Monday, June 7, 2010

[East Asia photo inventory] 「不確定な風景-香港一九八七」

ホームページを閉鎖することにしました。古い記事、当時の東アジアの雰囲気を伝えた部分をこちらに掲載しておくことにします。

1987年6月31日/英領香港も借りた時間はあと10年 photo(C)Eiji KITADA


建築雑誌 "at" 連載 第4回
「不確定な風景-香港一九八七」

文:大行 征
写真:北田 英治

一九八七年七月一日の香港はその年最高の温度を示していた。一歩建物の外に出ると、体全体に三四度の水蒸気がまとわりついてくる。香港全体が上海風呂のようである。ビクトリア湾に浮かんだ木っ端のような啓徳空港で、比重が一に近い空気を味あわされて五日が過ぎていた。十年先の今日、自由経済のもっとも基本的な姿で機能していた英領香港が、地球上から消え失せてしまうこの日を期待して香港に滞在していた。中国銀行を始め、中芸や九龍城の一角に五星紅旗が翻るのではないかと、朝早くからタクシーを雇って町中を走りまわろうと考えていたものの、湿った熱気をホテルの窓ガラス越しに感じ取り、またベッドに戻ることにした。

その日の午後、地下鉄で九龍に渡った。街はなんら変わることなく、昨日と同じように汗を流した。当然、五星紅旗も青天白日旗もユニオンジャックも見ることはなかった。スターフェリーの入口で、手当たり次第に七月一日付けの新聞を買いあさり、一等船室に乗りこむ。新聞をひろげると、ある記事に目が止まった。一つは「移民」、もう一つは「ベトナム関連」である。アメリカ合衆国とカナダへの移民のお手伝いをしましようというもの。もう一つは「ベトナム親族捜し」「ベトナム定期航路案内」「ベトナムエキスプレスメール」。一つは香港からの脱出を、もう一つは香港に辿りついたポートピープルに向けたメッセージである。限られた十年という時間。時間のみが引き算の香港にあって、この地を見棄てようという人間、失われた国から十年後に消失する国にやってきた人間。そしてそれを商売にする人間。

自分の国籍を疑われることのない国民は幸せである。税金さえ払っていれば、憲法で保証された最低限の権利だけは守ってくれる。しかし、香港に居を構えようというなら、話は別である。七月一日の新聞のすべてが、新しい身分証の実施について第一面をさいた。十年後、おまえたちはどの国を選択するのかを問うている。新しい身分証は一九九七年以降、中華人民共和国香港特別行政区政府のものにとってかえられることになる。政治などクソくらえだと言っていた香港の人間も、今度ばかりは自分自身で自分の国を選択しなければならない。限られた時間、それも英中のボス交で取り交わされた約束ごとにそって、明日なぞ考えもしなかった連中が、十年間の引き算のなかで明日のことを考えねばならなくなった。

三年前のセントラルには、まだ中国銀行はその威容を表していなかった。香港上海銀行の隣の旧中銀の会議室で、我々はペイとパートナーを組んだ構造設計者から、革新的なトライアングルストラクチャーの説明を受けた。ピークの中腹では日本の商事会社が大規模最高級マンション群の竣工を急いでいた。銀行家はリパルスベイを見おろす集合住宅の改装に手をかさないかとささやいてきた。

現在、高級マンションは裁判沙汰の最中、銀行家は職を離れ、大陸向けの商売をはじめている。今なお香港の風景はきわめて不確定であり、明日を予測することは難しい。
(第四回終了- "at" '90/08掲載)


「不確定な風景-香港一九八七」 十年後記 2001年2月9日

一九九七年、私は香港を訪れなかった。その一年前、香港で何かが起こるかもしれないことを期待して宿の確保を手配しようとした。当日の7月1日前後は、信じられないような宿泊料が香港から伝えられ、日本の旅行会社はそれでも多くの客を信じて疑わなかった。返還の日が近づくにつれ、当地からの情報は魅力的なものではなかった。

当日、香港は予想以上に統制された行動で始終した。中国の思惑通りに進んだ返還行事といえるだろう。キャンセルを受けた多くの宿はダンピングで客を誘い、それでもどこもが満室になることはなかったという。

先日「甜密密」(日本題「ラブソング」)という香港映画を見た。はやりのラブソングを口ずさむ男と女の十年にわたる恋愛映画である。男は天津から、女は広州から働きにやってきた。男も女も大陸の人間である。香港映画が時代劇を除いて大陸の人間の話を中心に据えた映画を今まで見たことがない。

映画の中で香港の風景は今までと変わることはなかった。いや、むしろ今まで以上に商業主義のにおいを強烈に振りまいていた。テレサ・テンの歌を歌い、標準語を話す香港の人間は大陸からやってきたものだ、商売で成功するには広東語(香港で一般の人が話す言葉)と英語(英領香港の公用語)が話せなければならないと女はいう。変わったのはその中の人間だったのか。

[注:内容的に間違いのある部分も含め、手は加えてありません]
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」  に収録されています。]

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