Sunday, November 4, 2007

[廈門・514天] 続・漢詩の一文をめぐる厄介な対話

わたしの手元に三種類の「水滸伝」があった。みな翻訳物だ。岩波文庫版、平凡社版、それに吉川英治版。堅く原本に忠実な翻訳の岩波版、読みやすい平凡社版、そしてもちろん面白いのは、こなれた日本語で書かれている吉岡英治版。作者吉岡英治の解釈が入り、原本から面白いとされる部分に強烈に手を加え、更に面白くしていた。この三つ、どれもが「水滸伝」なのだ。

わたしは「水滸伝」をエンターテイメントとして読んでいる。「水滸伝」の作者は不詳だ。もともと民間伝承されていた豪傑話に筋道をつけてまとめたのが始まりだとも言われている。時代が下がると更にいろいろな話を加えてふくらませたのだとも言う。

漢詩をその延長で語るわけにはいかない。唐詩にはれっきとした作者が存在する。読み人知らずはほんの僅かしかない。スカ友の言うように、原文は一つというのは道理である。しかし、時に原文の詮索に困ることもあるのだ。毛沢東が愛読した「水滸伝」と、中国建国以降、共産党が定めた定本「水滸伝」とが同じだったかどうか。

クラシック音楽(といっても、当時のはやり歌のようなものだが)。バッハのゴールドベルグ変奏曲、グレン・グールドというピアニストは、若い頃と晩年と二度収録をしている。聞き比べると全く違う曲のように聞こえてくる。

なんだかんだ屁理屈を並べ立ててみたが、絶対的な基準というのがないからこの世は面白いのだと言いたかっただけだ。(何でこんな事にこだわっているのか、自分でも不可解なのだが・・・)

そんなことはどうでもいい。昨夜、わたしは、この二週間、夜ごと夜ごと練習した当代歌謡曲を、KTVに出かけ、熱唱してきた。気分爽快である。

[ 写真: わたしの好きな「無間道-II」(インファナル・アフェア-II)という映画をインターネットで見た。しかし彼ら、中国語、つまり標準語で話していた。この映画、香港映画であり、もともと広東語でしゃべっている。感じがでない。香港黒社会の雰囲気がない。なおかつ、インターネット上には、標準語の他に、ミンナン語あり、四川語有りと、様々なアフレコ版があった。中国奇っ怪なり。 ]

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