Friday, May 30, 2008

[廈門] 香港へ船の旅なぞどうだろう

目覚ましは目の前で工事中の重機が動き出す音、早朝六時半だ。バルコニーに出て軽くからだじゅうの関節を動かす。いたるところの継ぎ目がボキボキと音をたてる。真下の工事現場は無視し、国際埠頭、港、そして対岸がどの位モヤっているかでその日の天気を予想する。今日は雲が厚かった。雨季なのだ。

週に一度、埠頭に豪華客船が停泊する。四段のアッパーデッキが魅力的に見える。機会があれば、のんびりとデッキ上から海原を眺めて過ごしてみたいものだ。

豪華客船が停泊した日の夕食を姐姉の家で御馳走になった。客船に話が及んだ際、乗ってみたいなーと口にすると、この船、台湾船籍の船らしい。香港を拠点に、アモイ・海南島をクルーズする、三泊四日の旅と聞いた。日本円で百万はするのでは……、なんと人民元二千円(日円約三万円)だという。まさか、アッパーデッキじゃないだろう、二千元ならすぐにでも乗ってみたくなる。

ここアモイで提案書を書き終え、翻訳も完了、あとは結果待ちの日々、時間は有り余っているはず、手持無沙汰のはず。

ある会食の席、毎日何をして過ごしていますか?の問いに、部屋から海を眺めていますと答えた。「看海的日子」ですか……と返事が返ってきた。。古い台湾の短編小説の題名だ。うる覚えなので正確さに欠けるが、たしか、船乗りの亭主が海に出て行ったきり戻らない、カミさんは毎日浜に出て海を眺めながら亭主の船が戻ってくるかと待ち続ける。むなしく時を過ごしている。映画にもなって、見たような気がするが遠い昔のこと、定かではない。ちょっとうらぶれた物悲しい話だった。

私はなにを待って海を眺めているのだろう。あてはない。そんな時だ、香港へ船の旅なぞどうだろうか。

[ MEMO: 高校時代の絵画の先生は船を描くのが好きだった。あたしも習って芝浦桟橋に出かけてはスケッチを重ねたものだ。 ]

Thursday, May 29, 2008

[廈門] 同安の造り酒屋

やはり田舎に住みたい、それも農村、村人の生活と共に過ごしてみたい。周りの人間は言う、危ないですよ外国人がそんな中にないったら、私の別荘を使ってください、日に一度連絡いただければ安心です。いや違うんだ、畑耕して……大丈夫です、庭は広いですから畑にしていただいても……。アタシのライフスタイルはなかなか理解してもらえない。

ガッコの先生と一度アモイ市郊外、同安という農村を訪れた。手配してくれたのは、かつて農業行政に携わっていた方。一声で地元農村出のお嬢さんたちがハイハイと案内してくれた。なだらかな丘陵地帯、北に山、南傾斜、風水上申し分ない。そして何より魅力的だったのは、地酒工場があったこと。地場産業があるというのは村の魅力の一つだ。

レンガ建て四棟の建物、中心に窯から上がったばかりのコメを戸板に広げ、そのまま引出し天日干し、コメ麹をまぶして樽に詰める。あとは発酵を待って土瓶に注ぎ込む。米蔵の棟、コメを炊く棟、麹をまぶし発酵を待つ棟、そして土瓶に寝かす棟が効率よく並べられていた。

小さな村はずれにある工場、ふらっと入りこんでいってもだれも気にもしない。何かを持ち出されるとか盗まれるとか心配の様子もない。そんな村、危険だろうか。塀をめぐらし、ガードマンを置き、ビデオ監視装置があるような別荘地こそ危険極まりそうだ。

[ MEMO: 逆に心配だったのは、こんなスケールの生産量で採算が成り立つのか、という素朴な疑問。欲をかかなければずーっと続けられるのかもしれない。あくせくせず、時間をかけ、コメの発酵を見ながら日々それを繰り返す。土地とともに生きている限り可能なのだろう。 ]

