Tuesday, August 7, 2007

[廈門・425天] ん?博物館で絵画展


風邪もひとまず収まった、というので先週末の土曜日、こちらのガッコの先生と博物館に出かけてきた。ガッコの先生と日本においででインドフリークの我が畏友シンさんとは、先生が日本留学中の友人。はるか昔にわたしとガッコの先生、シンさんの展覧会を廈門で開いてみてはと話が盛り上がったことがあった。シンさん、その話しに半信半疑の様子だった。

先生はこちらで顔が広い。あらゆる分野で知人がおいでだ。どういうきっかけだったのかは知らないが、博物館の館長さんと展覧会の話を進めてしまった。では、というので出かけてきた。出かけたのはいいが、場所は現在廈門市政府が建設を進めている文化中心のまっただ中にある。今年の三月、すでに開館。といっても展示場はまだ内装工事中。建前上、オープニングは済ませたということだ。

館長さん、この博物館、もともとコロンス島にあって、移転に際して抜擢された方。その前は骨董を扱って名を知れた方。いわゆるビジネスにたけた方というわけだ。博物館の今後の運営のノウハウを買われたに違いない。月給は公務員扱い、決して高額ではない。それでも引き受けたのには、きっとわけがあるのだろう。

展覧会の件はさっとすまし、話題はもっぱら廈門本島のとなりで進められていた化学製品製造工場建設にまつわるあれこれ。わたしの会社と無縁ではない話。実にわたしの会社の内情に詳しい。いろいろと教えてもらった。

しかし、この博物館のとなりでは、やはり立派な美術館も建設中。絵画の展覧会ならこちらのほうが筋だと思うのだが、それはそれである。それに展覧会予定の場所はやたら広い。作品展数百点以上が条件。シンさん、いつもはささやかに、目黒の小さな展示場とか、横浜山の手の画廊とか、瀟洒な会場を選んで開いていた。

さて、この話どう転んでいくのか、大いに期待したい、と思うも、センセと館長お二人、投資用にマンション購入したいのだが、という話が盛り上がり、結局、昼食をご馳走になったあと、マンション見学と相成ったのであります・・・。

[ 写真: 美術館も図書館も科学技術館も博物館も表面はガラス張り。似たような建物だ。どれがどれだか全く特徴がない。サインボードを見なければ、何が何だか全く解らない。それにしても壮大な開発である。 ]

Monday, August 6, 2007

[廈門・424天] 踏んだり蹴ったり

喉が痛いな、と感じたのが二週間以上前のこと。それからひどい咳と痰に見舞われるまで一週間を必要とした。その間、体がだるく、あれこれ動くのもおっくう、物事に集中できないでいた。そして巡ってきた突然に襲う強烈な咳、そして切れない痰。これはもしや・・・重い病ではないかとさえ思ってしまった。

思えば思うほど病は進行する。そういうものなのだろう。病はまさに気から。結局会社を二日間休んだ。家でただただゴロゴロと眠りこける。徐々にだが、体調は回復、週末には人と会うことができるまでになった。しかし強烈な咳のおかげで、喉の血管を痛め、鮮やかな血が混じった痰を見るのは気持ちのいいものではない。

今のは踏まれた部類の話し。次にお話しするのは、強烈に蹴られた話し。

ある日元ボスから呼び出しがかかった。元ボス、影のボスからプレッシャーを受け続けているという。暗に会社を辞めてはどうかということらしい。話の内容は、大筋あちこちから聞かされていたので驚くものではなかった。ただただわたしは、上部の考えやおやりになることには関わりたくありません、と答えるのみである。

そんなわたしの素っ気ない対応に腹を立てたのかもしれない。ある日、ある人から連絡が入る。「会社を辞めて日本に戻るんですって?」。話の出どころは元ボス。死なば諸ともということらしい。そういえば先日こんな話をしていたっけ。「ホテルの董事長が辞めたとき、彼女が連れてきた幹部はみな辞めさせられた。この会社はそういうところなんだよ」と。まあ、わたしを引き込んだのは元ボスだし、筋を通せば諸ともかもしれない。一寸面倒くさい展開になってきている。

