韓国・束草(ソクチョ)の渡し photo:(C)Eiji KITADA
建築雑誌 "at" 連載 第5回
「三十八度線の北-建築のない風景」 (韓国・束草)
文:大行 征
写真:北田 英治
韓国の北西部を江原道と呼ぶ。ここには朝鮮動乱以前に、三十八度線より北にいたい人たちが集まって住んでいるという。いつの日にか北に帰れるかもしれない、という想いがこの地方にはあるという。
動乱の後、大国の取り決めで引き裂かれた分割線、東西の話し合いが進むなか、彼らはこの線の南側に集まってきたという。それも着の身着のままで。線の消える日がやってきたならば北へ帰るのだという思いが、ここを定住の地と考えることもなく今に至っている。そのためか風景は貧しく、建築らしい建築も見あたらない。
二年前の冬、ソウルから高速バスを乗り継ぎ、鉛色の海岸線を北上した。彼方まで続く鉄条網沿いに、緯度が北に最も近い小都市・束草に入る。かつて、海岸線は街の奥まで入り込んでいたが、日本海の荒波を遮るために埋め立てられた。その帯状の防波堤には、今では海風を避けるための、軒の低い民家が薄く長く張り付いている。運河状に残された水路の奥には漁港があり、ちょうど街は分断された格好になっている。そのため、人の往来は渡し船に頼っている。わずか両岸五十メートルの間にスチールロープを渡し、鉄のフックを乗客が代わる代わるに引きながら向こう岸へと渡っていく。番所が海岸仙川にあり、乗客はそこで十ウォンを支払う。彼らは町にでるのにも運河のロープを手繰らなければならない。人影の途絶えたときと漁船の出入りのとき、この風景は停止する。束草の町のなかで、動きのある風景はここにしかない。
見るべき建築があるわけでもなく、ただ荒涼とした風景が広がるのみの場所。見えるものは、北からの進入を防ぐため海ぎわに張られた、どこまでも続く鉄条網と、運河の傍らでひたすら三十八度線の北へ戻れる日を待ち望む人々の姿かもしれない。束草では、人が住み続けているにもかかわらず、建築のない風景がひろがっている。
韓国の風景は美しい。しかし、多くの古建築は長年にわたる動乱で原型を留めていない。近代建築のほとんどは植民地時代の遺産であり、それも二流品の焼き直しである。とはいえ、そんなこととは関係なくたたずまう、名もない風景の中の建築に魅力を見いだすのは、明らかに空間が民族やその地方の文化を表現しているからであろう。その点を心得て東アジアの空間を見るならば、西洋合理主義のものの見方・考え方とは、別の切り口を探り出せるにちがいない。もし建築を、いかに効率化と合理化するかを中心に考えるとするならば、東アジアの風景は退屈きわまりないと感じることだろう。
(第五回終了- "at" '90/08掲載)
「三十八度線の北-建築のない風景」十年後記 2001年2月10日
三十八度線沿いの旅から戻って間もない頃、日本のテレビで「チケット」という韓国映画が放映された。舞台は韓国のひなびた地方都市、そこの喫茶店で働く女たちのお話。喫茶店にコーヒーの出前を注文すると、女性が配達してくれる。女性は配達以外のサービスをして収入を得ることになる。
ソウルから束草のバスターミナルで降り立ち、我々は宿の手配をしなければならなかった。2月、三十八度線に近い日本海側のこの小都市はやたら寒い。ホテルでも簡易旅館でも良かったが探しあぐねていた。暖と口を潤すために喫茶店にはいる。客は若い女性ばかり、それもだらだらと適当にテーブルを占めている。コーヒーを運んできた女性に身振り手振りで宿はないかと尋ねると、案内しようと近くのひなびたホテルに連れてってくれた。その女性は、帰り際にコーヒーを持ってこようか?らしいことを言って戻っていった。
それから二日たった早朝、我々は三十八度線に向かう道路が行き止まった町の宿で警察官にたたき起こされた。昨夜は遅くまであちこち歩き回って酒もしこたま飲んだ後、酔いの残った顔で質問を受けることになった。仲間のうちの何人かが、飲み屋で前線から戻った若い軍人たちとちょっとした口論があったらしい。年寄りの、日本語の通訳が職務に忠実そうな警官に我々の返答を翻訳してくれていた。警察官は、無礼があってはいけないとの配慮からか、簡単な朝食を注文してくれた。温かいコーヒーとトースト、配達してくれたのは若くて魅力的な女性、我々のやりとりをおもしろそうに聞き入っていた。
「チケット」という映画を見たのはそれから半月もたたない後だった。
「三十八度線の北-建築のない風景」二十年後記 2010年6月9日
韓国テレビドラマ「冬のソナタ」がNHKで放映され始めたのが2003年のこと、一躍韓国はドラマの輸出国となっていく。あるとき、韓流紹介の番組を目にしていたところ、あるドラマのいちシーンが目に留まった。どこかで見たことのある風景。紛れもない、束草(ソクチョ)の渡し場だった。ドラマの題名は「秋の童話」。小さいときに切り離された少年と少女、二人は一途に思い続け、成長した少年は彼女を捜し続ける。二人のすれ違いの場がその渡し船だった。