Monday, May 26, 2008

[廈門] あまりにも美しすぎた……

アモイに足を踏み入れて間もなく二年を迎える。二年もいながら他の地を訪れたことがほとんどない。多くの友が聞く、なぜ桂林の奇景を見にいかない、武夷山は美しいぞ、西湖はどうだ……。時間がない、金がない、それ以上にその名前に興味をひかなかった。金を落として景観を見る気がしなかった。アタシはその地に根をおろして生活している様を見ているほうに興味がわくし、その中に入って行きたくなるタチなのだ。

日本のサイトに四川大地震で建物のほとんどが崩壊した村の話が紹介されていた。「中国地震:廃墟と化した雲上の集落」。その記述には「……4500年前の歴史を誇る雲上の集落「蘿蔔寨」が四川大地震で廃墟と化したと報じた。蘿蔔寨は震源に近いブン(さんずいに文)川県雁門郷付近にあり、一帯に住む少数民族チャン族の古代王国の首都だった。その急しゅんな地形のため、ふもとからの接近が難しく、長い間外界の影響をほとんど受けないまま、 1000人余りの住民が暮らしていた。……」。どんな村だったのか、こちらのサイトで探ってみた。山頂に寄り集まった集落、その周りを取り囲む棚田。遠くには切り立った山並み。このようなところで生きていると、時間はどのように過ぎていくのだろうか、思いをはせてしまう。

この村が地震の影響で壊滅状態になっという。風景と生活が一体になったかつての王朝が消え去ったという。あまりの美しさに誰かが嫉妬したとでもいうのだろうか。残念である。

[ MEMO: 先ほど、久しぶりに台湾から戻られた方がたと食事をした。話題は今回の地震で寄付をしたかしなかったか、いくらしたのか、どこそこの会社はいくらで有名人の誰それはいくらで……。これで中国への思い入れがどの程度かが判断されてしまいそうだ。 ]

Friday, May 23, 2008

[廈門] あまりにも酷すぎる……

十日が過ぎ、四川省大地震、復旧が急ピッチで進んでいるようだ。それとともに多くの情報がネットに上がってきている。鮮明な画像が現地の残酷さを見せつけていた。正直見るに堪えられない。

まるで戦場のようだ……

一週間前、解放軍、山間部に入り込み人命救助に明け暮れた。ウェッブには、彼らの必死な活動の様が紹介されていた。それにしても被害地は広大すぎる。解放軍五千人を投入したという。生き残った児童が兵士に感謝の手書きボードを差し出していた。

あまりにも酷ごい……

あまりもの悲劇だ。痛ましい児童の姿には胸がつまされる。

・「まだ生きているぞ!」と叫ぶ医師、その傍らには放置された亡骸。
・瓦礫から突き出した児童の腕。握りしめているのはコンクリートのくず。必死に耐えていたのか。
・巨大なコンクリートの柱が倒れこみ、その下敷きになった児童の姿。頭部だけが見えている。
・瓦礫の中から探し出した娘の亡骸を抱く父親。傍らで泣き叫ぶ母親の姿。
・バイクにまたがる男。背中には女性が紐で縛り付けられている。どこかに運んでいくのだろうか、生死のほどは読み取れない。

これらの写真は、中国国内のウェッブで見つけたもの。他にも多数あり。ほんの一部だが紹介させていただいた。大旗網の中からボランティアで救援に参加していた父親が戻ってきて…というタイトルからいくつか。

他にも新華網(新華社)からの写真なども入れさせていただいた。

[ MEMO: すべてを紹介することなぞ出来ない。すべてを掲載するにはあまりに酷だ。死者はすでに五万人を超えた。 ]

Thursday, May 22, 2008

[廈門] 切断された回線

この期にネットに接続できない。昨日、床に就くときパソコンの電源を落とさず、ネットも繋ぎっ放しで寝込んだ。朝起きるとルーターのライトが消えていた。仕方がない、ではダイレクトにとLANケーブルを差すも信号は届いているようなのだが繋がらない。ルーターはホテルが用意していたもの。ホテルスタッフがやってきてあれこれいじりまくるが復旧の見込みなし。メールのチェックもサイト情報もスカイプでILCの情報も拾えない。こうなるとアタシはいささか焦る。日常の一部になっている行動が阻止される。それだけのことで右往左往し始めてしまう。