辞めるのもよし、留まるのもよし。しかしこちらに来てまだ一年一寸、ここを離れるには早すぎる。先日お会いしたガッコの先生、もし何かあったら廈門随一の開発会社をご紹介しますよ。そのもし何かあったらが現実味を帯びてきた。しかしわたしには面倒くさい話なのだ。それに年を取ってガラガラと環境を変えるのは体によくない。死期を早める。まだここ中国の片田舎で過ごしてもいないのだ。猫と暮らしてもいないのだ。

[ 写真: 会社の医務室、女医さんが選んでくれた処方薬。飲むタイミングを間違ってばかりいた。帰りのバスで同席した女医さんに、まだ喉が・・・と伝えたら、彼女、煙草辞めたら(医務室に)いらっしゃい!と事も無げにいわれてしまった。でも親身に考えてくれているんだと思うことにした。 ]

Saturday, July 28, 2007

[廈門・415天] 没有好消息

日本で避暑生活をおくっている方からメールの返事が届いた。「咳コホンコホンのジジイはゴメンこうむりますデスヨ!」と。なにしろひどい咳が出まくっている。喉をやられるような風邪は、今まで記憶がなかった。それがこちらに来てからは、風邪というと喉。空気が悪いのか、それとも化学プラントから流れ出る廃棄の影響か。

一人孤独な生活をおくっていると、そんなときには世話を焼いてもらえる人間がそばにいてほしくなる、と気軽に書き込んだら、「私には世話?面倒見てくれるイケメン先生達がイッパイいるから彼らに嫌われ無い為にもせっせと磨いております!」と事も無げにいわれてしまった。最後には、「もう少し明るい前向きなニュースをお待ちしております!」。

そういわれても、このところ明るい話しも前向きな話しもないのだ。憂鬱な話しだらけなのだ。その上この暑さ、うだるような暑さ、へばりつく湿気、何とかこれらを振り払おうと、老頭子の誘いにのって、久しぶりに珈琲店に出かけてきた。気晴らしのつもりが、やはりここでも怖ろしげな話ばかり語ることになってしまった。没有好消息である。長い人生、ときにはこんな時期もあるのだ、なぞ思ってみている。

そういえば、全く関係なく話が動くが、先日、サハリパンツを買った。軽く肌触りも履き心地も良さそうだった。一つ日本から持ち込んでいたが、換えがほしかったのだ。早速足を通してみた。暑苦しい。百パーセント綿だぞ、なぜなんだ。仕方なく日本製に履き替えた。厚手の生地だが、すっきりする。なぜだろう。あーやはりいい話はないなー。

おっと、今日は土用のウナギの日ではなかったかな・・・。

[ 写真: 出かけることもないので、インターネットからあれこれ写真を探し回っている。この写真は古い。張芸謀とコン・リー。どこかの映画祭でのショットらしい。わたしはこの二人がなぜか好きだ。 ]

Friday, July 27, 2007

[廈門・414天] 美麗人生

河北のスカ友は、blogタイトルに「醜い豚小屋」、ニックネームに「美麗人生」。相反する言葉で何かを語ろうとしている。若いからできることかもしれない。わたしなら、醜い豚小屋にどっぷり漬かってしまうところだろう。

廈門に来た目的が何だったのか、この一年考えたことはなかった。それがこのところなぜか反芻するように登場する。面白い仕事、一寸余裕のある生活、東アジア最後の旅・・・。読めば美麗人生そのものかもしれない。しかし現実は豚小屋だった、という実感か。

わたしは三国志を読んだことがない。多くの人が面白いという。何か権謀術策の雨あられのような感がしないでもない。だからいやなのだ。しかしここは中国である。三国志を知らずして人生を語るなという現実に直面してしまった。

一人の人間を陥れるための権謀術策、一つの部署がそれに全力を挙げた。しかし、陥れることはできたものの、その影響は大きすぎたようだ。親密な人間関係、楽しげな会話、協力し合う姿勢、そして本来の目的である仕事を効率よく進めるはずの手入れはできなかった。むしろ悪影響の方が大きかった。打ち合わせ内容が伝わらない、全ての案件の行程までもが狂ってしまった。そんな様をみて、陥れられた人間は、密かにほくそ笑んでいることだろう。ざまあみろと。

