Sunday, November 5, 2006

[廈門・151日] スピードダイアルのイラスト

日本より持ち込んだ携帯三台。そのうちの一台は日本のボーダフォンのSIMカードでしか使えない。国際電話同様だから電話を受けるにしてもかけるにしても高くつく。一台はデジカメとビデオ専用。ビデオは中国語教師が教科書を読んでくれるのを録画、授業の予習用に使っている。中国語の扱えるのは一台だけ。といっても英語版の携帯に中国語を突っ込んでいるので、中文を打つのに向いていない。SMSはこちらでも便利。しばしばやり取りされる。それになんといっても安い。手軽に素早くやり取りするにはやはり純正の中国語版が欲しくなる。というわけで新たに携帯を購入した。

ノキアのN73という最新機器。使い勝手がやたらいい。これ一台ですべて賄えるといっていい。ボタン押しやすくてよし、画面大きくてよし、写真撮ってよし、名刺スキャンして解読してアドレス登録できて、MP3聴けてFM聴けて・・・重宝この上ない。今では慣れて中国語でばんばん使っている。デジカメも3MBと、解像度も上がっている。強いて不満を言えば幅が小さいためわたしの手ではホールドしにくいことぐらいか。

便利しているのがアドレスに写真を添付できること。これが意外といい。文字で誰からかかってきているかは解るのだが、写真やイラストだと一目瞭然、即座に電話を受ける際に相手の名前をよんで返答する。「タマさん、こんにちは!」。かけてきた相手は気分がいいだろう。

(また blogger.com にアクセスできない。原因不明。中米間で何か政治的な問題でも起きているのか?そのため " a Cup of AsianTea " には投稿できないでいる。 )

[ 写真: イラストを使ってアドレスに添付。その人の特徴を見つけ出し選び出している。左から下へ、我が秘書タマさん、元ボスの孤独な後ろ姿、今のいい加減で女好きな運転手、そしてわたしが最も信用している中国人、前の運転手。ルパン三世に似ているので選んだ。 ]

Tuesday, October 24, 2006

[廈門・139日] 勝間ネコ便り

暢気に過ごせる廈門、世の出来事に疎くなっているとはいえ、忘れてはならない日もあるのです。今日はそのなかの一日。十八年前、愛娘たちの母親が去った日であります。

昨日下の娘よりメールが届き、愛娘二人が墓参りに出向くと伝えてきました。わたしはこちらにいて早々と去ったかれらの母親のために何ができるのか。多くの海外在住者たちがこの件をどう対応しているのか知るよしもありません。そこで勝手にわたしなりに供養することにしたいと思う次第です。

さて、日本には他の家族もいるわけで、久しく無沙汰しているのが三匹のネコたち。千葉の片田舎の畑と雑木林に囲まれた古農家で彼らが如何様に過ごしているのか心配でなりません。娘に一文連絡を入れてみます。今朝がた届いたメールには、丸々と肥えた二人の姿がありました。面倒を見ていたわたしがいなくなり、さぞかし不便をしているのではないか、一人心配していたものの、その気配すらなく、いささか拍子抜けした次第であります。これを取り越し苦労というのでしょう。

[ 写真: 土間に積まれた段ボール、二人はこの場所が好きなのです。彼らに邪険にされているもう一人が映っておりません。やはり仲間はずれにされているのではないかと、心を痛めております。 ]

Sunday, October 22, 2006

[廈門・138日] 刃こぼれ

まあすごいものでして、鶏と家鴨を捌いたあとの包丁と俎板、ご覧の通りの姿に相成ってしまいました。骨ごとバキバキしてしまう肉切り包丁とちがい、ベジタリアンが愛用する刃先ではか細い鶏さんの骨でもとうてい太刀打ちできませんでした。刃先と俎板をこれほどまでに痛めつけた少女を褒めるべきか、できの悪い包丁を責めるべきか、中国四千年のながーいながーい食いものの歴史を語るべきか。

料理は芸でありまして、それでは料理の先生は芸人かというと違う。日本でもこちら中国でも料理人は芸術家なのであります。ちなみに料理の先生を師匠と呼ぶのは当然なのです。我が社が保有する開店したばかりのホテルの料理の師匠は香港の人間、ふとっちょであります。至極愛想がいい。その割には味付けの方向が曖昧でありまして、どの料理も同じ。次から次へと出てくる料理に起承転結がない。これでは飽きられてしまう。はたしてどうなるのか、人ごとながら心配してしまいます。

