Tuesday, November 13, 2007

[廈門・523天] 出逢いとそして別れと

いつの間にか居座ってしまった廈門、気がつけば五百日を超えている。目処を立ててきたはずなのだが、何がそうさせているのだろう。思うに、ここでは人との出会いと別れの場が多かったからではないか。心に残る出逢い、去っていった友とがあったからではないだろうか。次の出逢いを期待しているからかもしれない。

・デブのアレックスが去っていった。別れ際、「可愛いコさがして仲良く過ごしてください」の一言。日本留学の経験ある彼のおかげで、資料の翻訳に不自由はなかった。米国留学もあり、数少ない国際性を身につけていた一人だ。

・化学工場の工程管理をしていたリー君が去っていった。ここにきて、はじめてKTVに連れ出してくれたのは彼だ。彼のお気に入りの歌手、今ではわたしが、店で暇を持て余している彼女の、暇つぶしのメールに付き合わされている。彼の置きみやげはお手伝いさん。彼が去った後、わたしの面倒を見てくれている。

・工事管理部門の責任者、中国人の林さん。学歴経歴いうことなし。会議で話をさせればきっちり一時間話をしていた。その彼も去っていった。

・台湾人の医者と懇意になるには時間がかかった。かかった分、深い親密さを築いている。わたしがカフェの若い子と仲良くやっていると脇で軽蔑の眼差し、KTVでしこたま飲めば「酒だけはやめろ!」と忠告、長引いた喉の痛みをどーってことないと言いながら、ちゃんと薬の説明をしてくれていた。そのくせヘビースモーカーなのだ。

・先日女の子を出産した女性、彼女は思いっきり強烈な手助けをしてくれた。仕事場で実に不愉快な思いをした時のこと。彼女、わたしの顔を両手で優しく包み込み、慰めの言葉を口にし、帰りのバス、腕をとり、わたしの肩に顔を埋め、じっと寄り添ってくれていた。わたしは次第に心が和んでいった。この出来事を目にしていた仕事場の連中はたまげ、しばらく職場の全ての部門で話題になったという。そうだろう、わたしですら思いもよらなかったことだ。子供が生まれた今、もうそんなことは起こりえないだろう。

・かわいらしい元秘書兼元中国語の家庭教師とは、半年間、喜怒哀楽を共にした。わたしは彼女の喜怒哀楽を知るただ一人の男性となっている。おしゃべりで、余計なことに手を出すのが好きで、人の話を聞かず、自分勝手でと、いいことなしだが、世話好きなところで勝手のわからない外国人を助けてくれた。

うー、一寸ウルウル気分で書いてしまった。年のせいかなー。

[ MEMO: 一年半、どうにも馴染めなかったのが、開発部門の、同じ時期にやってきた台湾人の連中。俗に言う競争相手たちだ。この連中には今でもうんざりしている。 ]

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