングーンからの帰路にベトナム上空を横断した。旅客機の窓から、爆撃であがる爆煙を見ることが出きると言われていたが、上空はどこまでも澄んでおり、地上は深い緑で覆われていた。サイゴンが陥落したのは一九七五年四月三十日である。
あれから十六年を経ようとしている。いまだに旧アメリカ大使館は取り壊されず、廃屋同然の姿をさらしている。そのほかにも、北の首都ハノイと異なり空爆を受けなかったサイゴンには、かつての国会議事堂や大統領官邸が呼び名を変えて使われていた。市内の街路も読み替えられてはいるが、街なかには多くの”旧体制”が残されている。”旧体制”とは、”建築物”とその”ネーミング”のことである。
サイゴンを愛した人たちがその宿としたホテルには、二つの名称が記されていた。今では点灯されることのない、控えめな看板には「九龍」(クーロン)「独立」(ドクラップ)「ペンダン」の名が、それらを覆い隠すように「マジェスティック」「カラベル」「レックス」の大きくネオンサインで強調された名称が浮き彫りにされている。
自由主義陣営の人々の去った後、彼らの置き土産をそのまま引き継ぐ必要がなくなったホテルは、その由来も来歴も知る必要のない東側の人々に利用されてきたはずである。
解放後、中国とカンボジアとの戦いで経済的な復興の遅れたこの国は、八十五年以降、安全なドルを獲得するため、侵略し続けた国々の人々を迎え入れざるを得なかったのかも知れない。外国人の支払いにはドルが求められ、物乞いを振り払うために内貨を差し出すと、やはりドルをせがんできた。
開かれはじめたサイゴンを訪れる自由主義陣営の人々は、記憶のなかの”旧体制”を確かめようとする。その際に「九龍」「独立」「ペンダン」では、この旅に支払われた代価は半減してしまう。我々はいまもって、何処かで「落日のサイゴン」を求めているのである。
ベトナムの土を踏んだその晩、程度の悪い「独立」を抜け出し、「レックス」を訪れた。ホテルの屋上庭園には、テーブルを囲んだ西洋人のグループがいくつか見受けられた。彼らはベトナム珈琲を傍らに、円テーブルの中央に置かれたポータブルラジオに耳を傾けている。スピーカーの音は不明瞭で雑音が多く、我々のテーブルからは内容を聞き取ることはできなかった。
「戦争が始まったな」、そう気がつくまでにはかなりの時間を要した。
BBC放送は、湾岸戦争の開戦からすでに半日が過ぎていることを伝えている。そして、自分たちの母国が参戦しようとしている状況にあって、常に戦争に直面してきた元植民地所有者の西洋人が、この戦争でも敏感に反応する様を目の前で知らされたのである。「レックス」はいぜんとして”旧体制”に寄り所を与えているかのようであった。
一九九一年一月十七日のことである。
(連載第11回- "at" '91/3掲載)
「蘇る”旧体制”ーサイゴンのホテル」 十年後記 2001年6月23日
二年前、台湾の仕事は数カ国の関係者の関わるため、英語が共通語として使われることになった。現地の会社で英語習得のプログラムが組まれ、私もそれに参加させられた。英語教師の面接が行われ、最初に登場したのはカナダ人女性。闊達な性格はよかったのだが、話をしていると彼女の口元しか見えなくなってしまう。とても大きいのだ。副総経理に遠慮してもらいたいむね伝えた。
次がやはりカナダ人のガッシリした男性。日本、韓国と英語教師を務め、いまは台湾に滞在していた。彼の場合は呼吸困難なのかと思えるような息づかいで、遠慮していただいた。後で聞いたところ、ラガーマンだそうで、鍛えられた首周りが気管を圧迫していたのかも知れない。
私のわがままを満たしてくれたのが、英国人の若者。はじめてあったときには高圧的で横柄に見えた。ただ、発音が良かった。英国人特有の切れのいい話し方もいままでに味わったことのないものだった。私からOKがでたその場から授業をはじめたのには驚かされた。
この若者、なかなか面白かった。実は若者ではなく若造だったこと。年をごまかしていた。25だという話だったが、本当は22歳。なす事ハイティーンのよう。そのくせ部屋にはいるときには私を先に立たせるという慇懃さも持ち合わせている。
ちょうどその頃、コソボ紛争が激化しており、教材にも英文ニュースが扱われた。この紛争の意見を求められたので、「空爆は不公平だ。圧倒的な戦力差がありながら地上での戦いをしない。湾岸戦争もそうだったが、紛争を押し進めるのはいつもアングロサクソンだ。」と英国と合衆国をやり玉に挙げた。彼はそのまま聞き流していたが、このところの大きな紛争はみなアングロサクソンが仕掛けた戦いだっようなきがする。
サイゴンのレックスホテルでポータブルラジオを屋上のテラスに持ち出し、熱心に聞き入っていたのも当事者の英国人だったことを思い出す。
[注:内容的に間違いのある部分も含め、手は加えてありません]
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」 に収録されています。]
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