Saturday, November 3, 2007

[廈門・513天] 漢詩の一文をめぐる厄介な対話

skypeのコメント欄を書き換えた。スカ友が自分のコメント欄に漢詩(こちらでは唐詩、本当はこれが正しいらしい)が書き加えられたのを見、おもわず懐かしい李白の詩の一節にした。一瞬のあと、チャットがやってきた。

スカ友:為什麼不是"望明月",而是"望山月"?(なぜ明月でなく山月なのですか?)

わたしがコメントに書き込んだ唐詩は、李白の「靜夜思」から。詩の全文は、

牀前看月光
疑是地上霜
舉頭望山月
低頭思故鄉

明らかに「山月」とある。えっ、えっ?スカ友の問いかけの意味がわからない。返事に「でででは調べてみます」。スカ友:「調べる必要はない、ここは明月なのだ」。インターネット上で探った結果を見てからわたし:「でも、日本の文献ではやはり山月でしたですー」。

誇り高き中国人のスカ友曰:

但這是中國古詩。你現在學唐詩,是不是應該學中國原版的呢?所以原版的是:"床前明月光,疑是地上霜。舉頭望明月,低頭思故鄉!"
(しかしですよ、これは中国の古詩です。アナタが今勉強している唐詩は原本のものですか?原本では「明月」です!)

と[!」マーク付きで返事が来た。これには[晕](クラッ)ときて、更にネット上で文献を当たってみると、

「・・・この詩は日本では、・・・舉頭望山月,低頭思故鄕。・・・これは、底本の違いや、日本では『唐詩選』(明・李攀龍)を重んずる伝統があるのに対して、中国では『唐詩三百首』(清・塘退士)を重んずるという習慣の違いのため。前者(『唐詩選』)は、盛唐に偏っているため、配慮が必要。・・・」

とある。そーか、二種類出回っているのだ。と、スカ友に伝えると、

「因為有名的古詩一定隻有一個版本。要尊重作者。所以不會出現不同書名,所以詩內容也不一樣的情況。尤其是中國的古詩!」。(なぜなら、有名な古詩には必ず一つの版本に二種類の詩があるのである。作者を尊重しなさい。ですから同じ書名でも、内容は同じではないのである。なおかつこれは中国の古詩であります!)

私たち日本人は、古典というものが、時代と共に内容の一部が書き換えられている事実を知っている。本物の原本がない場合、翻訳者は、注釈をつけてこの件に断りを入れている。ここはどこどこの何々本による、と。ここは中国である。二つの文、二つの解釈は許されないのだろう。

わたしは気分を悪くし、「アナタの意見に従うつもりはない」と送り返した。

しかし、しかしである。例え原文と違っていても、「明月」では明るすぎる。そのとき、李白の置かれていた状況に合わない。わたしは「山月」と書かれた雰囲気が好きだ。だからコメントは書き換えていない。

説教されたなー・・・。

[ 写真: 気分転換にKTVにいくことにした。この歌手と歌の練習でもしてこよう。ここでは、歌い間違えても文句を言う人間はいない。 ]

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