上海預園の石像彫刻 photo(C)Eiji KITADA
建築雑誌 "at" 連載 第2回
「揚子江の南」
文:大行 征
写真:北田 英治
「揚子江の南」
文:大行 征
写真:北田 英治
同じ中国でも、上海と北京の風景はちがう。当たり前である。しかし、同じ文字を異なって発音することはあまり知られていない。だが、これも当たり前である。上海の預園の屋根は大きく反っているが、北京の紫宸殿は水平線によくなじんでいる。上海のバンドの風景はやはり北京には合わないだろう。同様に北京飯店は上海では高圧的すぎるかもしれない。
日本人にとって南の建物は奇をてらい過ぎだと感じるかもしれない。饒舌なのである。玄学的であり人によっては辟易とするかもしれない。上海出身の友人にこの件を話してみると”小功玲瓏”と書いてくれた。小粒にして秀麗巧緻とでも訳すのだろうか。
上海の旧中国人街にある預園はある金持ちの私邸であった。ここは小功玲瓏の展示場である。回遊する庭園の随所に光庭が展開し、一巾の絵のように彫刻がしつらえてある。梅にしろ鶴にしろその全てが石塊でできている。庭をくぎる白壁では龍が天空に飛び出そうとしている。空間はうねりそして歪む。写真のファインダーで切り取ってみればどれも感嘆に値するのだが、集合したものを見せつけられるといささかうんざりする。
これ程までにして表現しようとしていることは、いったいなんなのだろうか。おそらくこの建物に係わった全ての人々が自分の宇宙を表現しておきかったのではないだろうか。一つの要素に意味を与え、別の要素を付け加えて物語りをつくり、更には叙事詩へと導いていく。部分としても全体としても成り立っている。ちょうど漢字が一字一教義なのと似ている。一字でさえすべてを語ろうとする。南の文化にはそんな背景が色濃く感じとれる。もしかすると、南北の違いは漢字を創り出した南とそれを利用した北との違いかもしれない。このことはとりもなおさず、文化を伝達した漢字が、表意・象形文字ゆえに、どの地方でも翻訳され易かったことと無縁ではあるまい。
東アジアの国々は中国文化を受け入れながらも、その国独自の展開を比較的自由におこなっている。切り取る部分とその組み合せにより新しい教義をつくりだしている。漢字が各々をとりもって同義異音の文化圏を生み出していくのである。
(第2回終り- "at" '90/06掲載)
「揚子江の南」十年後記 2001年2月3日
北京の香山飯店の現在について詳しくは判らない。しかし、初めての訪問から3年もたたないうちに、建物は汚れ、庭は手入れが不十分、客層の顔つきも違っていた。なぜだかは知らない。市内から離れすぎているからなのか、南部が嫌いな北京人が近ずくのを嫌ったのか。
北京は空間も人間も何か大雑把でとげとげした印象しかない。政治の中心地となると、どこもそうだろうか。退屈をしのぐ場所も上海に比べれば圧倒的に少ない。夜中まで仕事が続いたある週末、同僚と二人天安門広場前の大通りで退屈しのぎを考えていた。人と自転車が行き交うだけの通り、同僚に提案する。「おい、抱き合って見せようぜ!」。この案は決して彼に受け入れられなかったが、今ならどうだろうか。
上海は北京に比べるとはるかにくだけた感がある。
魯迅の上海時代の住まいを取材した夜、友人とホテルの外にでると若者たちが近寄ってきた。「話をしたいんだけど・・・」 「飯にしたい」「あっちだ、こっちだ・・・」「安くて美味しいとこ」「OK!」で、連れてこられたのはバンドの入り口に建つかつてブロードウェイマンションとよばれたホテル裏。こぢんまりとした普通の店、料理は上海家庭料理、しかし何かが違う。若者たちはにやにやしている。客は男ばかり、それも結構いい男たちだ。オンナはわずかに掃除のばっちゃんだけ。そう、ここはホストが店の始めや終わりに食事をするための溜まり場だった。
[注:内容的に間違いのある部分も含め、手は加えてありません]
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」 http://www.sinkenstyle.co.jp/sub_contents/asianlile/index.html に収録されています。]
No comments:
Post a Comment