・このブログから当地関連記事が少なくなった。書けることがないわけではない。ただその話昔記事にしたよね、今年と違いはないよね、という感に近い。なぜか。これほど大きな国土と人口を抱えながら、考え方や行動様式がモノラルに近い。華やかな出来事は多いが、どれも統制のうちにある。正しいことはひとつであり、もうひとつの正しいことが聞こえてこない、見えてこない。ここで生活していているうちに、アタシもその一部になっている。
・金儲けの話は出ても、文化的な話は登場してこない。アタシが好きなポップカルチャーはここでは味わえない。仕方がない、頭の中の引き出しを覗いて消し去られないよう、自分自身のために思い出しては書き留めている。話題がそっちに振られるのはそのためだ。
・時にこの地にあって新鮮な発見があったりもする。それがアラブがらみだったのが不思議だ。Ishtarの場合、フラメンコでありアラビックでありポップミュージックである。伝統的なアラビック・ミュージックではない。それと彼女はスペイン・モロッコ・エジプト・イスラエルというマルチ民族、文化の混血、多民族で多言語、彼女はヘブライ語・アラビア語・スペイン語・フランス語・英語を話し歌うという。ひとつの正義では成り立てない立場にある。しかしここアモイにはそのかけらもない。55民族がひとつの世界、One-Worldを形成していても、祭典では漢民族が55民族を代表して演技する。
・Ishtarが歌って踊る「Baby one more time」のビデオ・クリップを見つけた。世間を騒がせているBritney Spearsのヒット曲のカバーだ。米語の、ビートを利かせたポップスは、Ishtarにかかると、大人の、そしてもうひとつの曲へとかわっていた。
[081022追記] とんでもない間違いである。この元歌はAmr Diabというエジプトの人気男性歌手が歌う"TAMALLY MAAK"というアラビック・ミュージックだった。記事によってはダンスミュージックとか、イスラエルの曲だとかいろいろあるも、正確にはわからない。いやいや、変なところでもうひとつの正しいことが判明してしまった。もちろんだからといってIshtarの魅力が消されるかというと、そんなことは決してない。
・この地では、パンダの目は黒目であり、「カンフー・パンダ」のように決して緑色であってはいけないのだ。
[ MEMO: 飽きずにIshtarの話題が続きますがご勘弁を。Ishtar "one more time" をみて、彼女、すげーでかいのがわかった。周りのベリーダンサー達は素足とはいえ子供のようだ。 ]
1 comment:
Good good good......
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