Tuesday, December 25, 2007

[廈門・564天] 離開 - 滞在許可-I

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

十一月末、広州に飛んだ。広州の日本領事館を訪れるためだ。辞職勧告も知らされていなかったこのとき、中国滞在のビザが切れる十二月八日まえにパスポートを更新しておきたかったからだ。パスポートも来年二月に切れる。三ヶ月後に切れるパスポート上に一年のビザを載せることはできない。一日休みを取って日帰りの広州への旅だ。早朝七時の便、廈門から僅か一時間の広州へ。空港の外に出ると、目の前に市内直行のリムジンバス。下りたところが日本領事館の入ったホテル。領事館の女性の指示に従い、書類に必要事項を記入し、近くで顔写真をとり、昼前に手続きは完了。直ぐさまリムジンに乗り込み、空港へと戻った。

会社から日本の旅行会社に電話を入れた。三十年来の付き合い、そういえば彼女、五十の大台に乗ったのではないだろうか、その彼女にパスポートとビザを更新したい、日本で要する日数はと聞いてみた。彼女、「二週間ちょうだい」。とてもそんな長期間休みは取れない。公休を取っても、月給の四分の一が吹っ飛ぶ。でかい数字だ。「オイオイどうにかならないのー、何かツテはないのー」と懇願すると、「あーそうだ、確か現地で更新できるはず、聞いてみる」と返事。できるのだ、いまは、簡単に。

まずウェッブ上、中国大使館のなかを探してみる。おおよその見当がついた。電話で直接確認してみる。「中二日で可能ですよ」。広州領事館の返答。本籍地さえ変わってなければ、パスポートの更新は、いま有効なパスポートと一枚の顔写真と書類一通、これで丸三日でOKなことがわかった。日本に戻れば、行き来で二日、パスポート更新に五営業日、ビザ取得に二営業日・・・。

とりあえず手続きだけは進めておこう、そのあと、パスポートを更新したその足で香港に飛んでビザを更新しよう。ビザ更新は、これまた昔なじみの旅行社さんが現地の人間を紹介してくれた。現地の彼曰く、十二時まえにパスポートを渡してくれれば、夕刻六時にビザを取得できるという。それもロングステイの。そうか、中国がらみは香港か、みな香港に飛ぶ理由がわかった・・・。(続く)

[ MEMO: 台湾の大兄、全て段取りを整えてくれていた。春節以降、わたしが同意すれば、大きなプロジェクトがまっている。廈門はどうする?離れがたい。台湾のプロジェクトを終えてから戻るか? ]

Monday, December 24, 2007

[廈門・563天] 離開 - 聖誕快楽!

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

「聖誕快楽!」。今日はこの一句がSMS上で飛びかっている。何はともあれ一つの節目なのだ。わたしも節目に乗ることにした。ただし、わたしは廈門にいない。

五日間の予定、大陸での仕事の件を検討するため、いま小雨の台北にいる。町もホテルもクリスマスで賑わっていると思いきや、そんな気配は微塵もない。ささやかなイルミネーション、小柄で美形だが、いささか厚化粧のホテル嬢は、「若者の日よ!」と口にした。彼女、三年前に長逗留した際にもいたのか、記憶は薄い。ただ、「アナタの記録が残っていますよ」と彼女は答えた。

昼過ぎに廈門を発ち、マカオ空港でトランジット、そして台北へ。廈門空港にしろ、マカオの空港にしろ、小振りなのがいい。変にばかでかくなく、人の群れでごった返す様子もない。マカオ経由の他に、香港経由も便がよく、台湾人はこのルートを利用している。最近では、国内空港から金門島へ、そこから船旅で廈門というのが安く早いと好評のようだ。但しアタシのような外国人は利用できない。

空港に着きすぐに手を打ったのが、携帯電話のプリペイドカード。いまではアタシも中国人並みのライフスタイルとなり、携帯電話なしでは何もできないでいる。何事も早く早くそして安く。中国での商売は迅速がモットーなのである。日本円で約千円のSIMカードを購入し、大陸のカードから差し替えた。

リムジンバスに乗り手当たり次第ショートメール、「聖誕快楽!」。視線の高いバスの席から見る台北の夜はどこか落ち着いて見えた。町中が駆け足だった時代は終わったのか、イブだったからかそれとも雨のせいだったのか・・・。

