Tuesday, August 8, 2006

[廈門通信] 踊る小劇場

[廈門・62日目] 踊る小劇場

私はボスの椅子を借りて仕事をしている。新組織と新事務所がまだ整っていないからだ。ボスはCMの長として現場を仕切っている。ボスの椅子から、緊張した仕事のやり取りを眺めている。彼の言葉を借りていえば、ここでは物事の決定は全て面と面を会わせ、激論を交わせながら決まっていくという。書類らしい書類を私は見たことがない。これでよく仕事が進んでいると思う。

ボスの事務室を私は小劇場の舞台と呼んでいる。観客は一人、私だ。舞台の主演はボス。共演者は日替わりで、時間ごとに入れ替わる。ボスは遅れる仕事を叱咤激励しているのだが、どうみても共演者をののしっているとしか思えない。実際、半分以上は怒鳴りつけている、と本人はいっている。諭すなぞおこがましいという。

つい最近、ボスは私に「今私は中国学を学んでいる。ほぼ中国人を理解できるまでになった。」と話してくれた。どんな本を読んでいるのか、と聞いたところ、ボスは小劇場、彼の事務室から学んだという。狡獪な人間を相手に商売を進めていかざるをえない世界なのだと。彼らを怒鳴りつけながら、中国人のものの見方と考え方を探っていったという。商売人の鋭い感覚が彼らの頭脳に入り込んでいったのだ。

[ボスの事務室の内部を私の席から眺める。このデスクを舞台に中国学が演じられ、激しい罵声がただ一人の観客の私の耳を打つ。]

Monday, August 7, 2006

[廈門通信] 真夏のテニスコート

[廈門・61日目] 真夏のテニスコート

日曜日。昼近くまでごろごろと寝たり起きたり。昨日の風邪はほぼ回復した気分。夕方、厨房の窓越しに向かいのマンションでテニスをしている光景を目撃しました。

こちらに移り住んでから始めてみます。廈門の激しい湿気と暑さの中、誰も外に出てまで運動をする気にはなれなかったのでしょう。昨日、しのぎやすい暑さだったからか、夏ばて解消のためか、スポーツウェアのご婦人二人、体を動かしています。しかしよく見てみると、テニスではなくバトミントン。バトミントンの羽がゆっくりと空中を動いているのがわかります。

そういえば、私、ほとんど運動らしい運動をしていない。秋になったらなぞ思いを巡らしていたら、友人の言葉を思い出しました。ここの夏は十月半ばまで続くと。南なんですね。北回帰線のすぐ近くですし。

日本ではお盆が近い。愛娘に母親の墓参りを頼まなくては・・・。

Sunday, August 6, 2006

[廈門通信] 言語障害になる

[廈門・60日目] 言語障害になる
「おしになる」と打ち込んで変換したところ、「言語障害になる」になってしまった。啞(口+亞)は差別用語なのですか?いやだなー。今日は私が啞(口+亞)になりかかったお話を。

中国語をマスターしなさいという指令はありがたい。この機を利用して中国大陸で使われている簡単字(簡体)も読み書きできるようにしてしまおうと考えている。中国語の教師は会社公認ですから、公務以外公用車に搭乗できない秘書を傍らに帰宅してしまったりする。運転手と三人、気軽に話もできる。そんなときは会話がすすむ。

私のボスはビジネスにたけていて、なおかつ教育者でもある。家庭の理由で芸術家になれなかった自分の姿を私に投影してみたりしている。結構私には甘い。私を手間のかかる「連れ子」 (拖油瓶) [tuo1 you2 ping2] だといいながら、いろいろ面倒を見てくれる。ありがたいことだ。ときに私の不十分な会話を補ってくれるつもりで、正しい中国語を教えてくれる。これが私にはプレッシャーになったりする。そうするとわたしは口をもぐもぐ、手だけを動いかしていたりする。言語障害におちいってしまう。

この件をボスに話したところ、彼自身の体験を語ってくれた。幼少期の忘れることのできない記憶だろう。

彼は台湾人。蒋介石が台湾に逃げ込み、国民党政府を樹立するまで、日本語はかなりの人たちに話されていたという。ごく日常の風景だったそうだ。ボスもその一人、日本語は話せても台湾語は話せなかった。ところが、国民党政府の樹立とともに、公用語は中国語に。子供たちの間でも「時代は変わった!」と、日本語しか話せないボスを「シカ!」(「四つ足」 「イヌ」台湾での日本人に対する蔑視用語)といじめられたという。しばらくして、ボスは言葉を口にできなくなった。つまり後天性の啞(口+亞)になったのだ。彼が口を開くようになったのはなんと二年後のこと。と同時に一切日本語が話せなくなっていたという。流暢に使えた日本語が消えてしまった。これを聞いて私は少なからず衝撃を受けた。差別され続けられた間、彼の頭脳は日本語を忘れ去ることに集中していたのだ。

ボスはこよなく日本を、日本の文化を愛している。そして消え去った日本語のことを残念に思っていると話してくれた。

[写真は麗江の騎馬場で麗江馬を調教しているシーン。小柄な馬とはいえ、蹄が立てる音といい、荒々しい息づかいといい、さすが競走馬、気分をかき立ててくれます。]