結局昼過ぎ、なじみの珈琲店Javaromasにドンと腰をおろして半日を過ごした。ネットに接続し、メールをチェックし、こちらと日本のニュースサイトを訪れ、blogを投稿し、スカイプを開いて誰かが訪ねてきたかを確認し……。何か期待することでもあったというのだろうか、いや別にどーってこともなかった。一日待ってもかまわないことばかりだ。

ルーターの修理は明日までかかる。今晩はどうしよう。不安が残るアタシは、姐姐にショートメールを送り、預かってもらっている荷物の中のアタシのルーターを取りに行くことにした。

ルーターを受け取り、家に戻り、ネット接続を試みるも、切断された回線は元に戻らなかった。原因は不明である。

姐姐の家で食事を御馳走になり、その際に見知らぬ愛国者の話をした。姐姐の話では、日本人を嫌悪する中国人は多い、アモイにもそんな連中がいる。携帯を購入した時に実名を書いたでしょ、日本人だとわかれば彼ら愛国者たちは容易に情報を横流ししてもらうことができる。姐姐、組織とは言っていなかったが、若い連中が集まって相談事をしている可能性はあるといっていた。そんなサークル仲間が嫌がらせに……、もしそうだとしたらとんでもない標的にされてしまったわけだ。

姐姐はアタシに問う、かつて日本人が中国に来て戦争をした、あの戦争は間違っていなかったのかと。まあそうだろうと答えると、ほらほらそんな調子だ、それじゃあれこれ言われても当然なのでは、文句言えないでしょ、と諭された。この地にあってあいまいさは敵だ。イエスだろうがノーだろうが右か左か、白黒はっきりさせなければならない。答えがどうあろうと、そのあとでなければ握手はできない。改めてチャットの内容がいい加減だったかチェックしてみることにした。

姐姐は言う、他に誰かスカイプネームと携帯を教えてないかと。麗江の若造はどうだ?オーそうだ、あいつとは昔からスカイプでやり取りしていたし、仕事仲間だったので携帯も知っている。しかしヤツから情報が流れた?いくら奴でもそれはないだろう。床について考えてみる。そうだ、一昨年末、帰国時に移転通知を出した覚えがある。そこにはこちらの携帯番号とスカイプネームを印刷していた。しかし日本語で、送った先はみな日本人だ。fucking ladyに届くはずはない。

実のところ、fucking ladyに携帯で問い詰めた時、なぜだか怒りの矛先が緩んだ。チャットの彼女と、携帯の向こうでちゃらんぽらんな返事の彼女とが一致しなかったのだ。ついつい俗な話になって、アタシの知り合いにもお前と同郷の人間がいて背が高くて…、彼女が問う、どのくらい、これこれだ、まああたしもそれに近いのよ…。そんな彼女が何故執拗に真夜中無言電話をしてきたり、汚らしい言葉を投げかけてきたり、チャットにまで言い散らしてきたのだろうか。

突然襲った四川省の大地震、突然受けた見知らぬ愛国者の迷惑チャット、そして突然のネット回線の切断……。変な出来事が重なったものだ。

[ MEMO: 姐姐の家に届いた白黒の夕刊。死者は四万人を超えた。久しぶりに完全モノクロ新聞を見た。日本の新聞に色気が出始めたのは割合最近のことだし、それもパートカラー。二十年以上前、すでに台湾の新聞はフルカラーだった。 ]

Tuesday, May 20, 2008

[廈門] 黒白

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒、モノクローム ]昨日から四川電視台の報道スタジオ、照明を落とし、背景を暗くし(背後はコントロールルーム)、衣装は白黒、化粧も薄く、黒の衣服に白の布花を胸に差していた。以外と雰囲気出て、落ち付いて・・・。まさに悲劇の報道にふさわしい。

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒つけよう、どっちなんだ ] 昨日の「見知らぬ愛国者」を読んだシンさん、はやりの小説か映画みたいだといってきた。確かにアタシも韓国映画で執拗に追い続けられる女性の話を見たことがある。アタシはアタシで別の観点から推理してみる。(一応昨日の「愛国者」を読まれたことを前提にします)

