Sunday, June 1, 2008

[廈門] 画廊にライブを聴きに行こう

公園通りをアートビレッジに、そんなことを考えているおばさんにお会いした。日本に留学し、米国人と結婚し、母国で何ができるか、数年前そう考えてアモイにやってきた。公園通りに居を構え、マンションの窓から見える古ぼけた西洋館がとても魅力的に見えた。

西洋館は銀行の支店、彼女夢見るように毎日その建物を眺めていた。ある日張り紙を目にする。「レント、連絡は○○○まで」。ここで何かをするあてがあるわけでもなく電話を入れる。何度も何度も大家と交渉を重ねるも、到底手が出ない。結局そこは出版会社が借り受け、内装に手を入れ、ちょっと凝りすぎかとも思われたが西洋館の雰囲気は継承していた。

数年の歳月が過ぎ、またしても張り紙を目にする。彼女、今度こそはと、そしてついに借り受けに成功する。何に使うかは考えていなかった。頭にあるのは国際交流の場、それだけだ。そして始めたのは現代芸術家の紹介の場、画廊にしようというのは単に周りにアーティストがいたから。そして二年、経営的に成り立っているわけではないが、何とか持ちこたえている。彼女の夢は公園通りをアートビレッジにすること、協力できればいいのだが……。

アタシがこの画廊を知ったのは偶然だった。アタシはアーティストの畏友シンさんをなんとかアモイに引きづり込もうと画策、彼の作品の発表の場を探していた。我々二人の共通のアモイの友人、ガッコの先生が最初に用意してくれたのは開館したばかりの巨大な博物館の一角。シンさん、到底受け入れられるものではない。口には出さなかったが、丁重にお断りしたようだ。

ある日、ガッコの先生と、もしここアモイで事務所を構えるとしたら、というテーマで部屋見を始めた。先生、公園通りの、緑が多く、坂があり、古くからの建物が残る一角の老人ホームに案内してくれた。手を加えれば相当いけそうだった。しかし、大きすぎだ。賃料は嘘のように安いものの、事務所が急成長しなければいつまでたってもがらんどう。とぼとぼと帰路につこうとすると、先生、すぐ近くに画廊のあったことを思い出した。そう、飛んでるおばさんが経営する画廊だったのだ。

毎週日曜日の夜、画廊の二階で小さな小さな音楽会が開かれる。そして今晩、どんな人のどんな曲目なのかもわからないまま、おばさんに会いたくて出かけることにした。絵に囲まれ、ビールを片手に聴く音も悪くないだろう。一寸は文化の匂いを嗅ぐことがでそうだ。

[ MEMO: 二階は小さなステージとバックにカウンターのあるミニホール。入場は無料だが、飲み物をオーダーすることになる。二枚目の写真、左でキャンバスを片しているのが飛んでるおばさん。展示場は一階のホール、そして二階三階の小部屋も使える。 ]

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