[ MEMO: 唐詩の件で張り合ったスカイプの友、出がけにパソコンを立ち上げると文字絵のクリスマスツリーを送ってくれていた。洒落ていた。 ]

Friday, December 21, 2007

[廈門・560天] 離開 - 開始

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

シンさんからは実にいいタイミングでメールが届く。今回もそうだ。丁度、アタシの生き方にいくつか方向が見えはじめたときに受け取った。返事をしたためたが、この際だ、blog更新のネタに使わせてもらうことにした。まあいい加減なジジであります。公開する関係で、内容は一部書き換えております。


現況報告:いくつかの選択肢が考えられる。ごく常識的に、わたしの専門である建築の企劃設計の仕事を続けること。お二方から話あり。まだお会いして話をしたわけではなく、一つの話で来週台湾に行ってくる。もう一つは春節まえに上海あたりで。とはいえ、食っていくにはいい仕事かもしれないが、やり残したいこととは一寸違っている。

ほかの話:もともと東京を離れ、千葉の片田舎で畑に取り組んだのは、四角張っていえば、環境とエコロジーに関わりたいと思っていたから。ガッコの先生と進めている話はこの件。こちらの大手会社が支援してくれるらしい。ということで何度か話をした。しかしガッコの先生がやりたいことと、わたしがやりたいことに差がある。彼は大きな製造に関わりたいらしい。日本の先端技術を移入したり工場建設したり・・・。さすが中国人、話は大きい。わたしはささやかである。再利用とか自然エネルギーとかをキーワードにしていきたい。

関連した話:廈門で会社を。ガッコの先生なり彼の仲間と投資して小さな会社を開く。わたしはニッチで面白そうなものに関わる。廈門に拠点を置きたいならこの方法が一番可能性が高い。場合によっては、建築がらみの話しもここで受けられればいうことなし。

関連した場所:今週末、ガッコの先生とある建物を見に行く。どうやら親戚が持っているらしい。低層で、三十年代の上海あたりの雰囲気らしい。ここをオフィスなりショップなりに使えるかどうかを見てくる。住むにもいいかもしれない。家中植物で埋め尽くしてみたい。猫も子猫も養えるかもしれない。(バキッツ!)

数年後のアタシ:ここ廈門には、老外(西洋人)の開いた店が多い。大部分はレストランとかスナックとかスタンドバー。まあそれなりにみな雰囲気がある。アタシにもそんな姿が考えられる。オフィスにはシンさんの絵が飾られることになるだろう。

協力者募集:したいと思っている。但しできることは限られるだろうから、大きく張ることはしたくないし、みんながやってきて楽しく過ごせる環境にしたい。貴兄は絵かな?どうだろうか、面白い展開はできないだろうか、シンさんの智恵をお借りしたい。

これからは体力勝負、いまでは送り迎えの車もなし、公衆バスでの移動だし、一寸した距離なら歩いて移動している。一時間半かけてコーヒーショップを行き帰りしたりしている。シンさんのテニスとまでは行かないが、かなりの運動量になっている。おかげでこのところ体中の筋肉が痛む。

ではでは・・・ 廈門のジジ

[ MEMO: 唐詩の件で張り合ったスカイプの友、遠回しに心配してくれているようだ。彼女のメモ欄に "PRISON BREAK?..." ]

Monday, December 3, 2007

[廈門・543天] 離開 -1

[離開 li2kai4 ]:(人、物、場所から)離れる。(クラウン中日辞典)

今日、東京のシンさんからメールが届いた。今年の寒さが紅葉をいつになく美しく見せているとあった。返事をしたためた。

「実にいいタイミングでメールを受け取っております。

本日、辞職勧告を言い渡されたのであります。ながーい権力闘争がついに私にまで及んだ次第なのであります。一時期は何とか収まったと思っていたものの、深いところでは続いていたのでした。まあのんびりとした一年半だったので、愚痴の一つもでてきませんし、一寸休暇を取ってから、失業するわけなので四六時中暇になるわけなので休暇とは言いがたいものの、今後何をしていくかに思いを巡らせようかと思っております。

ただ厄介なのはビザ、会社にいたときは一年という優遇されたビザがとれたので
すが、今後はせいぜい一ヶ月、その都度国外へと逃れなければならない。面倒だし、なにより金がかかる。失業の身には堪える。この数週間の間にあれこれ始末をつけなければならないのです。

