Sunday, July 9, 2006

[廈門通信] 日曜日は頭の洗濯を

[廈門・32日目] 日曜日は頭の洗濯を
私の秘書は韓流に乗っています。詳しい。で、話が合います。時々片言の韓国語を口にしたりします。舌っ足らずな語り口で「ミヤネー」(ごめんなさい)なぞいいます。これがいい。私が喜ぶのを見て「アンニョ?」(何ですか?どうしたんですか?)。二人して何してんですかね。

私が知っている韓国の俳優の中国語名を書いてもらいました。なかなか言い当てられません。中国語の発音からは想像できない。特に名前の二文字目。もしかしたら意識的に変えているのかもしれません。

韓流の師匠と先輩のネエさんにこの写真を送ったところ、ネエさん、見事に答えてくれました。

>ネエさんの答え:
>当然、ビョンビョン   李炳憲 Lee byeng-hun (I Pyeong-Heon)
>ヨン様   裵勇俊    Pae Yong-Jun
>ジウ姫   崔志宇   Choe Ji-U
>コブタちゃん(漢字ナシ)   Song Hye-Kyo
>でしょでしょ! ピンポンピンポ~ン!
>漢字表記ずいぶん変わっちゃうんですね。発音も。

今日は日曜日、呼び出しはありません。ゆっくりと目の前の超高層ホテルを眺めながら記事をしたためています。

Saturday, July 8, 2006

[厦門通信] 結構やるではないですか!

[廈門・31日目] 事務所が現場事務所の一角にあることはお話ししました。ここはでかいホテルの現場です。台湾の有名建築家が設計したもので、オーナーの考えによって長い間あれこれいじくり回され、オフィスの計画が最終的にホテルに変わったのです。

某建築家にしてはアクがない、すっきりしている、合理的に見える、などなど結構やるのです。ロの字型の平面、中庭の床には一面に大理石が張られている。上部はガラス天井で覆われています。さぞかし音が反射してうるさいと思いきや、中庭に面した壁には消音パネルが貼られている。なかなかモダンに見えます。某建築家が宗教に走って、奇っ怪な作品を作り続けていることを考えると、きっと若い連中が手をつけたに違いないと踏んでいます。

オープニングを間近に控え、仕事場には大声と罵声とが入り交じっています。私は最上階に登り、我関せずと中庭の大理石の貼り具合を見ておりました。

来週は麗江と満州の敷地を見に行く予定です。麗江は世界遺産に指定された町ですので楽しみですし、満州では満州族の農民にあっていろいろな話を聞いてみたい。でも北は一寸気になります、日本人ですから。

Friday, July 7, 2006

[厦門通信] 洗濯なぞは・・・

[廈門・30日目]  日常生活の一切を自分で片付けること、海外に出れば厄介な日常が待ち受けます。炊事・洗濯・掃除などなど。お金さえ出せばすべて他人任せにできることです。特にこちらでは。兌換のレート以上の実勢があります。都市部でも日本との生活差は8倍、一歩外に出ればそれ以上、こころしています。

とはいえ、広い部屋に一人、掃除する部分が大きい、一週間に一度するとしても厄介。部屋の床の大部分が白い大理石です。ゴミが目立つ。結局事務所の掃除をしている人にお願いしました。週一回、約三時間、〆て40元、日本円で600円弱でしょうか。

朝食は定番になってしまいました。食パン二枚、卵焼き、卵は二つ、トマトとキャベツとキュウリのサラダ、それにオレンジジュース。食パンにはマーガリンに蜂蜜か黒ごまのペースト。昼は事務所の向かいにある、家具センターのレストランに出かけることが多いのです。セルフでⅣ元50、単品を注文することもできます。スープを加え、二三人、一人あたり約20元になります。一度事務所で弁当を頼んでみましたが、すーごく美味しくない!のですぐにやめました。夜は前に紹介したように、総菜を買ってくることが多い。

洗濯物の大部分は備え付けの洗濯機を動かします。クリーニング屋に出すものは少ない、普段着がGパンにポロシャツ、Tシャツ姿。それでもYシャツや、ごくごくたまに着る背広は外に頼みます。Yシャツが一着5元。畳んでくれと頼めば畳んで、吊してといえば吊してと注文に応じてくれます。[写真はクリーニング屋の引換書です]

まあ、考えてみれば日本の単身サラリーマンと同じですね。さっぱりです。

Thursday, July 6, 2006

[厦門通信] 仲間たち

[廈門・29日目] 少しづつ、そしてゆっくりと仕事のメンバーが揃いつつあります。仕事場はまだ現場の一角、地下駐車場の一角を区切っただけの、設備配管が露出した、殺風景な風景の中にあります。

