中国・上海市内 photo:(C)Eiji KITADA
建築雑誌 "at" 連載 第6回
「アジアを夢見る-上海1945」
文:大行 征
写真:北田 英治
建築雑誌 "at" 連載 第6回
「アジアを夢見る-上海1945」
文:大行 征
写真:北田 英治
日本植民地時代の始まりとその終りに、上海を舞台とした二人のヒーローが登場する。同性同名で名前を本郷義昭という。二人は時代を共有することもなければ、中国に対する世界観もまったく異なっていた。しかし、アジアの解放を望んでいたことで二人は共通している。
ひとりは陸軍情報部の将校として日本帝国主義による中国の解放のためにアジアを駆け巡る。もうひとりは終戦まぎわの上海に特派員としてやってきて、敵対する民族の男女がお互いを理解し合うことによる解放を体験する。
昭和六年、日本植民地政策の最盛期に、少年小説作家の山中峯太郎は「亜細亜の曙」を発表する。本のなかで主人公の陸軍将校本郷義昭はインディー・ジョーンズばりの冒険活劇をみせてくれる。ジョーンズとのちがいは本郷が鉄の意志をもって「国家の危機」を救ってみせるところにある。アジアの開放を望む本郷は中国人に向かって号ぶ。 「聞け!支那人諸君!諸君は日本帝国の真精神をいまだ知らず、○国に従ってみだりに亜細亜の平和を破る。めざめよ中華国民!たって日本とともに亜細亜をまもれ!」
もうひとりの本郷は、コミック作家の森川久美が昭和末期に描いた「上海1945」に登場する。主人公は「大和魂がある限り日本は負けん!貴様は日本人の恥だ ! !」といわれ続けられた新聞記者である。 特派員の本郷は、日本が無条件降伏したとき、「死に損なったよ・・・」とつぶやく。彼にたいしてどうしても素直になれなかった中国人の女友達は、抗日戦線の友人からいわれたと、はじめて見せた恥じらいで彼に伝える。 「新シイ中国ノ建設トイウノハナンダト思イマス?ソレハアナタヤ私一人一人ガ、自分ノ心ノママニ愛スル人ト共ニ幸セニ暮ラセルヨウニスルコトデス」。
二人はアジアを夢みている。その中心にとてつもなく大きい中国がある。その大きさのためか、民族のためか、われわれは中国を捉えきれないでいる。本郷義昭のこだわりもそこにあるような気がする。 上海は二人の本郷が熟知している場所である。二人の間には二十年の隔たりがある。にもかかわらず上海の風景に変化はない。二十世紀初頭から三十年まで、英国を中心としたヨーロッパ列強は上海の風景をつくりあげた。二人の本郷を生みだした山中も森川もこの風景から逃れることはできない。いやこの風景があったからこそ、本郷はヒーローになりえたともいえる。
建築のもつ凄みの一つはここにある。作品としての質にかかわりなく、時間を経ることができただけで価値を生み出してしまう。上海の風景は歴史に翻弄されることなく、現在にいたっている。それゆえに、時代を越えて描かれた記録を、いまでも重ねあわせることができるのである。 上海は二人の本郷義昭を虜にした不可思議な都市である。
(連載第六回- "at" '90/09掲載)
「アジアを夢見る-上海1945」十年後記 2001年2月10日
テレビで見る現在の上海は異様としか思えない。まるで万国博覧会のようだ。
十年前の上海はまだ、アンドレマルローが、金子光晴が、蒋介石が、「太陽の帝国」の作者バラードが愛した上海の面影は残っていた。そこには20世紀前半に上海を埋め尽くした建物が残されていたから。薄暗く、雑踏と猥雑さの匂いが残されていた。また、外国の観光客にもそれで売っていた。今の観光客は上海で何を見るのだろうか。
1985年だったか、一冊の本が出版される。「宋王朝」という宋家三姉妹について書かれた本だ。長女は中国金融界を牛耳った男の妻、次女は孫文の妻として中国人民に操を捧げる、三女は蒋介石の妻、彼女たちを中心に激動の中国の歴史を描いた本として有名である。出版前、この本の内容が知られるようになると、作者は見えない影からいろいろな圧力を受ける。刺客が指し向かれたとか、終いには出版元からすべて本を買い取ってしまえという話もあったらしい。
原因は上海時代の蒋介石の行状が描かれているからだ。嘘か本当かは判らないが、蒋介石はやくざの庇護の元で権力を維持してきたというのだ。英文の本の作者紹介欄には、資料の出所にはFBIからのものもある、と記されている。台湾の一部では大騒ぎだったようで、中文に翻訳され台湾で出版されたものには、原本にあった箇所がいくつか削除されていた。やはり上海はよほど魅力あふれる都市だったのだろう。
「アジアを夢見る-上海1945」二十年後記 2010年6月10日
「亜細亜の曙」の作者山中峯太郎は生粋の軍人であり、生粋の右翼でもある。しかし彼の経歴は別として、少年少女向けに書かれた「亜細亜の曙」は面白かった。何しろ話が痛快なのだ。それゆえ少年少女たちが主人公の本郷義明に憧れたことは疑いもない。戦後ある左翼系著名評論家が山中峯太郎とその作品を帝国主義を小国民に押し付けたと評した。しかしだ、少年たちは強いものに憧れるものなのだ。苦悩する反戦左翼系知識人の話を少年少女に押し付けても、学習することのできる彼らにはおそらく糧にはならなかっただろう。
J.G.バラードの自伝的作品、「太陽の帝国」を紙で読んだわけではない。スピルバーグの映画で見ただけだ。そのなかで、上海の豪邸に住むイギリス人一家のバラードは親の心子知らずで日本の戦闘機ゼロ戦を手に勝ち誇ったように空中を走らせる。当時ゼロ戦は最も優れた戦闘機として知られていた。バラードも強いものに憧れていたのだ。そこには敵も味方もなかった。
森川久美さんは少女コミックスの読者にとっていまやレジェンドなのかもしれない。いち早く中国を舞台に作品を続けさまに発表、どれも面白く興味深かったと記憶している。いや私は娘の本棚から森川さんの本を見つけ出して面白い面白いといっていたただけで、本屋で少女コミックスを購入する勇気は持ち合わせていなかったのだが・・・。
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」 に収録されています。]
1 comment:
山中峯太郎の別名である山中未成は、「革命尚未成功」から採った、というのは連想できたのですが、Wikiによると孫中山の号は日比谷辺に住んでいた頃、「中山」という表札が気に入ったから、というのは新たな所見です。
総武線の中山駅は正中山法華経寺からと思いますが、境内には孫中山氏を偲ぶ人々からの寄進らしい石碑、仏像などが並んでいます。
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