・カギとなるのは、スカイプ・ネームとアタシの携帯番号との関連。彼女はアタシを知らないといっていた。もし知っていたらどうなる。携帯で嫌がらせすることはできる。しかしアタシがburikinekoだと知っている人間はここ中国では一人だけ、この間まで中国語の先生をしていた方のみ。とはいえ迷惑電話も、初めてスカイプでコンタクトされたのも先生と知り合う以前のもの。彼女が知ることのできる余地は少ない。

・ここアモイのアタシの携帯番号はアタシの名刺に刷り込まれている。仕事で知り合った方は番号を知っている。銀行・部屋の大家・電力会社やネット契約でも連絡先に携帯番号を書きこんでいる。買い物先やカラオケ屋のお嬢さんと番号の交換はしている。アタシの携帯番号はかなりの人が手にしている。その中の一人か?しかしその誰もアタシがスカイプを使いburikinekoという名前を使っていることは知らない。

・彼女からかかってきた電話番号、スカイプから電話を入れると見慣れぬ番号が表示されるのか。これはあり得る。スカイプでチャットし、スカイプで直接アタシに通話するのでなく外線経由(スカイプアウト・有料)で携帯にかけた。これは同じパソコン、同じ回線を利用したことになるので可能性は高い。しかしスカイプの電話にでないとみるや携帯にかけてきた間の時間をみると、スカイプの電話リストにアタシの携帯番号が登録されていたとしか思えない。そうだとすると用意周到だったことになる。

・もう一つのカギ、何故彼女はアタシに迷惑電話をかけるようになったのか。アタシは中国人に迷惑をかけた覚えはない。どう考えてもない。恨みを買った覚えはない、と思う。いや絶対にない。ではただ単に日本人だからということなのか。半年前の迷惑たわごとはどういうことだったのか。半年たった今ご丁寧に再登場したのはなぜなのだ。

・組織の可能性はどうだろう。彼女、日本の右翼といっていた。こちらの報道で右翼という一言は使われているのか。ここにも右翼がいたとしたら、組織があったとしたら。組織で動けば、アタシのスカイプと携帯番号の関連をつかむことはできるかもしれない。標的を探していたのか、それがアタシだったのか。これはあまりに飛躍しすぎる。しかし個人の力でスカイプ名から携帯番号を、またはその逆をつかむことができるだろうか。

自分に振りかかった難題だが、他人事のように興味深い、面白い。アタシから彼女のスカイプへコンタクトするつもりはないが、今後彼女からアクセスしてくるだろうか、電話は掛ってくるだろうか。その際にはどのように白黒つけようか・・・。

しかしそれでも答えはでない。電話で罵り、スカイプで日本を罵倒する。なぜなんだILCさん。アー、アタシは暇を持て余しているわけではないのだ。早くそんな話は切り上げて自分の問題に取りかからなければならないのだ。

[ MEMO: 四川電視台のメインキャスター、彼女もこれこの通り白と黒の衣装で登場していました。

Monday, May 19, 2008

[廈門] 見知らぬ愛国者

・現在午後二時二十八分。サイレンが鳴り響き、港の何十隻という大小なの船が霧笛を鳴らし始めた。テラスに出て黙祷する。

かなり前のこと、一年はたっていないが、真夜中に二三度ワンギリを受けたことがある。注意しなければと、ログから番号をアドレスに残しておいた。それからしばらくして夜中に再度その番号から電話がかかった。こちらの問いかけには一切答えず、ただただつたない英語で罵り続ける若い女性の声。そこでアドレスに名前を付けた。"Fucking Girl"。彼女と彼女達からは(わきでもう一人女性が加担していた)再度罵声を受ける。こちらもかなりきつい返事を返した。以降電話が鳴ることはなかった。

アタシのスカイプ・コンタクトリストには何人かの中国人女性が上がっている。ほとんどが日本語を勉強中です、よろしくお願いします、ということでアタシのところにやってくる。なかにILC(仮称)と名乗る女性がいた。初めに一度ぐらい挨拶をしたあとはお互い不義理をしていた。昨夜、その彼女からチャットが入った。お互いに自己紹介をし、どこに住み、何をしているのと型どおりにチャットは進んでいった。