私はボスの部屋のボスの机を借り受けて仕事をしています。仕事場全体が見渡せる、奥の奥から騒がしいなかで毎日を過ごしているのです。

ここでの仲間たちのプロフィールを紹介しましょう。
最初の写真は私のボス、台湾時代にお世話になった方です。二枚目の写真は以前ボスのところで働いていた方、台湾人で上海で仕事をし、寧波(廈門の北、上海の東に位置した都市)に居を構えています。二人とも以前から面識のある人たちです。
三枚目には私の秘書(まあ秘書といっても雑用係みたいなもので、少し日本語ができるという程度、外国映画みたいな光景は想像しないでください)と、特別顧問の方が映っています。私の書いた原稿を中文に翻訳したのを添削していただいているところです。この顧問、なんと二十数年ぶりに再会した方です。初めて台湾仕事をしたとき一緒に釜の飯を突っついた方なのです。長年ここで顧問をされてきたと話してくれました。奇遇でしたね。引退も考えず働いておいででした。

Wednesday, July 5, 2006

[厦門通信] そういえばバイクが走ってない

[廈門・28日目] 言われるまで気がつかなかったのですが、ここ廈門本島にはバイクが走っていないのです。代わりに電動バイクが走っています。そう、環境保護のための処置です。あのバイクの騒音も臭いも危険な走行も見当たりません。おとなしく、しなやかに、溢れる車の間を縫って走行しています。でも重そうだったな、動きが。

京都議定書に調印していない中国政府、意外に環境に配慮していたことに驚かされました。いや、廈門だけのことかもしれませんが。写真は仕事場として使われている現場の片隅に並べられていた自転車の中からピックアップしたものです。

Sunday, July 2, 2006

[厦門通信] こちらではすべてが突然に

[廈門・25日目] 星期天、今日は日曜日です。遅くまで寝ていられる日なのです。普段は六時起床、八時に車が来ます。その間に洗濯、食事、シャワーを浴びてフロアの階段室にゴミを出し、上斑、八時半に出勤という手順です。

昨夜は久しぶりに遅寝、W杯イングランドVSポルトガル戦を看ました。日本・オーストラリア戦以来の観戦です。イングランド・ルーニーがやってしまいましたね。レッドカード、一発退場。やっぱりでしたか。PK戦終了と同時に床についてすぐに寝込んでしまいました。

携帯電話が鳴って目が醒めます。時間をみると十時、呼び出しです。会長がこれこれの資料がほしいと、サンフランシスコから指令が来たというのです。会社のトップって我が儘なんですねー。一日遅れてもどうということのない内容ですよ。それでも二時間余裕をもらって出かけました。資料はすでに用意してありましたので、打ち合わせは至極スムーズにゆき、無事解放されました。朝食抜きの日曜日でした。

電気ケトルの調子が悪い、サーモスタットが突然効かなくなりました。一生懸命蒸気を噴いてしまいます。熱くて触れません。買って四日目頃からです。見かけはなかなかいい、よくできている、安い。使うとすぐにボロの出るのがらしいですね。120Vから240Vで沸かしますので、一瞬にして沸いてしまう。力強い、しかしもろい。らしいのです。

Saturday, July 1, 2006

[厦門通信] 突然に石工工場

[廈門・24日目] 先日お話しした、発注した石の彫刻ができあがったというので出かけたときの話です。廈門から車で海岸沿いを北に約1時間半、石の彫刻で飾られた町に連れて行かれました。

恵安という石の産地で、生業は石の加工。高速道路を降り、だだっ広い道路を海岸に向かったところにあります。当日は快晴、雲一つ無い。海風が気持ちいいのです。同行した人は大の暑さ嫌い、待ち合わせの時間にも車から降りようとしません。薄暗い事務所よりどんなにか爽快だというのにです。

石工工場で制作中の作品を確認し、手直し部分を指摘し、工場の人間からどうせならここの記念公園を訪れてはといわれ、接待が始まります。

この公園、崇武古城と名付けられています。泉州湾の北岸、台湾本島に一番近い場所だそうです。我々一行、八人乗りのカートに乗って城跡を巡っていきました。運転手とガイドがつきます。二人とも女性。変わった衣装を身にまとっています。黒のパンツ、派手な模様で飾られた、身にぴったりの短い上着、重くこれも鮮やかな刺繍の入った帽子が目を引きました。

この女性たち、恵安女といわれ、働き者として有名で、朝から晩まで黙々と動き回る。実際、道路脇で肉体労働に従事していた姿も目にしました。結婚すると短い上着がさらに短くなり、ヘソ出しになる、そんなことでも有名とか。我々についたガイド、とてもかわゆい。残念ながら結婚していないのでおへそは見られませんでした。腰には銀線のベルトが、肩からポシェットが。帽子は日よけのほかに、帽子の裏に貴重品を隠しておくポケット縫いつけられ、最も大切な人の写真もピンナップされるそうです。彼女の場合、自分の写真がとめられていました。

この辺り、明の時代、日本の海賊が荒らし回ったとか、記憶の定かではない私は、彼女にここの教科書おかしいよと反論したりしました。そんな日本人を、彼女、別れ際に笑顔と手を振って答えてくれたのです。日中友好。ニコニコ。