Saturday, August 5, 2006

[廈門・59日目] 満族自治県・雑然として・・・

[廈門・59日目] 満族自治県・雑然として・・・
場面は変わって満族自治県、瀋陽から車で三時間半、丹東からは二時間はかかるでしょう。鉄道なし、高速道路で結ばれているわけでもない小都市、風景は雑然としていました。道路にゴミが散らかり、夏というのに緑は極端に少ない。ホコリのたつ道路、馬路を走る車は土埃を被っていました。それに反してご婦人の服装は着飾れていて遠くからも目につきます。綺麗に整えられた眉、唇になぞられた濃い口紅。

こちらに来て、いくつかの都市を見てきましたが、廈門の路上でゴミを目にすることは少ない。ゴミを捨てていないのではなく、棄ててもすぐに清掃員がゴミ袋を片手にやってきて拾い上げる。歩いてくる場合もあり、電動バイクの時もあり、少し大きなゴミでも処分できるよう電動三輪車もやってくる。廈門は特別区なのです。

満族自治県、一見して貧しさを感じます。特別な産業があるわけでもない地方の一都市にすぎません。堂々とカメラを向ける勇気がでませんでした。写真で紹介することもできません。

[中文上課] 昨日、体調不良、仕事も集中できない。blogの更新もできない。中国語の授業も宿題も中途半端なまま受けます。老師に了解をえ、気軽な会話に切り替えてもらいました。切り替えたのはいいのですが、本当の雑談になってしまった。過年(旧正月)の紅包 [hong2 bao1] (お年玉)の要求まででくる始末でした。ジジと孫娘の授業風景です。

Thursday, August 3, 2006

[廈門通信] 麗江・雪山


[廈門・57日目] 麗江・雪山
再び麗江。麗江といえば麗江古城と雪山。大草原の盆地を一気に上り詰める壮大な雪山。2400メートルの草原から5400メートルを駆け上がる。麗江古城の一番高いところからほぼ真北に望む光景は至る所で紹介されています。残念ながら、私が訪れたときは雲がかかっていました。同行した建築家が、早朝に散歩に出た一瞬、雲が切れてみることができたそうです。

雪山は麗江古城とともにこの地の売り物。市内をでると、北に向かって大通りが走り、行けども行けども雪山が正面に眺められる。写真で紹介した本の題目には、「不遠不近」 (bu4 yuan3 bu4 jin4) 「近からず、遠からず」とあります。平原の端、山の端の始まりまでくると雪山が目の前に迫ります。すぐ近くに山の頂が見えそうです。しかしそこまではきっと遠いのでしょうね。確かに迫力あり、雲の切れるのを待ちますが、最後まで全貌をあらをすことはありませんでした。見る価値ありです。見たいですね、頂を。

[中文上課] コブタ教師の中文授業、新しい課にはいる際、はじめにコブタ教師が一読してくれます。それを携帯電話のビデオに録画、時間があればイヤフォーンを耳に予習をしています。このビデオの一部をメール仲間に紹介したところ評判がいい。「おっ、かわゆいではないか!」。コブタですからかわゆいのです。

Wednesday, August 2, 2006

[廈門通信] 逆光

[廈門・56日目] 逆光
現在、仕事場は建設中のホテルの地下一階、駐車場の一角を仕切ったところにあります。開店間近で仕切が増え、ガラスが入り、かつてのように自然換気ができなくなっています。おかげで部屋の空気が淀み、息苦しい。煙草を吸いにでることを装って外気に直接触れられる場所にちょくちょく出て行きます。高温多湿とはいえ、海辺の都市らしく風が心地よい。なんといっても夏を直接肌で直接感じられます。やはり自然の感触はいい。

地下の事務所を出たところはまだ通電されていません。仮説電源を使ったハロゲン灯がまぶしい。ここを通り過ぎると大理石が床壁に貼られた会議室へと光景が一変します。その分、この地下通路が独特な雰囲気を醸し出しています。映画に出てくるような場面です。

[中国語の授業] 我が愛するコブタ秘書による中国語の授業、コブタ老師、今日は優しかったのです。昨夜遅くまで予習をした成果が出ました。食事を終え、一寸仮眠をとり、真夜中に教科書を開きました。するべき事を終えるまで我慢したところ、床につけたのは二時過ぎでした。それでなくても昼間の暑さに参っているのです、疲れますねー。

Tuesday, August 1, 2006

[廈門通信] 時には和みますか・・・

[廈門・55日目] 時には和みますか・・・
六時起床、食事をとりシャワーを浴び、八時に車がくるのを待ちます。朝のひとときは余裕をとって行動しているので、落ち着いて出かけることができます。

一般職員は八時半出勤、五時半退勤らしい。役員は結構自由なのですが、帰宅はやはり一般職員より遅い。現場管理の人間はもっとキツイ。あと一ヶ月と押し迫ったホテルの開業で、真夜中まで居残って現場を見ているといいます。四川省からやってきているジジなぞ、早朝六時にでてきて夜の十一時までがんばっています。真夏の厳しい暑さの中、現場に出ている人間は汗で服を濡らして戻ってきます。

で、和みましょう。麗江と満族自治県で見つけたネココ。麗江のネコは騎馬場脇の休憩場で、ベンチでのびのびしていました。なぜなぜすると砂だらけでした。きっと騎馬場から持ち込んだのでしょう。満族自治県のネコは、以前紹介した満族古城テーマパークで、糸を紡ぐ実演をしているバーさんの脇にちょこんとしていました。屈託のない顔がかわいらしい。和みました。