Tuesday, May 13, 2008

[廈門] 四川省のスカイプの友

中国四川省大地震で亡くなられた方々のご冥福を・・・

朝からテレビを開け放している。四川衛星テレビ局は地震関連報道を切れ目なく続けている。中国MSNの主頁には、リアルタイムで亡くなられた方の人数をのせている。当地朝十時現在で9219名が亡くなられたという。地震情報で、アモイに聖火がやってきたニュースは片隅に追いやられていた。四川省のチベット少数民族自治区で地震が発生したことも皮肉だ・・・。

昨夜は日本のネットから地震情報は開けなかった。突然に四川省の首都、成都にスカイプの友のいることを思い出した。開けてみると彼女のスカイプは眠ったままだ。インフラがやられたのだろうか。それでもメッセージを送っておいた。

しばらくするとチャイムが鳴った。彼女からの返信である。この時点、成都では50名が亡くなられていた。返事には「ごしんぱいかけました」「だいじょうぶです」。日本語の本科卒業、地元の会社で働いている彼女、よほど緊張しているのだろう、漢字に変換されていない。続けて「四川はたくさんの人が亡くなりました」「とっても悲しい」。ようやく漢字変換されてきた。真夜中である、心配して、ゆっくり休んでくださいと送ると、「・・・ねるきになれません」。気持ちを抑えて・・・というと、「でもやはりなきたいほど悲しい」。それでも気を取り直したのか、最後には「災害に挑戦しましょう」と逆にエールを送られてしまった。

まだ現地からのビデオは届いていないらしい。ほとんどが昨夜撮影したもの。代わって、blog上に携帯で災害の様を撮影したビデオや写真がどんどんと投稿されてくる。かつて、神戸で起きた被災地に入った友人、当時の携帯にカメラは搭載されていなかったし、バッテリーの持ちも悪く、間もなく通信不能になってしまい心配したものだった。様変わりも激しい。同様なことが聖火リレーでも起きている。さすがに国内で見ることはできないが・・・。

聖火リレー、昨日一日がかりでアモイ本島を走り回っていたようだ。朝方は気にとめていたものの、いつの間にか忘れてしまい、晴れ渡り気温も上昇夏気分、出かける気にならず、夕方、日が落ちて外に出た。いつもの珈琲店に向かうと、今日はやけに人通りが多い。と、若者たち、大きい赤い旗小さいオリンピック旗、胸に国旗のシール、おーそうだった、リレーが終わったのだー。前を歩いていた毛唐の青年に一人の若もの、旗はいらないか、差し上げると囁く。青年、いやいやいいですよ。そのやり取りを見ていたアタシ、彼に微笑むと、青年、掌を小さく開いて見せた。彼、どっちの旗を振りたかったのだろう。

おっと、MSNニュースのリアルタイム死亡数欄が消されている。ちょっとまずったかな。

徐々に現地からのフィルムが放映され始めた。しかし一万人近い死者を出したといわれる震源地からのものはまだない・・・。( 記:08/05/13 11:36am )

[ MEMO: 徐々にテレビで地震の詳細が。しかし震源地周辺の情報で、まだ大惨事が起きていると思われる震源地からのものはない。心配である。 ]

[追記] なぜ震源地からの情報がないのか、GoogleMapであたりを探ってみたらこれこの通り、急峻な山間地である。ここに向かう道も一本しか見当たらない。平地には整備された高速道路が網の目のよう。最大の被害を出した北川チャン族自治区もどうやら都市部から切り離された場所にあるようだ。もしかしたらやはり山間地かもしれない。

[追記-2] 正確な地図を見つけたので修正します。被害の大きかった場所は山間部、少数民族の住む場所。ドイツのメディアがちょっと過激な情報を流していましたが、アタシはちょっと違った印象を受けています。

Saturday, May 10, 2008

[廈門] Cafe Javaromas

三月末、帰国に際し部屋を解約した。一年契約だったが、三カ月前倒しで部屋を出た。おかげで前頭金の一カ月が戻らなかった。日本から戻ってみると、定住場所がないことの浮浪感みたいなものが出てきた。面倒見のいい人妻が単身公寓というサービスアパートメントを用意してくれていた。そして気がつけば一カ月をここで過ごしていた。本来なら台北か上海かに定住の場を移していたはずである。