テレビで見る渡し場周りの風景は当時と異なっていた。本島側にはビルが、遠くには高層マンションの姿が。残されていたのは彼女の母親が営む小さな雑貨屋。昔我々は店の前に置かれた箱に船賃1ウォンを投げ入れた。「チケット」を売るコーヒー店がいまだに残されているのかは解らない。
束草を後にバスで朝鮮半島を横断する。たどり着いたのは春川。「冬のソナタ」のロケ地のひとつだと知るのは十年以上もしてからだ。我々は春川の風景に満足できず、さらに北へ、38度線へと向かった。夕暮れ時たどり着いたのは華川という小さいながら飲み屋食い物屋キーセン宿もある前線の補給基地。それとは知らず、平和な日本人たちは飲み食いを満喫した。そして兵士といざこざを起こし、我々の存在は小さな町に知れ渡ることになった。翌早朝我々は警官に尋問される。
人のよさそうな日本語のできる親爺さんと若い警官、一行四人、私の部屋に集まった。まず警官が話を切り出したのは以外にも「食事は済まされましたか?」というものだった。いやまだですと答えると、若い警官は親父さんになにか指図をする。型どおりパスポートの提示、そして職業を聞かれる。建築家ですと答える。脇の一人がそれに続く。続いて元来建築家だったが今では一流のもの書きになっている彼も「建築家です」。最後の一人、写真家は口ごもって言葉が出てこない。通訳の親父さん、同様に「彼も建築家です」などと話したらしい。そう、メディアがらみの人間は怪しまれる。厄介ごとにならないよう、親父さん当たり障りのない通訳をしてくれたようだった。
そこに小柄だが美形なお嬢さんがコーヒーとサンドイッチを運んできてくれた。そのまま出て行くと思いきや、警官の脇で興味深そうな目でわれわれのやり取りを眺めている。本題はというと、この先38度線の向こう側でダム工事をしていることを知っているか?というものだ。知る由もない。そう答えるよりほかにない。38度線の先でダムを工事しているのがどう問題なのか、今年はじめの放流により多くの被害者を出したことで答えがでた。
結局どうみても特務を帯びているとは見えない我々、朝食をご馳走になって解放された。
[注:写真はすべて写真家・北田英治氏によるものです。彼のアジアに関する写真は「ASIAN LIFE」 に収録されています。]
4 comments:
1973年に走行中の全慶線の列車から、カメラを落としたことがあります。次の駅でおりて、無事カメラを回収、やってきた列車に乗りました。汽車が来るまで駅長さんと日本語でおしゃべり。「小学校で「日本晴れ」という言葉を習ったけれど、秋は韓国の方が空がきれいなんだよ。」という話が記憶に残っています。
http://www.trekearth.com/themes.php?thid=6101
”Logistics 1973” http://bit.ly/96WOi8 この写真はすごいですねー、この車両からカメラを落とされた?
韓国旅していてお年寄りはとても親切な方が多かった気がしましたね。
「日本晴れ」、あちら韓国の日本晴れはどう表現されていたんでしょうか。
駅長によると、「韓国は大陸性気候で、秋は雲一つないのが普通の空なので、特にそう言った呼び方は無い。」とのことでした。
これは東海南部線釜山行きかつぎ屋列車です。まあちょっと昔の常磐線です。もっと凄いのに乗ったことがあります。全慶線光州発釜山行き普通夜行列車。びっしり6人掛けの腕木にもう一人ずつ腰掛けて一晩過ごします。泣き叫ぶ赤ん坊をカミナリ親父が怒鳴りつけると、赤ん坊はおびえて泣き止んでしまいます。労咳の血反吐みたいな咳をしながら「アイゴ、アイゴ。」と泣き続ける女を「俺はイルボンへ、大阪へ行って大金持ちになるから、もう少しの辛抱だ。」と慰める男。「可哀想な婆をそんなに押したら眠れんじゃないか、あー世も末だ。」と嘆く老婆、といった人々が道連れです。
今の韓国ではちょっと見ることが出来ないと思います。現在の中国には普通夜行列車というのはあるのでしょうか。
「日本晴れ」、「五月晴れ」、「秋晴れ」、台湾ではなんとよんでいるのかな?聞いてみます。
私が働いていた中国の会社、ここの従業員は全国からやってきています。春節、五一、国慶節などの長期休暇に帰郷するんですが、なかには三日三晩列車に揺られて戻っていく。移動だけで一週間近くをかける。この方、ですから毎年故郷を訪れるのは無理だといっていました。
高速道路がほぼ全国に整備され、快適に移動可能になっています。しかし列車より高価。依然列車に頼らざるを得ない。
調べたことがないんですが、ターミナル間が一番長い路線はどこでしょうね。普通夜行列車はごく普通です。
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