Thursday, November 29, 2012

台北:豊かな表情で手話ニュースを伝える聴覚障害者・王曉書




Taipei:Wang Xiaoshu, the hearing impaired is TV news presenter. She presents the news by sign language rich expressiveness.

ここ台湾でも障害者が広く社会に出れるよう、いろいろな仕組みが設けられているし、メディアに登場する機会も多い。

私が住む台北の大通り、白い杖を持って歩道を歩く方。車椅子で行き来する姿、それも電動だったり、椅子いっぱいに売り物を飾って物売りをする人も。視覚障害者はお互い肩を貸し合い一団となって動いている。馴染みの青空市場には、駄菓子をその場で作って売る言語障害者のオバサンもいた。

日本でいうNHKのような立場のテレビ局・公共電視台では聴覚障害者用の番組をいくつか用意している。一つはニュース番組。もう一つは「聴聴看」。男女二人の聴障害者司会者が町に出て、海外を訪れて、同じ障害者と時間を共にする。上海の若い聴障害者夫妻が、アニメ作成のアトリエを立ち上げ、障害者の社会復帰に役立てている姿を追っていたりした。

手話ニュースはNHKの番組でも見たりしていた。こちらの手話ニュース・「公視手語新聞」を見るのは、字幕が出て、かつ要点だけを伝えるので語学演習に向いているから。それに「聴聴看」の司会者でもあるアナウンサーの王曉書、表情が豊かで見ていて楽しいのだ。お気に入りの番組の一つである。ちなみに彼女の本業は大手物流企業の平面モデルである。

11月12日の公視手語新聞 (via youtube)



Friday, November 2, 2012

台北:中山北路二段


私が住む台北、そのなかでも古くからの目抜き通り中山北路の二段、三十数年前、初めて訪れたときからここの町並みの変化を眺めてきた。しかし移ろう。町並みも風景も店も道行く人の風情も。変わらないでいるのはうっそうと茂る並木。

車道巾30メートルに歩道と騎楼といわれるアーケードを含めると45メートルにもなる大通り。車路は片側四車線、歩道側二車線は慢車道と呼ばれるバス、バイク、自転車、そして右折専用車線(台湾は右側通行)。中央二車線が直進道となる快車道。慢車道と快車道には緑繁る樹木の分離帯。歩道にも立派な並木が立ち並ぶ。真夏は樹陰や騎楼が強い日差しを遮り、スコールがやってくれば騎楼のなかを歩けば快適に行き来できる仕掛けみになっている。

目抜き通りといえど、三十数年前は薄暗かった。民生西路との交差点に馬偕病院、斜め向かいに国賓飯店、目に付く建物といえばそれぐらいだったろうか。洒落た店構えなら国賓飯店を台北駅に向かって歩くと、ブランド物を置いている店の並んだ老翁飯店。向かい側には日本時代の民家が老木に囲まれてただづんでいた。国賓飯店を北に、圓山飯店方向に少し歩くと洋書専門店があった。確か敦煌書局という名前だった。日本書籍を扱っていたのは邱永漢の店だが、二段を外れ、一段にあった。


十年を経ると伝統的台湾建築を模した内装の茶館が目に付くようになる。おそらく民主化運動と台湾自立の風潮がそうさせたのだろう。店には若者たちで溢れていた。大きな店構えの洒落たケーキ屋ができ、生クリームのおいしさに舌鼓を打ったことを覚えている。このお店、そのあと民生東路に間口の狭い店舗へと移転、そしてさらに先日、中山北路の元の店から路地を入った小さな小さな場所へと変わってしまった。店の女将曰く、「家賃が七万に管理料、やっていけません」。

さらに十年、中山北路二段はブライダル・アベニューへと変身する。店舗前面総ガラス張りの、白一色の、純白のウェディングドレスをマネキンに着せ、ウェディングパーティーの仕切りを売り始める。昼も夜も煌々と照らしだされ、中山北路二段は輝いていた。

台北の発展はその後、市の東地区へと移っていく。信義地区が副都心として整備されるにつれ、仕事、ショッピングは場所を変えていった。古臭かった西門町は再開発で若者を再び引き寄せるようになる。高級店舗は101超高層ビル一帯へと移っていった。

そしてリーマンショック、世界経済危機、中国経済停滞の始まり、結婚願望のない若者たちの登場、ブライダル・アベニューは一つまた一つと歯が抜け始める。残ったのは古くからある裏通りの賑わい、古きよき台北だろう。

素食屋に向かったある日の夕刻、ある店が開店していた。華やかに宣伝を打っていそうにもない。See's CANDIES。米国カリフォルニアの高級チョコレート店。中山北路二段に毛色の変わった店の登場である。信義地区の、ブランド品販売で有名な誠品書店や三越ではなく、See's CANDIESは中山北路二段を台湾第一号店に選んだ。しかしいつ見ても店内は閑散としている。狙いはなんだろう。中山北路二段は更なる移ろいを見せるのだろうか。