掃除は部屋代に含まれているし、一応の調理用具もあるし、洗濯機も冷蔵庫も衛星テレビも見れる。30平方米は優にあり、キングサイズのベットだ。一カ月長期滞在で予約すると一日110元、日本円で約1600円。21階、目の前に国際フェリー埠頭が眺められる。足元には24時間営業の小さいが日常必要なものほとんどが手に入るコンビニがある。毎日のようにピンクチラシがドアの隙間に挟まっていることを除けば、便利で居心地のいい場所だ。

居心地はいいが、仕事には向いていない。有線無線のLANありでネット接続に不自由しないが、問題はデスクだ。ソファデスクではすぐに腰が痛くなる。長時間作業には向いていない。何しろ今はオフィスがない。パソコンが唯一のワーキング・ツールだ。結局、歩いて二十分ほど、人造湖脇の珈琲店に長居しながら作業をしている。運動不足と孤独な日常を回避させる有効な手段になった。しかし毎回25元、400円近くが消えていく。

この珈琲店、Cafe Javaromas for Coffee Lover... という。オーストラリア人が開いた。ボスの名はJames。自分の名前をもじって店の名前を付けたそうだ。二年前、アモイに足を踏み入れて間もないころ、ホテル現場の設計顧問に連れて行ってもらったのが始まり。客は毛唐ばかりという当地では風変りな店だった。家から歩いて五分ほどだったし、何より珈琲らしい珈琲を口にできる店が他になかった。休みの日に一人出かけて行ったものだ。しかし今や半分以上が中国人客にとって代わられている。彼らもコーヒーもピザも口にする時代へと変わってきている。

火曜日は「ピザ一枚注文するともう一枚サービスします」の日。昔はこれ目当てに出かけては一枚持ち帰り、翌日の朝食としていた。しかし今はこの日だけは避けることにしている。何しろ、このサービス、皆に知れ渡り、朝から晩まで客でみせがあふれてしまうのだ。落ち着けるものではない。

半年ほど遅れて麗江の若造が仕事場に加わった。麗江に行くまでの半月、アタシの家に居候していた。部屋を提供してもらっているというので、しばしばこの店に出かけ奢ってくれた、のはいいのだが、丁度この店に新人の店員が加わったばかり、かわいらしい子で、麗江の若造、彼女を見るなり「携帯の電話教えて」・・・。こんな調子だから会社の金で女囲ってボスに見つかってしまうのだ。

彼女、今でもこの店で働いている。毛唐客が多い、客と簡単な英語でのやり取りが必要とあってか、店員の質はほかの店よりもよかった。しかし他の店員は辞めてはまた新人が、そしてまた入れ替わり・・・。何しろ仕事がきついらしい。朝の七時に始まり、真夜中一時閉店。それを一交代でこなさなければならない。手にできるお金も千元に達しない。当時からの顔見知りは今ではわずか二人、チームリーダーだけが残っている。

この店は居心地がいい。落ち着くのだ。ゆったりとした椅子と騒がしくない客たち。いつまで粘っても文句ひとつ言わない店員。無線ランは無料だし(このあたりの店は皆LANサービスを用意している)、みなパソコンを持ち込んでいじくっている。バックグラウンドに流れるサウンドは、古き良きポップス。耳に心地よい。一人ボケっとしていると、英語・ドイツ語・伊太利語・西班牙語、亜剌比亜語に聞きなれない東欧系、韓国語に時には日本語すらも聞こえてくる。そしてもちろん中国語に台湾語も。残念なことに、中国人客が増えるにつれ、携帯の呼び出し音と大きな声でのやり取りが耳障りこのうえなくなってしまった。

ボス、オリンピックを目当てに北京に店を出すらしい。いま改装中だそうだ。

[ MEMO: やっぱり気のおけない仲間はネココ以外ない。ウェッブで見つけた酒飲みネココ。もう一枚あったのだが、それは酔いつぶれたネココ。といっても、だらしなく寝込んでいるネココの脇に人間様が飲みほしたビール缶を添わしただけだが・・・それにしてもネココは可愛らしいのだ。 ]

