私が住む台北、そのなかでも古くからの目抜き通り中山北路の二段、三十数年前、初めて訪れたときからここの町並みの変化を眺めてきた。しかし移ろう。町並みも風景も店も道行く人の風情も。変わらないでいるのはうっそうと茂る並木。
車道巾30メートルに歩道と騎楼といわれるアーケードを含めると45メートルにもなる大通り。車路は片側四車線、歩道側二車線は慢車道と呼ばれるバス、バイク、自転車、そして右折専用車線(台湾は右側通行)。中央二車線が直進道となる快車道。慢車道と快車道には緑繁る樹木の分離帯。歩道にも立派な並木が立ち並ぶ。真夏は樹陰や騎楼が強い日差しを遮り、スコールがやってくれば騎楼のなかを歩けば快適に行き来できる仕掛けみになっている。
目抜き通りといえど、三十数年前は薄暗かった。民生西路との交差点に馬偕病院、斜め向かいに国賓飯店、目に付く建物といえばそれぐらいだったろうか。洒落た店構えなら国賓飯店を台北駅に向かって歩くと、ブランド物を置いている店の並んだ老翁飯店。向かい側には日本時代の民家が老木に囲まれてただづんでいた。国賓飯店を北に、圓山飯店方向に少し歩くと洋書専門店があった。確か敦煌書局という名前だった。日本書籍を扱っていたのは邱永漢の店だが、二段を外れ、一段にあった。
十年を経ると伝統的台湾建築を模した内装の茶館が目に付くようになる。おそらく民主化運動と台湾自立の風潮がそうさせたのだろう。店には若者たちで溢れていた。大きな店構えの洒落たケーキ屋ができ、生クリームのおいしさに舌鼓を打ったことを覚えている。このお店、そのあと民生東路に間口の狭い店舗へと移転、そしてさらに先日、中山北路の元の店から路地を入った小さな小さな場所へと変わってしまった。店の女将曰く、「家賃が七万に管理料、やっていけません」。
さらに十年、中山北路二段はブライダル・アベニューへと変身する。店舗前面総ガラス張りの、白一色の、純白のウェディングドレスをマネキンに着せ、ウェディングパーティーの仕切りを売り始める。昼も夜も煌々と照らしだされ、中山北路二段は輝いていた。
台北の発展はその後、市の東地区へと移っていく。信義地区が副都心として整備されるにつれ、仕事、ショッピングは場所を変えていった。古臭かった西門町は再開発で若者を再び引き寄せるようになる。高級店舗は101超高層ビル一帯へと移っていった。
そしてリーマンショック、世界経済危機、中国経済停滞の始まり、結婚願望のない若者たちの登場、ブライダル・アベニューは一つまた一つと歯が抜け始める。残ったのは古くからある裏通りの賑わい、古きよき台北だろう。
素食屋に向かったある日の夕刻、ある店が開店していた。華やかに宣伝を打っていそうにもない。See's CANDIES。米国カリフォルニアの高級チョコレート店。中山北路二段に毛色の変わった店の登場である。信義地区の、ブランド品販売で有名な誠品書店や三越ではなく、See's CANDIESは中山北路二段を台湾第一号店に選んだ。しかしいつ見ても店内は閑散としている。狙いはなんだろう。中山北路二段は更なる移ろいを見せるのだろうか。
No comments:
Post a Comment