それに反し我が秘書兼中国語教師兼義理の娘の料理ははっきりした味付けであります。簡単に言えば田舎料理の田舎味、野味があって豪快そのもの。少女がつくったものとは思えません。しかしここ中国では誰もが料理の先生なのであります。世の中いろいろです。だから面白い。廈門の旅もひとしお面白いのであります。

[ 写真: 鶏と家鴨を捌いた少女の腕は太いのです。でなければ刃先がこれほど痛めつけられるはずはありません。 ]

[廈門・137日] 毛沢東の子供たち

廈門滞在が長い割には事情通になっていない。道を走っていても、ここがどこかも理解できていない。食い物屋も家の近くにあるどちらかというと高級料理店しか知らないし、ましてや酒を飲んでカラオケしたりお嬢さんと談話するなぞということも経験していない。まあ別の言い方をすれば、それで十分生活を満喫している、なぞとうそぶいてみることもできる。

先日、マーケッティング部門の新人のいささかデブな若者と一緒に町に出た。このデブ、ボスにダイエットを勧められている。「ブリキ猫を見ろ!彼はわたしが指令した三ヶ月で中国語の会話を理解できるようになったではないか!デブ、君も三ヶ月の猶予を言い渡す!その間にわたしの秘書程度まで痩せるように!」。これは本当の話である。お話を面白くするための作り事ではない。例に引き出された秘書も哀れである。彼女、先日結婚したばかり。ちょっと小太りのぽちゃぽちゃ。かわいらしい。しかし彼女を引き合いにするところが実に面白い会社なのである。

まあそれはそれとして、このデブを連れて三人、町に出た。廈門でも話題になっている食い物屋があるというので行ってみた。店の名前が「老知青 lao3 zhi1 qing1 」。七十年代の学生運動に荷担した人間には、「オッツ!あれか!」と手を打つに違いない。文化大革命という中国国内の内紛の時代、「下放 xia4 fang4 」といって、学生は実社会で体験を積め!地方に学べ!農村で働こう!運動があった。当時、わたしはいたく感激した記憶がある。どこかで今の千葉の片田舎のもとになったみたいなものかもしれない。「知青 (知識青年)」という名付けられた店、では一体どんな店なのか。

つたない翻訳でご紹介する。

・料理の分類:東北料理
・店の紹介:廈門の「比較的特徴ある」レストラン。店にはいると「文革時期の東北地方を思い出させる」、「至る所に毛沢東語録が」、「壁にはトウモロコシが掛けられ」、「椅子はオンドル」。服務員は「みな紅衛兵の格好を」、「緑色の軍服を身につけ」、「肩に軍包」、「さらにマネージャは軍用の水筒を」。餃子の味は「比較的まとも」、東北料理の味は「まあまあ」、「量がとても多く」、つまり「一寸雑」。価格は「高くはない」、口にしてみたいとお考えなら、おいでになって試してみるのも悪くないでしょう。

意地悪なわたしの運転手が一人の青年を捕まえて聞く。「鞄の中には毛語録入っているの?」、青年「はい」、運転手「じゃ見せて」、青年「いやいやいや・・・」。意地悪なあたし、彼らに声をかけてみる。「同志! tong1zhi4 」、誰も振り向かない。そりゃそうだろうな、ここの店で働いている若者たち、当時まだ生まれていなかったんだから。

[ 写真: 壁には軍用トラックに乗って下放する若者たちの姿を描いた漫画が。 ]

Wednesday, October 18, 2006

[廈門・133日] 家鴨を捌くと・・・


懸案だった家鴨を捌いたのが先週の日曜日。冷凍庫からこちこちだった家鴨を引き出し、半日掘っておいてもまだこちこちの姿を我が秘書は手際よく捌いていく。すでに鶏が捌かれるのを見ていたので衝撃は少なかったものの、やはり迫力がある。まな板の上でガッツ、バッキ、ドンドンと切り裂かれていく。その力強い包丁捌きであたりには骨付きの肉の塊が飛び散っていく。あとで拭き取るのの大変だったこと。

我が秘書は豚さんより鶏さんより家鴨の肉が大好きである。できあがった家鴨の料理をルパンIII似の前運転手と三人で食した。しかし、わたしには鶏の方が何倍にも美味しく感じられた。鶏の方が数倍脂っ気が少ない。野菜との取り合わせも悪くない。秘書さんの努力を評価するものの、古い日本人には家鴨より鶏の方が魚のほうが口に合う。

[ 写真: 左が冷凍庫から出したばかりの家鴨。右はそれを捌いている我が秘書の姿。 ]