Friday, May 9, 2008

[廈門] jazzy!いや華やかなのだ

この街を歩いていると、若い女性のファッションに目が向いてしまう。おーそこまでやるかー、めちゃくちゃとも思える着重ね、あふれる色、刺繍しまくりのGパン、そして穴だらけ、かつへそから下へ日々下がり、いまや十センチ以上。いやいや華やかかつ大胆なのだ。花不垃圾、[花 hua][不 bu][土+立 la][土+及 ji]。はやり言葉である。当然若者にしかわからない。色とりどりの衣装、小物などの様を指すらしい。中国語の若き教師が教えてくれた。

当初、いやかなり昔から、中国圏の色文化には違和感を持っていたが、住めば都か、いまでは楽しんでいる。台湾で初めて見た廟、驚きの華やかさだった。間違いなくセンスを疑った。それがどうだろう、今では街を行き来する若者たちのファッションを楽しんでいる。そう、お金をかけたポップカルチャーの浸透だ。KTVの歌手は言う、「男性はブランドもの、女性は流行もの」。彼女は黒をベースのはやり衣装を着こなしている。

ここの若い女性に人気なのが韓国発のファッション。ネットショップでかなり手ごろな価格で購入できる。韓国、衣装にしろ携帯電話にしろ、安く華やかな製品を切れ目なく供給している。これはここで商売する上での強みだ。こちらの女性があたしに聞く。「なぜ日本の女性は同じ服しか着ないの?」。彼らにはそう見えるらしい。

街を行き来する女性が目につく理由に、その見栄えの良さがあげられる。夜目遠目笠の内とはいえ、なにしろガタイがいい、歩く様がいい、顔が小さく、腰が細く、足がまっすぐで膝頭が小さい。昔、ロスの空港で車を待つ間、さまざまな人種を観察していると、残念ながら日本人、歩く様が悪い。膝から下で歩いている。ほかの人種は?というと太ももで歩いている。中国人、幼少の時からガッコで正しい歩き方というのを教育されている。見栄えのいい歩き方をだ。その連中がはやりの衣装で動き回れば、いやがおうにも目についてしまう。

ちょっと待て、若造はどうだ。そういえば流行りもの好きな若造、ラップを踏んで歩いているなー。もう一つ、こちらの女性の髪形、ポニーテールである。ひっつめ黒髪にポニーテール、健康だった戦後の米国を思い浮かべる。

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このところ写真を撮っていない。町中の光景やら人やらをと思い、携帯のカメラを開放したまま湖畔の珈琲店のデッキ席に着いた。対応したウェイトレス、カメラレンズカバーが開いているのを目ざとく見つけ、眉間にしわを寄せ、唇をひん曲げた。オット、某大学教授(助教授?)のように濡れ衣を着せられてはたまんない、で以降写真を撮っていない。というわけで、このところ掲載写真は全てネットから借用しております、あしからず。(写真を借用するに際しては、何しろ匿名性の高いものばかり、かつ転載の転載の転載、断りの入れようもないのであります。ご了承ください。)

[ MEMO: あるネットから借用の写真。あるイベントのコンパニオン。かくも華やかな衣装に身を包んでいる。結構アタシは好きなのだ、この色柄の組み合わせ。 ]

Thursday, May 8, 2008

[廈門] 先のことなぞ・・・

二年前、アモイに初めて足を踏み入れた時、元ボスが昼飯に連れて行ってくれた。羊肉面(簡体字で麺は「面」と記す)。出汁の濃厚な味と羊の肉とがよくあった美味な麺であった。八元、路地裏の麺が三元、高級麺である。一年ほどたち、価格は十二元に跳ね上がった。そして今年、さらに三元上乗せされ、十五元にまで高騰した。悪いことに、だし汁は薄味になり、羊肉の風味が薄まっていた。なぜだ、と聞いてみると、客の好みに合わせたという。うそだろー、原価を下げただけだ。

この店に限らず、ここアモイでの物価高騰は激しい。一年で20%ほど上昇したという。それに伴い、公定給与も15%上乗せされた。麺店に限らず、価格を抑えたと思しき場面にしばし行き当たる。先日入った日本料理屋、天ぷらが使い古しの油味、口にできなかった。麗江の若造、腹が減っていたのか、気にもせずほおばっていたが、店を出るや腹を抑えていた。

企業業績も昨年に比して落ち込んでいるという。いや昨年が異常だったのだが、売上の横ばいと下降、一攫千金を目指し、都市へと流れ込む投資は激しい競争にさらされる。しかしここでの業績、粗利が50%というのは当たり前だそうで、なかには100%200%という不動産投資の話も聞く。店を開いても、半年で元が取れなければその事業は失敗、早々と他人に売り渡すことを考える。「金」が読めないアタシにはただただ驚くことばかりである。