Saturday, October 27, 2012

霧社事件: 花岡二郎宿舍牆上的遺書


今から八十二年前の今日、台湾高地原住民・賽德克族(Seediq)が、台湾中部霧社で、占領国日本に対して叛乱を起こした。1930年10月27日早朝、毎年恒例の学童運動会での出来事である。

事件の最中、優良蕃童として日本式の教育を受け、日本警察官として現地で職についていた賽德克族の二人、花岡一郎と花岡二郎は遺書をしたため、一人は賽德克族の習いに基づき首をつり、一人は日本刀で割腹自殺をした。

この写真は、その遺書と、花岡二郎の妻・高山初子および日本人警察官・石川某の妻の写真が合成されたもの。全員台湾原住民・賽德克族である。

[ 遺書:写真出典 ]
・標題:花岡二郎宿舍牆上的遺書(描述標題)霧社討伐寫真帳(機構標題)霧社討伐寫真帖(書名)
・創作者:海老原耕平(日本, 編撰者)
・創作日期:昭和六年(發行日期)
・地點:國立臺中圖書館(中華民國, 台中, 典藏地點)

[ 遺書全文 ] (引用: Wikipedia 日本語)

    花岡兩
    我等は此の世を去らねばならぬ
    蕃人のこうふんは出役が多い為にこんな事件になりました
    我等も蕃人達に捕らはれどふする事も出来ません。
    昭和五年拾月弐拾七日午前九時
    蕃人は各方面に守つて居ますから 郡守以下職員全部公学校方面に死せり
    (花岡二郎筆)
    花岡、責任上考フレバ考フル程コンナ事ヲセネバナラナイ全部此処二居ルノハ家族デス
    (花岡一郎筆)


[ blog内霧社事件関連記事 ]
GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道
台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち

[ Wikipediaから ]
・霧社事件 - Wikipedia 日本語
霧社事件 - Wikipedia 中文
Wushe Incident - English



Friday, October 26, 2012

台湾・礁溪:水田地帯に計画される町屋形式の高級別荘


昨日、ある計画地を見てほしいというので台湾東部の温泉地・礁溪を訪れる。一帯が水田地帯。その田んぼをつぶして四角いコンクリートの住宅が虫喰いのように建っている。ところどころ、うっそうとした竹林に囲まれた古農家が。覗いてみると、朽ち果てようとしている三合院形式の伝統住宅。有り余る土地に、老夫婦が畑の手入れをしていた。長閑で、水田地帯になじんだ風景。

話は1900坪の水田を埋め立て、600坪強の土地に150坪三戸の別荘にしたいという計画。しかし信じられないことに、道路に対し短冊のように区画、細長い、町屋のような形式で向う三軒両隣を建てようという。

辺りを見回して思い浮かんだのは、塀で囲われた園林(庭園)のなかに瀟洒な建物が配置されているという風景。そう話をすると、台湾人の、土地所有の、財産分与の方法にあわない、買い手がつかないという。解決方法はいろいろあるはずだが、残念なことに聞く耳持たなかった。

海に近く、海風が届き、強い陽射しに味のある空気。久しぶりに胸の中が洗われたものの、次の一歩を踏み出せないデベロッパー。いつもながらの虚しさを味わうほかなかった。

Wednesday, October 17, 2012

台北:害羞 - Shy - 馬志翔 - 甜‧祕密 Together


Umin.Boya(馬志翔)のFBで彼が久しぶりに映画に登場だと知りました。「甜‧祕密 Together」という題名。FBのコメント欄にひとこと「害羞」とだけ。Shy、はずかしい...。彼らしい。原住民の女性はドンドンドンと前に出てくる人が多い。しかし男性はどちらかというと控えめ。「害羞」なんでしょうね。

癖のある方々が演じています。大姐の李烈、硬派な巫建和、他には隋棠、鍾鎮濤、馬志翔、李千娜、吳中天、張少懷、などなど...。興行的に成功するかは、どうでしょうか。

それより、私は早くUmin.Boya(馬志翔)、彼が演出する作品を見たいですね。

Weekly fotolog - 東アジアは停看聴・厦門


10月12日から16日まで、厦門にGardening breakでした。通信事情の悪いあちらで何が出来るのか何が出来ないのか、試してみました。このbloggerサイトは依然として切断されたままです。そこで、イメージファイルを投稿している’fotolog - 東アジアは停看聴’を利用してみます。うまくいっていそうです。その際の投稿をWeekly fotologとしてまとめました。

October 13, 2012
Xiamen : Main Street at dawn
厦門:旅の疲れが早々と床につかせます。おかげで未明に目覚め、一寸下を覗いて…

October 14, 2012
Xiamen: Orange I bought at street market at last night.厦門:朝食前にカシャ!