Thursday, October 12, 2006

[廈門・127日] 游土楼-IV

土楼で生活してみる、できることなら。福建省の西部、福西地区に多く点在する土楼、観光用に整備され公開されているものもあれば、いまだになかで生活を営んでいる土楼もある。生活するには不十分な設備しか与えられておらず、作り直そうにも国家文化財の指定を受けていればそれもままならない。そのためか、土楼で生きている人たちには老人が多い。小さな子供の姿もしばしば見受けられるのは、両親が外地で働いているため、ジジババが孫の面倒を見ているからだ。

土楼を案内してくれたホテル嬢は、ここで生活している風景が「脏 zang1 (汚らしい) 」という。たしかにあちこち痛んでいたり、生ゴミが散らかっていたり、小動物の糞で靴を汚しそうになったりした。それでもわたしには汚らしいという感じはしなかった。なぜなら、ここには最新文明の産物がほとんど見当たらない。特に石化製品がない。おかげで空気も水も土も汚されずにすんでいる。わたしには桃源郷のような環境なのだ。

帰り際に前の運転手がこんなことを口にした。「burikinekoさん、ここに住みたいですか?土地は安いし、土楼を買って手を加えて土を耕せば長生きできますよ」。彼のわたしのライフスタイルを理解しての発言だ。一考の価値ありか、廈門に戻って頭の片隅から引き出してみた。ここ廈門は、わたしには、魅力的な小都市として映っていることに気がついた。ここの生活環境は棄てがたい。土楼への移住はしばらく先に考えることにした。

[ 写真: 土楼のなかを好き勝手に走り回って運動している家鴨たち。食するに適当に脂ののった肉になっているに違いない。 ]

Monday, October 9, 2006

[廈門・124日] 路地裏のDVDショップ

土楼見学から戻った翌日、廈門は青空が見え、この時期にこんなに蒸し暑いのかという日の夕方、わたしがルパンIVと呼ぶ前の運転手から電話が入った。家で食事をしないか?というもの。まもなく車がやってきて彼の家に向かった。

彼の住むあたりは廈門の旧市街の中心だったところ。洋館風三階建ての連続アーケードを持つ商店街にある。奥さんがメンズウェアの店を開いている。道幅は狭く、人と車が入り乱れている。子供たちの遊び場はこの街路、向こう三軒両隣の関係である。この店、以前は向かいに開いていた。隣人の家から出た火で内部が丸焼けになってしまい、移ってきたもの。内部は雑然とし、どう見てもどこもかしこも整理されているとは言い難い。

二階はルパンが手を入れて、仮住まいのように部屋が仕切られている。その一室のちょっと広い部屋でルパン手作り料理をご馳走になった。我が秘書の田舎味と違い、彼の味付けは薄くわたしの口にあった。肉料理が少なかったのは、わたしが肉をあまり口にしないのを知っているルパンの配慮だろう。かわりに魚が食卓に上がってきた。わたし以外の人間は手をつけなかった。魚はあまり人気がないようだ。

食事を終え、彼が廈門で最も賑やかだといわれている歩行者道路に出かけた。ここはやけににぎやか。モダンな店が並び、華やかに着飾った若者たちが溢れ、家族連れが路上のオープンテラスで飲料を口にしている。それにやけに長い。どこまでもどこまでも続いている。

すでに夜中の九時。彼の店に戻る途中ビデオショップを見かけた。聞いてみる。「韓国のDVDある?」、店の女性「ここにはないわ」、「あっそ」とわたし。すると彼女「ちょっと待って」。どこかに電話を入れると間をおかずに若い女性がやってきて手招き。我々を薄暗い路地裏に。「どこに行くの?」、「ついてくればいいの」。路地の奥の奥、曲がってまた曲がって、たどり着いたのが掘っ立て小屋のような建物。ここがビデオショップの本拠地だった。小さな部屋の中は棚いっぱいのDVD。学生らしい若者たちで溢れている。

あるわあるわ、韓国版だけでなく米国も本家中国のDVDも、最新版DVDはほとんどあるのではないだろうか。目についたものの中から素早く手に会計。うーん、この値段で手にはいるの?我々会計を済ませるとそそくさと木戸から外に出た。

家に戻りNHKで放映された「オール・イン」という連続劇を見てみる。問題ない。オーディオは韓国語と日本語、問題ない。サブトラック、韓国語と日本語。日本語をポチして再生してみるとどうだろう、そこには中国語が。そうなんだ、ここは中国なのだ。日本語をポチしても誰もそんなの見るわけない。中国語の学習用にはいいだろう、そう納得することにした。

[ 写真: わたしのご贔屓の二人。男優のイ・ビョンホン。女優のソン・ヘギョ。二人が競演の「オール・イン」と黒社会を描いて白眉な「甘い人生」。 ]