学歴社会は歴然としている。それでも大学出がホワイトカラー職に就けるとは限らない。何しろ、一つの総合大学、学生数三万人というのは当たり前、毎年一万人近い社会人が生まれてくるのだから大変だ。受け口は限られている。半年一年の就職浪人もごろごろしている。就職捜しはネット、広大な中国、各地から面接にやってくる。そのための旅費もばかにできない。めでたく就職できても、ひと月働いた後に、ここおれには合わない、別を探す、といって去っていく者の多い。おかげで会社は四六時中人探しに追われている。元いた会社、この面接に幹部が時間を食われていた。「明日の午後はインタビューで・・・」と。その数を自慢する幹部も幹部である。原因がどこにあるかなぞ考えもしない。

大学出がそんな様、高卒は難関である。ほとんどが接客業に。馴染みの珈琲店で働く女性、大半は地方の農村出、小学校を出ただけのお嬢さんもいる。その子が、西洋人客の多いこの店で、巧みに英語で接客している姿を見るとちょっとうれしくなってしまう。大学入試資格を取ったものの、両親の離婚で大学をあきらめた子がいた。西洋人がこれほど出入りする店も珍しい、何か自分に役立つだろうと働き始めたという。しかし結局得るものがなさそうといって店を去ることにした。アタシの傍らにやってきて、携帯に自分の番号を打ち込み、何かあったら連絡ちょうだい、とこともなげに言ってのけた。彼女、ビジネスチャンスを広げたのだ。

誰もが先のことなぞわからずに動いている。今の中国、先を読もうにも読めない。あまりに動きが急激すぎるのだ。あと二三年はこんな状態が続くに違いない。ルールが定まっていない。だから今が面白い。アタシだって明日が読めずにアモイに留まっている。

[ MEMO: 日本から戻り、アタシは今ワンルームマンションを利用したホテルに滞在している。目の前に竣工したばかりの国際埠頭を見下ろし、口に糊のネタを作っている。一日中部屋に閉じこもっていると、どこかの台湾人みたいになってしまいそう。午後は馴染みの珈琲店に出向き作業をしている。長期滞在契約をすれば日本円で月三万円の部屋代。はじめからそうしていれば「金」に縁があったかもしれないと思ったりしている。読めないのだ、先のことが。 ]

Wednesday, May 7, 2008

[廈門] 聖火が町にやってくる

ここアモイで出会う人間が政治を語るのを聞く機会は少ない。興味がないのか、語りたくないのか。それでも「日本人」と「南京」との関係は結構しつっこく問い詰められる。悪意を持っていわれるわけではないが、30万人が・・・といわれると「できるわけないだろー」と言い返している。

オリンピックは政治なのか純スポーツなのか、まあどちらもだろう。東京だってそうだったし、ソウルだってそうだった。ヒットラーは純粋に国策を謳っていた。ここが違うなんてだれも思っていやしない。そもそも夏のオリンピックなぞ興味を持ったことがなかった。今回もそうだ、ったのだが、聖火が香港に到着するや否や、テレビと新聞は今までの苦渋の報道から解放されてか、連日連夜聖火報道でにぎわっている。否が応でも耳にし、目にすることとなった。

ウェブニュースのオリンピック関連記事も華やか極まりない。四月末日が開会式まであと100日ということで、万里の長城は赤い旗と群衆で埋められていた。北京の天安門広場では、ボランティアの若い連中がこぶしを差し出し、[“你我同心”“同一个世界,同一个梦想”](中国語)、「同じ心」「一つの世界、一つの夢」とシュプレヒコールが聞こえてくる。

香港に移る前、韓国ですったもんだした聖火が朝鮮にわたっている。「同じ心」「一つの世界、一つの夢」は、ここで見事に花咲いたらしい。1枚の写真がそう語っている。この「同じ心」「一つの世界、一つの夢」、自由主義社会では勝手が違うのだろう、聖火を見守る沿道には、始終二つの旗が振られていたようだ。割りを食ったのはフランスか。ここアモイにもカルフールがある。カルフール不買運動とデモが不定期に盛り上がっているこの地、それでもアモイはわれ関せずらしい。彼らはお金を愛し、身を飾ることを受け入れている。