その影響で、わたしの部署が吹き飛んだ。まあ、本来おかしな系列にぶら下がっていたので、正常に戻ったといった方がいい。わたしは席を失い、昔の系列に戻ることになった。いざ戻るとなると、相応しい場所がない。仕方なく、デスクの配列がえに手をつけた。手をつけてみると、今までがなんとデタラメだったのか、驚かされた。

いやいや、近頃何か気力が萎えたのは、暑さのせいかと思っていたが、原因は他にもあったのだ。

[ 写真: 中国トップモデルの変わり種写真。「新風潮」とでも訳すのか、ウェッブ上のタイトルから見つけた。こんな調子でアジアカップを戦っていたら、きっとサウジなぞに負けなかっただろうに・・・などと妄想してみた。 ]

Thursday, July 26, 2007

[廈門・413天] 何もかも面倒だ

私は暑さに弱い。部屋の中だろうが、木陰の芝生だろうが、暑いとやたら眠くなる。今年の廈門は異常に暑いらしい。部屋の中は人が溜まるといっぺんに空調が効かなくなる。先日の会議だってそうだ。ホテルの管理システムについてプレゼンを聞いている最中でも、気がつくと説明の頁が先に進んでいたりする。一瞬気絶しているのだ。食欲もどこか出かける意欲もなくなっている。面倒くさのだ。

・このところ、若き妊婦と若き人妻が、私をあれやこれやからかうのだが、どーってことない話なのに、やたら気に障る。構わないでほしいのだ。それでなくてもこの暑さだ。

・暑さが手伝って、健忘症にもなっている。会社でやけに尻が軽いなと思いきや、財布を忘れていた。

・空調機の調節が旨くできずに風邪を引いた。会社の医務室で薬をもらい、女医さんから薬を飲む時間について何度も何度も念を押された。食前食後とあるのを間違えた。これも暑さのせいに違いない。どれもこれも面倒だ。

・まな娘にメールで手紙の転送が確実にできているか確認した。強烈な文句が帰ってきた。転送していないのは電話なのだ。暑さでボケが回っている。

・夕食の準備で料理の手順を間違えた。これも暑いからだ。

本当に暑いのです、今の廈門は。外に出てクラッとくるぐらいならまだしも、ドバッと汗が噴き出す。これがあと四ヶ月も続くのかと思うと、ガクッとくる。ここまでくると、快楽なぞ望む気もしなくなる。ビールの一口だって望まなくなっている。あとしばらく、体は休め休めさせながら動かないと、頭は適当に働かせないと・・・。

[ 写真: しかしこいつ=昔の秘書は暑さも関係ない。ヒョコッと家に現れては、おしゃべりして帰って行く。本心は分からないが、表面的には幸せそのものの表情だ。 ]

Tuesday, July 24, 2007

[廈門・411天] クラブカラオケサウナに茶館

廈門滞在一年以上、悦楽を提供する場を訪れたことがなかった。一度は覗いてみたいものだと思っていても、事情通でもなし、誘ってくれる人間もなし。要は周りの人間がケチなのである。ケチが悪いわけではないが、ときにはバカ騒ぎもいいと思うのだが・・・。

ここ数週間で、なぜか急にカラオケとクラブへと足を運んできた。事情通が誘ってくれたのだ。カミさんが里帰りしているときにしか、夜出かけることができない。一挙に店に出かけたのだ。不満解消ではないだろうが、違う世界もまたいいのだと、思っているに違いない。

廈門随一のカラオケ店は、エンターテイメントはここしかないという。それだけ自負しているだけあって、支払いは破格である。外国人といっても、そう易々と出かけられるものでない。そこで、先日はトップランクから一段落とした店に顔を出してきた。ステージあり、ボックスあり、個室あり、と一応揃っている。トップとの違いはスケール。こぢんまりとしている。ステージ上でダンスも歌もあるものの、学芸会の域を出ないが、そこはそこ、雰囲気は出している。なにしろカジュアルなのだ。気軽なのだ。