この一年半、わたしはここ廈門で多くの友人に恵まれました。例えばガッコの先生とか、可愛く我が儘な秘書とか、面倒見のいい下町のおネーさんのような人妻とか、隙あらばわたしを仕留めようと狙っているお手伝いさんとか、口うるさく意見する台湾人の医者とか・・・とても貴重な財産がここにはあります。それを棄てる気は今のところないのであります。台湾人たちが、内にこもってカネ稼ぎに追われているのを見るにつけ、人という財産があたしにはあることをとても誇りにさえ思えてくるのであります。

差し迫った問題はビザ、とりあえず一度日本に戻ることになるやもしれません。もしかしたら靖国参拝に加わることができるかもしれません。状況がはっきりした時点で連絡を入れます。

とりあえずのご報告です。ではでは・・・ 廈門のジジ」

[ MEMO: それにしても突然の勧告、ビザの問題がなければどーってことなかったものの、いやはやまったくもってこの会社は管理システムがなっていない。困ったものだ。 ]

Friday, November 16, 2007

[廈門・526天] skypeの友たちとの微妙な関係

先日skypeの友と漢詩の件で言い争いをした。どうもお互いしこりが残っているようで、わたしのコメント欄に台湾のポップスの一節を載せたところ、「おー、面白いこと言ってるわねー」(ENG)と、相手のコメント欄が反応してきた。数日後、「このところ疲れるんだー」(ENG)とコメント欄が書き換えられた。今度はわたしが反応し、「気持ちを開けば疲れることないんだよなー」(ENG)。

このコメント欄というのは、不特定多数に向けて書かれるもので、誰それに向けてというものではない。直接指名相手に書き込まれているのではない。だから、アタシに向けているのかどうかは特定できない性格のもの。それでも・・・かもしれない・・・で反応してみる。相手が然る者なら、それなりに対応していただける。

skypeはインターネットフォン、安く電話する、海外だろうがお構いなし、とわたしは当初おもっていた。そのつもりでこちらでも役立つだろうと考えていた。ところがここ中国ではいささか異なっていた。主な使いみちはチャット。だから音声で呼びかけても、「あー仕事場ですので話はできませーん」(CHN)とチャットで返事。彼ら、仕事の合間を使ってフル活用しているらしい。

河北のスカ友と交信が途絶えて久しい。当初、二人してかなり多岐にわたる話題で盛り上がっていた。最後は付き合いきれないよなー、というわたしの身勝手なところで幕を閉じた。

同じ廈門に住み、日本語を独学で学び、わたしを教材にしてくれた女性がいた。家に戻り、パソコンを開くと真っ先にチャットを求めてきたのも彼女だ。やはり長く付き合っていると疲れてしまった。わたしの勝手さからだ。

台湾から突然にメールが入る。数年前、仕事でアシストしてくれた米国系中国人からだ。かのフェアウェルパーティーがはねたところで、衆目のなか、わたしに駆け寄り、腕をわたしに回した美形だ。懐かしい。skypeでチャットを始めたが、英語でのやり取りに疲れて終わったままだ。

見ず知らずの人と会話を持続させることの難しさ、いつでも回線を切れる気楽さ、それがわたしの身勝手な道具、skypeである。(もちろん正しく有効に家族との絆を日々確かめておいでの麗江の若造のような方もおいでなのです。使い方はいろいろ、ご本人次第であります。)

[ MEMO: 諍いのあった台湾人、ご婦人と麗江に永住してみたいと話していた。麗江、住む場所じゃないとアタシは感じましたけど。 ]

Tuesday, November 13, 2007

[廈門・523天] 出逢いとそして別れと

いつの間にか居座ってしまった廈門、気がつけば五百日を超えている。目処を立ててきたはずなのだが、何がそうさせているのだろう。思うに、ここでは人との出会いと別れの場が多かったからではないか。心に残る出逢い、去っていった友とがあったからではないだろうか。次の出逢いを期待しているからかもしれない。

・デブのアレックスが去っていった。別れ際、「可愛いコさがして仲良く過ごしてください」の一言。日本留学の経験ある彼のおかげで、資料の翻訳に不自由はなかった。米国留学もあり、数少ない国際性を身につけていた一人だ。

・化学工場の工程管理をしていたリー君が去っていった。ここにきて、はじめてKTVに連れ出してくれたのは彼だ。彼のお気に入りの歌手、今ではわたしが、店で暇を持て余している彼女の、暇つぶしのメールに付き合わされている。彼の置きみやげはお手伝いさん。彼が去った後、わたしの面倒を見てくれている。