October 15, 2012
Xiamen: See Weather Station tower at dawn.
厦門:明け方五時半、丘の上の気象台タワーを見る。台北と時差無しですが、西に位置しているぶん、厦門は同じ時間でも明らかに薄暗いですね。

October 15, 2012
Xiamen: The afternoon tea at the coffee shop in the lakeside familiar.
厦門:この珈琲店の女性マネージャーは五年来の知り合いです。厦門を訪れた際には一度は顔を出しています。清々しい午後、テラスでのんびりと語らいあってきました。

October 15, 2012
Xiamen: Window for bird watching on the lakeside.厦門:湖濱北路の人造湖(筼箪湖)には目当ての餌を求めてたくさんの鳥が集まってきます。湖畔際に立てられた壁にはそんな鳥たちを観察するための仕掛けがされています。

October 16, 2012
Xiamen: The floating boat for cleaning & management.厦門:湖面に係留されていた清掃管理用の浮き船

October 17, 2012
Xiamen: International Ferry Terminal after a rip.厦門:離岸直後の国際フェリーターミナル。後ろに聳え立つ建物群は一昨年には姿がありませんでした。
October 17, 2012
Jinmen Airport: Small turboprop airliner helped me again. Flyover near scenic on the ground was a good. Eighty seats of airplane was cozy.

金門空港:今回もお世話になった小型ターボプロップ旅客機。八十席と居心地のいい数のシート、高度1万五千フィートという地上に近く眺めのいい低空飛行、何もかもいいスケールです。

Sunday, August 26, 2012

GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道


一年落ちの話題。先日、日本占領期の台湾で起きた台湾原住民の叛乱事件・霧社事件の映画の第1部「セデック・バレ 太陽旗」と第2部「セデック・バレ 虹の橋」合計4時間半が二週間にわたりテレビ放映された。一年落ちとはいえ、これまでこのブログで取り上げてきた話題だけに放っておくわけにいかない。なにしろ台湾原住民を知るきっかけをつくってくれたのが、霧社事件を生き残った一人の原住民女性を描いた「風中緋櫻」というテレビドラマだったのだから。

「セデック・バレ」 (賽德克·巴萊 - Seediq Bale)は劇場映画であり、商業的興行的に成功させることを前提に作られている。一年前の台湾はこの話題で溢れていて、猫も杓子も右に習えのような状況だった。勿論私も期待した。しかし上映が近づき、TVで流される予告編を看ているうちに、あれっ寸違うなー感をもつようになる。

一年落ちで看た映画の印象でもそれは変わらなかった。粗っぽかった。脚本も演出も粗っぽい。一場面一場面はしっかり描かれているものの、プロットがどうなっているのかわからなかった。これでは霧社事件は霧の中だ。

そんなことはどうでもいい。私が知りたかったのは日本人女子供の虐殺をどう描いたかだ。私には弱者の代表女子供までも、という思いがあった。賽德克族の頭目莫那·魯道(モーナ・ルダオ)と叛乱に参加した国民学校の子供たちも含め、祖先の霊の命もと殺戮を行う。しかし映画を看ている限りでは抑圧された原住民族が叛乱に立ち上がった、だけにしか写らない。それでは抑圧する側と非抑圧民族の悲劇を描いた今までの映画と変わらない。劇中「祖霊が叫んでいる」的なセリフはあるものの説得力はない。

十年前につくられたテレビドラマ「風中緋櫻」では、叛乱にいたるまでの経過を丁寧に描いてくれたおかげで、賽德克族の歴史・風習・観念などを視聴者がある程度理解できるよう下準備をしてくれていた。莫那·魯道(モーナ・ルダオ)は配慮を尽くす戦略家として、優れた武闘派の頭目だったことを納得させてくれていた。「セデック・バレ」にはそれが欠けていたと思う。莫那·魯道は最初から英雄として登場する。

「風中緋櫻」を見た後、賽德克族について調べてみた。賽德克族に限らないが台湾原住民、それも山岳原住民には「文面」(顔の刺青)「出草」(首狩)の習慣があった。文面も出草も1950年代まで行われていた。

昨年「セデック・バレ」が上映されると、各テレビ局は特集を組んでこの映画の紹介を行った。ここ台湾には原住民族電視台という公共テレビ局がある。話題を扱うには最適なテレビ局である。ある番組、たしか「原地發聲」だったと思う。賽德克族の学者、識者、研究者が参加した討論番組が放映された。彼らのとった立場は当然ながら「映画は映画、歴史は歴史」である。彼らは先祖から受け継いだ知識や自らの研究を元に発言を行ったが、最後に一人の研究者の言葉が全てを語っていたと思う。

なぜ莫那·魯道は日本人の首を狩ったのか。映画や討論の中で「GAYA」という一語が語られる。GAYAは賽德克族を律する概念である。文献に目を通してみた。言葉として理解は出来る。しかしそれだけである。研究者は莫那·魯道が日本人の虐殺を行う前、必ず祖先の霊にその是非を問うたはずだと言った。その上の決断だったはずだと。彼は司会者に向かってこう語った。「私の顔に刺青はありますか?」「刺青のない族人が先祖の行いを真に理解できるでしょうか」。狩猟を棄て、都会に住む賽德克族の研究者は、すでにGAYAの外にいることを告げた。

台湾原住民の間にはいまだにアニミズムが色濃く残されている。そのどれもに私は惹かれる。時間と共に消え去るだろう興味深い話題を探ってみたい。しかし私にはもうそんな時間は残されていない。彼らと日本人との関係は思いのほかに深い。

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