何がきっかけでそうなったのかわからないが、突然に彼女、私は日本が大嫌いだ、家には日本のものなんか一つもない、中国製品が一番で・・・。私は愛国者です、聖火リレーで中国人を殴った日本の右翼をあなたは許せますか?日本の首相は靖国に参拝します、日本は中国で何人中国人を殺したと思いますか・・・云々。

はじめのうちは丁重に受け答えをしていたものの、どんどんエスカレートしていく。かなりカチンときたアタシ、「あなたは真の愛国者ではない、あなた達の領導(指導者)の考えを理解していない、あなたは単に人を罵っているだけだ。」と。彼女、意に介せずさらに続ける。これでは交流も糞もない。アタシはそれでも丁重に、そのような態度ではあなたと会話を続けることはできません、よろしいですね、と答える。そして彼女が執拗に迫る問いに答えず放置した。

スカイプフォンが鳴った。彼女からだ。アタシは受けないことにした。と、次に携帯が鳴る。画面には"Fucking Girl"とでていた。

スカイプの友ILCと携帯のFucking Girlを結びつけるものは何もないはずだ。一瞬背筋が寒くなった。アタシは電話を受けることにした。受けなければいつまでも追いかけてきそうだ。「誰?何?以前もアタシに電話入れたよね・・・」、「ない」「私ILC」。先ほど罵り続けていた彼女だ。「どうしてアタシの電話番号がわかったの、知る手だてないはずだろ」、彼女、「私もよくわからないんだけど、ああしてこうしてああやっていたら・・・」。要領を得ない上に何やらぐちゃぐちゃと話す。「酔っているのか?」、返事無し。

アタシのスカイプニックネームはburikineko、ただしプロフィールにはアルファベットで本名が登録されている。携帯の番号は掲載していない。Google CNでburikinekoを検索してみると、アタシのブログとHPが引っ掛かる。ここから漢字の本名は探せる。しかしそれ以外の手がかりはつかめない。彼女に「会ったことあるか?」に「ない、知らない」と答えている。たとえ携帯の番号がわかったとしても、スカイプ名からアタシを引きこむほど手の込んだことができるだろうか。話した限りではできそうにない。そこまで賢こそうにも思えない。そう感じた。

気になったのは、昔のFucking Girlと昨日の彼女と声の質が違うこと。昔はやたら若く跳ねるような声だった。昨日の彼女はだらだらと話し、嗄れ声で、アタシのことそっちのけで一人、日本のポップスを歌い続ける。彼女の電話先を確認してみることにした。

こちらではかなりの範囲までユーザー情報を絞ることができる。携帯からどのキャリアでどこの局でぐらいはウェッブで検索できる。電話を受ければ相手先が分かる。受信拒否ができないのだろう。探ってみるも番号を打ち間違えていると。確かに変な番号だ。どのような回線経路からやってくるのだろう。想像できない。

彼女の背景から数人の声が聞こえていた。仕事場かインターネットカフェか。彼女はホテルの服務員だと言っていた。手がかりは何か。皆目見当がつかない。どちらにしても偏狭な愛国者に捉まってしまったのは確かだ。

真夜中の迷惑電話、執拗な日本への反感にくらべ、携帯から聞こえてきた彼女の声には、どこか投げやりな感を受けた。アタシは不思議な夜を過ごしたことになった。

[ MEMO: こちらは執拗に投げ込まれるピンクチラシ。衝立に飾ってみた。おっと、今日は喪に服す日だった。ピンクチラシはないだろう、こちらの新聞もエンタテイメント系ウェッブだってモノクロだ、ということで写真差し替えました。チラシは後日にでも。 ]

いつもは男性陣を楽しませてくれていたサイトもこれこの通り、モノクロで喪に服している。カラーからモノクロへと対応の遅れたものは、このサイトのようにトップページを入れ替えるか、単純にアクセスできないよう閉じてしまった。