ファッションという世界、身を飾ることを売りにしている業界は目ざとい。オリンピックを応援しましょう、私のファッション雑誌は4周年目を迎えました、オリンピック特集を組みました、みなさんお買いになってください・・・。細身の八頭身モデルが種目をシミュレーションして見せてくれている。オリンピックは商売ネタでもあるのだ。彼ら、決してこの機を見逃すことはない。

聖火がアモイにやってくるらしい。今日は確か広州あたり、沿道を真っ赤に染めた中を走り抜けているようだ。そしてアモイ。12日土曜日だという。さあ旗でも振ってみるかー(いや冗談冗談)。

[ MEMO: ウェッブ上のオリンピックの記事の脇には、精神異常の女性が全裸で街を徘徊し警察に保護された写真付きの記事が。町はあまりにも急激に動きすぎているのだろう。アタシがシンさんに送ったメールで、ここでは優しい顔の女性を見る機会が少ないと。 ]

Thursday, April 17, 2008

[廈門] 「忘却」

誰だって今の境遇と比較して厭だった記憶は忘れたいと思う。それでも忘れえない記憶はふとした瞬間に頭をもたげてくる。アタシの元ボスがよく話していた。「年をとっていいことは、嫌な思い出を忘れてしまうことだ。良かったことだけが残っている・・・」。本当だろうか。

かつて、一九七十年前後、中国で一つの内乱がおこっていた。権力闘争であり、引退していたかつての領主は国軍を動かすことができず、代わって「胸いっぱいの情熱、愚かで無知、愚直な忠誠心」をもった年のころ小学生から高校生までの若者を動かした。彼らは「紅衛兵」と呼ばれた。

二十一世紀になり、中国重慶生まれのアーティストが、地元にある紅衛兵の墓を使った作品を世に送り出した。彼の名は田太権、経歴には生れ年を見つけられなかったが、彼の写真から見るに、紅衛兵として内乱に参加していた可能性は高い。

荒れ果てた墓地、彼はここでいまだに彷徨っているだろう紅衛兵の魂を可視化して見せた。墓地を背景に、顔をつぶした若い女性モデルをモンタージュした作品は、暗く、陰惨で、かつ妖艶である。

興味のある方はこちらから探ってみてほしい。

chinese 簡体字 [《遗忘》文革摄影作品背景介绍 ]
http://www.17se.com/archiver/showtopic-488544.aspx

この中に、粥潤某氏の一文がある。《忘却》文革を背景にした作品の紹介 と記されていた。その中から思い入れで一部を訳してみた。

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《忘却》文革を撮影した作品の背景の紹介:

《忘却》シリーズは全国唯一の紅衛兵の墓碑を用いて創作された。

紅衛兵の墓碑群は重慶市の公園内にあり、文革期の闘争で亡くなったかれらの墓がある。保存状態のいい墓は中国でわずか一か所、ここだけである 

113基の墓には、1967年~1968年、重慶の武闘(武力闘争)で亡くなった約500名、重慶815派の紅衛兵戦死者が弔われている。死亡者の年齢は14歳から60歳である。

四十年近くたった今、経歴者はこのときの記憶を少しずつ忘れ、若い世代は更にこの当時のことは分からずにいる。紅衛兵という過去は、ゆっくりと忘れさられようとしている……

文革期、紅衛兵の総計は1億人を上回った。1億の紅衛兵の歴史は忘れさられようとしている。このことは哀われで嘆かわしいことである!

かつて胸いっぱいの情熱、愚かで無知なため、愚直な忠誠心のため、命をかけて守るため死んでいった紅衛兵は、ただ1つの幻の夢のようだ。今ではまったく存在しない出来事になってしまった......

