Saturday, July 5, 2008

[廈門] エッ地震?


ドン!ドン!二度にわたって大きな音と建物全体が身震いしたようだ。

昨夕から腰裏の鈍痛が再発した。食欲もわかず、それでも食わなければいけないと出かける。馴染みの羊肉麺店で麺を注文するも、食べ残した。鈍痛は続いている。家に戻っておとなしくベットで休むか、珈琲店で気分を晴らすか。結局珈琲店に向かった。

店から戻る。鈍痛は少しづつ少しづつ増している。気分が悪い。また吐く羽目になるのか。いやだ。横になるといつの間にか眠りについていた。トイレを催し目が覚める。尿が赤みを帯びている。鏡の中のアタシは十は老けたように見える。老人そのものの顔だ。時計に目をやると十二時前、メールをチェックし、馴染みのサイトを訪れ、そしてまた眠りに。

先月初め、物書きの巌さんと食事をした際のこと。burikinekoさん、顔にスケベ風がなくなったなー、と言われた。以前はそれほどスケベに見えていたのかと、喜んでいいのやら嘆かわしいと思うのがいいのやら、判断はつかないが、枯れて見えたに違いない。原因が年なのか他のせいなのか、これも判断できないでいた。

明け方、隣に住むお嬢さんが戻ってきてドアを閉める音で目が覚めたようだ。腰の鈍痛を確かめトイレに立つ。血尿は続いている。一体いつまで続けるというのだろう。それでも初めて発症した時ほどの厳しさはない。しかし不安は付きまとう。石の大きさはどれほどで、あと幾つ残っているのか。

変なことを考え始めた。こんな時のために必要な常備薬って何なのだろうかと。風邪、解熱、下痢、便秘、外傷、感染症、鎮痛剤・・・。解熱と鎮痛剤は座薬がいいらしい。こちらの医者が言ってったっけ、薬は日本、日本が一番。鎮痛剤以外はみな手元に用意してあった。痛み止め、ローマの姐姐はアスピリンの効能を説いていた。いま必要なのはその鎮痛剤だ。考えていても仕方ない、薬屋に行っても薬品名は皆目分からない。商売上手のこちら、変なものを手にしかねない。購入はあきらめ、また眠りに就くことにした。

暑さとマンションの内装工事の音で目が覚めた。外はギンギンに晴れ渡り、空気は恐ろしいほど熱せられている。裸売りのマンション、内装は住み手次第、床壁天井、思う存分いじくりまわっている。コンクリートカッターの音と粉じんが開け放した部屋に入り込む。うんざりし、そしてトイレに立った。腰の痛みは消えていた。石はまた少し下に降りたに違いない。友人の医者いわく、あと一か所難所があると。あと一度かー。ひとまずほっとする。急に腹が減った。

昨夜は身の入らなかったウェブサーフ、腰が軽くなるとすいすいと進む。と、コンクリートカッターをやめさせるに十分な音が、そして建物全体が上下に動いた。何事かと耳をそばだて外に注意を注ぐともう一度、ズンドン!そして建物が再び上下した。百メートルを超す建物の頂上から、数トン級の重量物が地上に激突したような音、工事中の不注意か、はたまた地震か。しかし地震にしては揺れが不自然だ。

第一、ここアモイは地震の発生地として数えられていないはずではないのか。数十年前、当地では大地震とされた揺れで、エアコンの室外機が軒並み落下したことがあるそうだが、それだって、壁に取り付けている架台を見れば落ちて当たり前、われわれ日本人にとって屁の河童でもない。それよりも、建物が上下にだけ揺れる地震は初めて体験した。恐怖であった。内装工事で床壁天井ハツリまくっているのだ、強度がどの程度落ちているのか心配で仕方がない。やな予感がする。

四川大地震の原因に、近くの三峡ダムをあげている研究者がいた。あれだけの水量、地殻に与えるストレスは並大抵ではないという。そうだろう、地球だってシンまで固まっているわけではない。固まっているのは、ほんの一皮、あとは超重量の溶岩、液体なのだ。その三峡ダムのストレスがここアモイにも影響したのだろうか、そうだとしてもおかしくない。知り合いの構造設計者が言ってたっけ、地面の下のことは分からない、解析しようにも無理な話、だと。

アタシの体にしろ、アタシがほんの一部を借りて生きている地球にしろ、あまりいじめない方がいい。

[ MEMO: 夕刻、中国地震ネットから携帯にショートメールが入った。やはり地震、M4.4だそうだ。震源地はアモイと隣接する龙(龍)海市の境らしい。コワ。 ]

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