・工事管理部門の責任者、中国人の林さん。学歴経歴いうことなし。会議で話をさせればきっちり一時間話をしていた。その彼も去っていった。

・台湾人の医者と懇意になるには時間がかかった。かかった分、深い親密さを築いている。わたしがカフェの若い子と仲良くやっていると脇で軽蔑の眼差し、KTVでしこたま飲めば「酒だけはやめろ!」と忠告、長引いた喉の痛みをどーってことないと言いながら、ちゃんと薬の説明をしてくれていた。そのくせヘビースモーカーなのだ。

・先日女の子を出産した女性、彼女は思いっきり強烈な手助けをしてくれた。仕事場で実に不愉快な思いをした時のこと。彼女、わたしの顔を両手で優しく包み込み、慰めの言葉を口にし、帰りのバス、腕をとり、わたしの肩に顔を埋め、じっと寄り添ってくれていた。わたしは次第に心が和んでいった。この出来事を目にしていた仕事場の連中はたまげ、しばらく職場の全ての部門で話題になったという。そうだろう、わたしですら思いもよらなかったことだ。子供が生まれた今、もうそんなことは起こりえないだろう。

・かわいらしい元秘書兼元中国語の家庭教師とは、半年間、喜怒哀楽を共にした。わたしは彼女の喜怒哀楽を知るただ一人の男性となっている。おしゃべりで、余計なことに手を出すのが好きで、人の話を聞かず、自分勝手でと、いいことなしだが、世話好きなところで勝手のわからない外国人を助けてくれた。

うー、一寸ウルウル気分で書いてしまった。年のせいかなー。

[ MEMO: 一年半、どうにも馴染めなかったのが、開発部門の、同じ時期にやってきた台湾人の連中。俗に言う競争相手たちだ。この連中には今でもうんざりしている。 ]

Monday, November 12, 2007

[廈門・522天] 幕が下りたあと

その昔、代々木のカンボジア料理店にしばしば出入りしていた。かつては、今の店と少し離れた坂下の、寿司屋を改装することなく営業していた。小さな店のカウンターだけの店。店主は動乱期のカンボジアを逃れ日本にやってきた中国系ベトナム人。わたしたちは、席の空くまでの間、シンハビールを道路脇で立ち飲みしていた。

新しい店で、遅くまで飲んで食べ、店がはねたあと、店主、奥からウィスキーを取り出し、二人でグラスを空けた。傍らでは、従業員たちが遅い夜食をとっている。客のいなくなった店の空気はなぜかホッとしていた。わたしはこの時間が好きで、しばしば遅めに出かけたものである。

店がはねたあとに居残る習慣は台湾で憶えた。定宿のホテルの地下室、スナック、多くの時間をここで過ごした。夜食をとったり、ピアノの伴奏付きで歌ったり、中国語の予習復習の相手をしてもらったり、ときにピアノの先生や店の女性たちと賭け事をしたりと、仕事を終えたあとの、それぞれの人たちがホッとした時間を共に過ごしてきた。その時間には誰もが本音のでる時間でもあった。

代々木の店にしろ、台湾のホテルにしろ、なぜか客がいてはまずいなかにわたしはいた。酒が入り、もうろうとした感覚のなか、店の営業が落ちているとか、亭主との関係がどうだこうだとか、兵役中の彼が休暇を取ってやってきては喧嘩をしていた女性とか、幕の下りたあとの店は、1930年代のフランス映画みたいだった。

そんなことは過ぎ去った遠い思いで、とおもっていたら、ここで、またもや出くわす羽目になった。KTV、歌手、ママ、出演者はみな同じだ。客と相当飲み交わしたあとの彼ら、一日の終わり、煙草で淀んだ空気、匂いまで同じでだ。ここ廈門も東アジアなのだ。

[ MEMO: 同僚の若き妊婦、先週無事出産を終えた。女の子だそうだ。誰もが男の子だろうと、彼女の顔つきの変化から読んでいたものの、彼女の思惑通り女の子だった。子供はきっと、母親似の、おしゃれ好きな子で、二十年後には、着飾り、母親と競い合って買い物に出かけているに違いない。わたしの娘たちが味わえなかったことだ。ここ廈門でも、わたしはその時の彼女たちを見れることはないだろう。 ]