ホールは天井も低く、設備の配管はむき出し、黒くペイントが塗りたくってあるだけ。大昔、流行の先端は新宿からという時代に登場したディスコに似ている。店の女性もやたらと若く、私についた女性はなんとまだ高校生、十八歳、この九月に卒業予定という有様。ホールのボックスには、手ごろな価格も手伝ってか、若造の姿が目につく。いやほとんどが若造であり、白髪頭のjijiなぞ見当たらない。そういう人間は個室で静かにマイクを握っているのかもしれない。

週末に事情通の家を訪れた。彼が話してくれた。この手の店は、他にもいろいろあって、カラオケの他にも、いわゆるナイトクラブ、それにサウナ、そして茶館でも特別なサービスが行われているという。中国茶をたしなみながら、となりに座った女性との会話を楽しむこともできるのだという。茶館では、トランプあり麻雀ありなぞなぞ、なんでもOKなのだそうだ。

彼はお茶を点て、自分の名前をもじって「クラブリーへようこそ!」と。私はすかさず「女性なしのクラブですねー」。彼即座に答える。「カラオケ店のママに連絡入れてすぐにハケンしてもらいますよー」。続けて、「週末退屈でしたら私に電話ください。誰か行かせますから」。

ここまでくると、私とは全く違う世界だ。知らない世界だけに、味をしめたらハマってしまいそうだ。くわばらくわばら(死語だなー)。

[ 写真: 小型電池で動くリモコンヘリ。ホテルの軽食で食事をしていると、仕事はできないが、この手に目のないデブチャンが持ってきて、ホテルのアトリウムで遊んで見せた。直径僅か二十センチ足らず、正確に離着陸ができる。リモコンも十メートル程度はコントロールできる。優れものだ。早速彼に入手してもらうことにした。夜中に一人遊び、女性が傍らにいなくても退屈することはない。 ]

Monday, July 23, 2007

[廈門・410天] 雑記の続きの続き

・この夏の暑さは、本社の庭園の池の鯉に大きな影響を与えた。五月に気温が上昇、池に大量の藻が発生、呼吸困難になった鯉が数多く死んでいった。会社は、池の循環方式を改善し、水温の上昇を抑える改修工事が行われた。ようやく鯉は戻ってきたものの、馴染めない何匹かが消え去り、代わりに幼魚が今では放されている。

・暑さの影響だったのか、会社の組織に変動が起きた。組織の運営を正常に動かそうと、一人の人間からその職を剥奪する試みが動き始めた。権力争いが頂点を迎えたわけだ。結果、私の所属する部門から、私の課がなくなった旨、通知書が出た。つまり私の立場は宙に浮いてしまったことにになる。そんな私をみて、麗江の若造は、皮肉混じりに私に声をかけた。「昨日はよく眠れた?」。

・私は答える、「よーく眠れましたよ」。なぜなら、この件が書類になる前、すでに私の移動する先は決まっており、なーんも心配する必要は私にはなかったからだ。この動きを仕切った人間が私の耳元で早速とささやいていたのだ。わたしは元に戻ったというだけのこと。厄介だった二人ボス体制から抜け出したことになった。私は麗江の若造にそっと語りかける。「ある部門の人間が言っていたぜ、麗江の案件は問題が多いぞ、と」。かれ、がっくりとしおれきっていた。見るも哀れであるが、年上の人間をコケにしようとする際には注意が必要なのだ。本社の人間の強み、人の話に聞く耳持つ強みを発揮できたわけだ。私も意地悪になったものである。ここではそうでもしなければ、何をされるか解らない。

・元ボスの影響力が剥奪され、元ボスが仕事の体制を二重に敷き、動かしていた人間も、姿を消すか、別の人間の取って代わられることとなった。元ボスが仕切っていた体制の人間は、これから半分に減らされていくことになった。少なくない数である。元ボスの考えていた組織、本来意義のある組織だったが、彼の個人的な思惑から、育て上げることも、有効に働かせることも出来ず、他人に手渡したことになる。

[ 写真: 戻ってきた池の鯉。今のところ元気そうだ。池の水は表面は暖かいものの、下の方は水温は低く、鯉への影響は和らいだことになる。 ]