Sunday, August 26, 2012

GAYA:霧社事件 - 賽德克族 - 賽德克・巴萊 Seediq Bale - 莫那・魯道


一年落ちの話題。先日、日本占領期の台湾で起きた台湾原住民の叛乱事件・霧社事件の映画の第1部「セデック・バレ 太陽旗」と第2部「セデック・バレ 虹の橋」合計4時間半が二週間にわたりテレビ放映された。一年落ちとはいえ、これまでこのブログで取り上げてきた話題だけに放っておくわけにいかない。なにしろ台湾原住民を知るきっかけをつくってくれたのが、霧社事件を生き残った一人の原住民女性を描いた「風中緋櫻」というテレビドラマだったのだから。

「セデック・バレ」 (賽德克·巴萊 - Seediq Bale)は劇場映画であり、商業的興行的に成功させることを前提に作られている。一年前の台湾はこの話題で溢れていて、猫も杓子も右に習えのような状況だった。勿論私も期待した。しかし上映が近づき、TVで流される予告編を看ているうちに、あれっ寸違うなー感をもつようになる。

一年落ちで看た映画の印象でもそれは変わらなかった。粗っぽかった。脚本も演出も粗っぽい。一場面一場面はしっかり描かれているものの、プロットがどうなっているのかわからなかった。これでは霧社事件は霧の中だ。

そんなことはどうでもいい。私が知りたかったのは日本人女子供の虐殺をどう描いたかだ。私には弱者の代表女子供までも、という思いがあった。賽德克族の頭目莫那·魯道(モーナ・ルダオ)と叛乱に参加した国民学校の子供たちも含め、祖先の霊の命もと殺戮を行う。しかし映画を看ている限りでは抑圧された原住民族が叛乱に立ち上がった、だけにしか写らない。それでは抑圧する側と非抑圧民族の悲劇を描いた今までの映画と変わらない。劇中「祖霊が叫んでいる」的なセリフはあるものの説得力はない。

十年前につくられたテレビドラマ「風中緋櫻」では、叛乱にいたるまでの経過を丁寧に描いてくれたおかげで、賽德克族の歴史・風習・観念などを視聴者がある程度理解できるよう下準備をしてくれていた。莫那·魯道(モーナ・ルダオ)は配慮を尽くす戦略家として、優れた武闘派の頭目だったことを納得させてくれていた。「セデック・バレ」にはそれが欠けていたと思う。莫那·魯道は最初から英雄として登場する。

「風中緋櫻」を見た後、賽德克族について調べてみた。賽德克族に限らないが台湾原住民、それも山岳原住民には「文面」(顔の刺青)「出草」(首狩)の習慣があった。文面も出草も1950年代まで行われていた。

昨年「セデック・バレ」が上映されると、各テレビ局は特集を組んでこの映画の紹介を行った。ここ台湾には原住民族電視台という公共テレビ局がある。話題を扱うには最適なテレビ局である。ある番組、たしか「原地發聲」だったと思う。賽德克族の学者、識者、研究者が参加した討論番組が放映された。彼らのとった立場は当然ながら「映画は映画、歴史は歴史」である。彼らは先祖から受け継いだ知識や自らの研究を元に発言を行ったが、最後に一人の研究者の言葉が全てを語っていたと思う。

なぜ莫那·魯道は日本人の首を狩ったのか。映画や討論の中で「GAYA」という一語が語られる。GAYAは賽德克族を律する概念である。文献に目を通してみた。言葉として理解は出来る。しかしそれだけである。研究者は莫那·魯道が日本人の虐殺を行う前、必ず祖先の霊にその是非を問うたはずだと言った。その上の決断だったはずだと。彼は司会者に向かってこう語った。「私の顔に刺青はありますか?」「刺青のない族人が先祖の行いを真に理解できるでしょうか」。狩猟を棄て、都会に住む賽德克族の研究者は、すでにGAYAの外にいることを告げた。

台湾原住民の間にはいまだにアニミズムが色濃く残されている。そのどれもに私は惹かれる。時間と共に消え去るだろう興味深い話題を探ってみたい。しかし私にはもうそんな時間は残されていない。彼らと日本人との関係は思いのほかに深い。

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