しかし、身をかけた闘争の末死んでいった五百人余りの紅衛兵の墓(重慶の1つの流派だけで)、数十基の薄暗くて不気味に林立する墓碑は、荒れ果てる中に身を置いている。立ち並ぶ墓碑には死人の名が刻まれている。耳にしたことのない、血生臭さい臭いを嗅ぐことができる。まるで彼らの、遊離した、冤罪で死んだ人の魂がどこにも訴えられず埋葬されたかのように。

私は《忘却》が一時の出来事であることを望む。歴史を正視しさえすれば、このような悲劇は二度と起こり得ないだろう。


田太権の略歴:

重慶人
四川美術学院デザイン科パッケージデザイン(本科)卒業 文学学士

主な作品展
2005年 ”此岸到彼岸”展
2005年 ”芸術で世界はより美しく”(上海)
2005年 ”裂”シリーズマカオ芸術博物館収蔵
2006年 ”異常感覚”作品展(重慶)
2006年  現代芸術展出品(深セン)
2006年 ”忘却”作品展(深セン)
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・超意訳です。この機を利用し、田太権氏の作品集を探してみることにする。(080527一部修正)

[ MEMO: はじめて彼の写真を目にしたのは昨年半ばごろだったと思う。その時は一部の写真のみ公開されていた模様。その当時目にしたものには、半裸の女性モデル体の一部に修正が施されていた。 ]

Sunday, April 13, 2008

[廈門] 「マッチ売りの少女」

アタシは、一年数か月ぶりの母国で、これまでになかったように動き回ってきた。国に戻ると、国はあれやこれやと日本人としての義務を果たしなさいと囁いていた。例として、運転免許証の期限が切れていた。しかし、住民票がなければ運転免許証の更新はできない。アタシは日本に住所がなくなっていたのだ。そこで届の手続きをしてきた。前の住まいは「中国」である。

異動届を役所に提出すると、健康保険証がもらえることになるが、同時に支払い義務が発生する。健康保険証がなければ、高額医療保障はしてもらえない。で、安心のため、健康保険に再加入したいと役所に聞いてみる。窓口の男性は、「あなたはすぐに長期間海外に出かけるのですよね、ならば加入の必要はありません、保険料の支払い義務もなくなります」。

つまり日本にいない人間には日本政府は面倒は見ませんよ、と言っているのだ。あたしは帰国前日、役所に出かけて行き、免許証取得のために異動届を出したばかりだが、再度異動届を出してきた。異動先は「中国」である。

戻った「中国」、最初に目にしたあるブログの三面記事に驚愕した。劇作家別役実の「マッチ売りの少女」みたいな出来事が組写真で紹介されていたからだ。ある都市のある廃墟の裏庭、日中暇を持て余している老人相手に、若い女性二人、一人一元でジーパンの中をのぞかせているのだ。この記事をしたためた人間、地元の新聞社に電話を入れ、取材しないのかと問うも、その手は記事にできないと断られたので、とコメントを入れている。

ブログの読者からは、「やらせでないの?」というコメントも。確かに写真が鮮明すぎる。それでも迫力十分である。読者の中には「心が痛み涙がこみ上げる」という一文もあった。たとえやらせが一部にあったとしても、このような出来事がまだ残っていることをアタシは否定できない。なぜなら、アモイにやってくる多くの出稼ぎ労働者の中には、信じられないような額で、現場労働者がたむろする一角で、春を売っていると聞いているからだ。

アタシは農民の苦労、苦悩、貧困について知らない。一時期には、このような出来事もあったに違いない。でなければ別役実は本にできなかったのではないかと思う。たとえそれがスカートの中のマッチ一本の瞬時の出来事(別役実「マッチ売りの少女」)でなくても。アタシは、この記事を紹介すべきかすべきでないか、しばらく考えていた。しかし現実である。多くの人間が見捨てている現実である。目を向けようとしない現実である。そしてこれは中国だけの現実でなく、われわれ皆が目をそむけてきた現実であるのだ、と考えた。

中国のブログは自由に投稿ができる。ひとりの意見一つの意見も取り上げられる。国体にかかわること以外ならばほぼ許されている。その結果、社会面、つまり三面記事には驚くような出来事が写真入りで紹介される。薬で朦朧とした半裸の女性が高層マンションのテラスから飛び出し、宙ずりになったままの写真。やはり高層ビルから飛び降り自殺を図った少女の連続写真。足の指を猫にかみちぎられた幼児の患部の写真、などなど残酷すぎて目をそむけたくなるものも多い。

日本では靖国神社を訪れ、遊就館の展示に国体維持は絶対だという歴史観を教えられた。本来ならそのことを記事にしたかったのだが、中国で重い現実を見せつけられてしまった。

[ MEMO: 写真は全部で15枚の組図でできていた。一枚づつに撮影者のコメントが載せられていた。赤いセーターの女性のほかにもう一人の女性と、手配師の三人組でこの商売は行われたらしい。 ]