Tuesday, January 11, 2005
「体育館の観客席」ーサイゴンの現代建築 十年後記
久しぶりに「東アジアフォトインベントリー」をお届けします。なんと十四年も前の記事ですから、ベトナムの現在とは大きく異なっていることでしょう。あれ から一度も出かけていません。東アジアや東南アジア、日本では一通り順繰りにそれらの国々が流行の一端を担ってきました。食い物・家具や調度品・カラース キームや衣服などなど。恐るべき消費能力を日本は持っていると感じました。消費しては次へ、そしてまた次へ。ともかく十四年前を感じてみてください・・・ [写真:体育館の巧みな通風と採光の処理] photo:(C)Eiji KITADA
十年後記 2001年8月26日
ツアーガイドの仕事は面白そうだ。我々がベトナムの建築家や作品を見たいと希望すると、即、実現させてくれた。日本語を操れないガイドだから駄目といえ ば、即、日本に出稼ぎに来たことのある若者に代えてきた。上海で魯迅の旧居を取材していたときもそうだ。旧居を虱潰しに実測していると、管理事務所からク レームが来た。魯迅生誕100年に向けた映画用に寸法を測っているのではないのか?という。取材拒否である。で、上海のガイドは自分の家に案内してくれ た。戦前の植民地時代のアパートにちがいないのだからいかがですか?で、ご馳走になって戻ってきたこともある。
ツアーガイドが面白そうだというのは、職業柄誰にでもコンタクトを取って、どこにでも入り込んで、これこれこういう人からこれこれの希望があるので是 非・・・、東アジアをノーコンで取材もある身にはうらやましい限りである。自分では結構、取材はいい線いっていると思っているのだが、それでも限界はあ る。ツアーガイドへの希望も、我々のような紳士的な要望だけではないだろうから、ガイドもしたたかになっている。
中国経由で冬の北朝鮮を訪れた際には、大雪で旅客機が欠航、北京に足止めを食らった。女性のガイドは、航空会社が指定したホテルの宿泊費を請求してきた。 わたしは彼女立ち会いのもと、日本側の旅行会社にコレクトコールを入れ、支払いを拒否した。日本と北京であれこれ話をしていたが、結局彼女は要求を取り下 げた。
そのうち、大人数のツアーを仕込むのも疲れてきたので、少人数で動くようになり、ガイドさんとのつき合いもなくなってしまった。それ以降は必要に応じて現場調達。また別のおもしろさを味わうことが出きるようになった。
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