その昔、代々木のカンボジア料理店にしばしば出入りしていた。かつては、今の店と少し離れた坂下の、寿司屋を改装することなく営業していた。小さな店のカウンターだけの店。店主は動乱期のカンボジアを逃れ日本にやってきた中国系ベトナム人。わたしたちは、席の空くまでの間、シンハビールを道路脇で立ち飲みしていた。
新しい店で、遅くまで飲んで食べ、店がはねたあと、店主、奥からウィスキーを取り出し、二人でグラスを空けた。傍らでは、従業員たちが遅い夜食をとっている。客のいなくなった店の空気はなぜかホッとしていた。わたしはこの時間が好きで、しばしば遅めに出かけたものである。
店がはねたあとに居残る習慣は台湾で憶えた。定宿のホテルの地下室、スナック、多くの時間をここで過ごした。夜食をとったり、ピアノの伴奏付きで歌ったり、中国語の予習復習の相手をしてもらったり、ときにピアノの先生や店の女性たちと賭け事をしたりと、仕事を終えたあとの、それぞれの人たちがホッとした時間を共に過ごしてきた。その時間には誰もが本音のでる時間でもあった。
代々木の店にしろ、台湾のホテルにしろ、なぜか客がいてはまずいなかにわたしはいた。酒が入り、もうろうとした感覚のなか、店の営業が落ちているとか、亭主との関係がどうだこうだとか、兵役中の彼が休暇を取ってやってきては喧嘩をしていた女性とか、幕の下りたあとの店は、1930年代のフランス映画みたいだった。
そんなことは過ぎ去った遠い思いで、とおもっていたら、ここで、またもや出くわす羽目になった。KTV、歌手、ママ、出演者はみな同じだ。客と相当飲み交わしたあとの彼ら、一日の終わり、煙草で淀んだ空気、匂いまで同じでだ。ここ廈門も東アジアなのだ。
[ MEMO: 同僚の若き妊婦、先週無事出産を終えた。女の子だそうだ。誰もが男の子だろうと、彼女の顔つきの変化から読んでいたものの、彼女の思惑通り女の子だった。子供はきっと、母親似の、おしゃれ好きな子で、二十年後には、着飾り、母親と競い合って買い物に出かけているに違いない。わたしの娘たちが味わえなかったことだ。ここ廈門でも、わたしはその時の彼女たちを見れることはないだろう。 ]
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