Monday, June 2, 2008

[廈門] あれこれ書き留めておこう

・明日の朝食をと、マンション足もとの小売店 ( xiao3mai4dian4 ) でパンを買った。小さな小さな店の小さなカウンターのパン、いつもならさっと薄い薄いビニール袋にほおり投げてくれるのが、それがない。突っ立って見ていると、お嬢さん、「今日は袋を使わない日よ」。そうだった、資源節約、石油製品の使用を減らそう、ごみを減らそうが六月から始まったのだ。

・昨夜、公園通りの画廊に出かけた。二階の小さなホールにバンドが入った。ボーカルは恰幅のいい金髪のオバサン、リードが長髪黒ずくめの痩せ痩せオニーサン。太鼓にベースと四人の毛唐のカントリー&ジャズを聴いてきた。客は画廊の主飛んでるおばさんの仲間たち。らしく、みなスタイニーボトルのビールを口に運んでいる。

ニューヨークからやってきた日本人のオネーサンを紹介してくれたが、なぜか日本人、海外でお会いすると愛想がない。北京から先ほど戻ったという方、すでに酩酊状態か、耳が遠いのか、会話は運ばなかった。どこか米国の地方都市のしょぼいバーって感じでした(映画でしか知りませんが)。アタシはこのところ酒を飲むと調子を崩すので、藤の葉か何か、飛んでるおばさんもわからないお茶を口にした。これはうまかった。しかし四十元は高かかったな。

・一昨日の日曜日、夕飯はどこで食おうかと、結局馴染みのカレーライスをだす珈琲店に出かけた。そこには知り合いの台湾人が、仲間たちとさあ飯に出かけるぞ状態でいた。仲間達、こちらのテレビ局の連中。知り合いの友人、アタシに、日本人がいじめられるドラマに出演しないかと冗談を飛ばしてきた。誘いを受けて同行、東北料理を口にする。仲間たちの一人は残留孤児の子供、日本にやってきて名古屋で働いていた。そこの溶接工場で働いていたことがあり、アタシが名古屋人はケチで評判ですよというと、社長は実に大きな人間だったと語ってくれた。彼には名古屋で生まれた弟がいる。しかし日本のパスポートは取得していないという。

・見知らぬ愛国者その後。彼女から何度かコンタクトを受けた。一度はスカイプで。無視。ワンギリが一度。携帯に「私誰だと思う」と返事を誘う文面のショートメール。携帯の番号から居所を探るとアモイとでた。おそらく愛国者だろう。しかし無視。番号を解らせてきたことから、個人的にアタシに興味があるのかもしれない。目的は何なんだ。不可解だ。

・こちらのあるブログに出所不明の四川大地震災害状況地図がのっかっていた。日本語である。日本からの情報だとブログに記されている。被害地一帯の災害状況が分かりやすく描かれている。死者の数、建物倒壊数、ダムの位置とその被害状況、さらに原子力関連施設の位置と施設の内容が合わせ記されていた。問題なのは詳細な原子力施設情報だ。コメントの大部分は日本からだというので、地図と関係ない文章が続くが、なかには、日本の情報部の能力の高さを知ったとか、元ネタは米国からだとか、初めて知りましたとか、そうそう私が以前住んでいた時に確かそれらしかったなど注意を促すものもあった。

ちょっと気になったのは、これ日本語?という箇所。「アンモニア漏洩処理了…」、普通なら「漏洩処理完了」または「終了」とするのに「完」や「終」がない。中国語では「了」は「終える」の意味。十分通じる。そんな記述が数か所あった。日本の友人にこの地図の出所知っている?とメールするも、日本で見たことありの返事はまだ来ていない。

[ MEMO: 「1975年~1989年生まれの人に捧げる」という投稿を目にした。この数字が何を意味するのかわからないが、開放政策期に生まれ、素朴でありながら溢れる情報とともに成長した子供時代の記憶であり記録ということらしい。もといた会社の二三十代の連中はみなドラえもんも一休さんの話も知っていた。ん?ということはみなの家にはすでにテレビがあったのだ。 ]

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