Tuesday, September 6, 2011

台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民


「賽徳克・巴萊 / Seedic Bale」が間もなく封切られる。霧社事件を描いたアクション映画だと監督は語っている。私の興味はここに登場する一人の男・馬志翔。彼は賽徳克族屯巴拉社部落道澤群の頭目、鐵木・瓦力斯(ティエム・ワリス)を演じている。

馬志翔 [mǎ zhì xiáng] [ㄇㄚˇ ㄓˋ ㄒㄧㄤˊ] は台湾原住民の俳優で脚本家で演出家。彼の演技をはじめて見たのは昨年秋、再再再・・・放映された2003年の作品「風中緋櫻・霧社事件」というテレビ連続ドラマ。なかで日本政府台湾総督府により優良蕃童として育て上げられた賽徳克族の青年・花岡一郎を演じていた。個性的な容貌とどこか遠くを見続けているような視線が印象的で、以降注目するようになった。

[馬志翔]
彼は賽德克族の父親と、阿美族の母親のあいだに1978年花蓮懸玉里鎮で生まれた34歳。自身インディーズ系のプロダクション「影一製作所 - One Production Film」をもっている。

先日テレビをオンにすると、馬志翔との対談番組が始まろうとしていた。「新聞不挿電」、なんと訳したらいいのだろう、「ニュースに挿し込まれないニュース」、英文では「LAWA news」。LAWAは司会者拉娃・谷辛、泰雅族の出。二年前の再放送番組だった。
馬志翔と原住民に関する興味深い内容だったので紹介したいが、私のヒアリング能力と記憶力に限界があるので、どこまで正確に伝えられるかはわからない。まずはご理解の上読んでいただきたい。

番組の司会者の拉娃・谷辛は、歯に衣を着せず、しらっと厄介な質問を彼に向けていた。それを受ける馬志翔ははじめ、シャイで、話すことが苦手らしく言葉が続かず、舌打ちをしながら答えていたものの、対談の最後に話題が女性関係について聞かれた頃には、「それ、結婚のこと?次の機会、次の機会、次回ね」と交すまで口は滑らかになっていた。

対談が始まると直ぐ、司会者は「歌えないそうで・・・踊りも苦手とか・・・」。原住民のウリは歌と踊りと決まっている。それが苦手だと答える。それに「アイドル(偶像)といわれるのも興味ないっす」という。「だけど、俺、脚本書くし、(映画を)撮れるし。原住民だけどそれができる」と続ける。この自負はどこから来たのだろう・・・
(但しWikipedia Taiwan には、趣味:唱歌、専門:ギターとある・・・)

彼は中学時代父親を交通事故で亡くしている。その後台北・屏東・台北と都会を渡り歩きながら教育を受けている。本人は原住民という自覚はなく、”現代人”と自らを語っている。都市原住民として差別のない世界にいるんだという感覚だったのだろう。家庭でも、校長だった父親は子供が原住民らしく振舞うことを許さなかったという。しかし、その父親の死後、遺品の中にたくさんの原住民に関する資料を見つけ、それについて自らを問いはじめる。

原住民でありながら原住民族としての生活を送っていなかったゆえ、母語は話せなかった。当然風習習慣など縁がなかっただろう。仕事が忙しい母親に代わっておばーちゃんに預けられたときには会話に苦労している。おばーちゃんは原住民の言葉と日本語しかわからなかった。馬志翔が話せたのは国語と台湾語。歌も歌えず踊りもできずそのうえ母語も話せない原住民。「溝通」(コミュニケーション)のとれない、それが馬志翔だった。アイデンティティーを持たない、感じない原住民。現在台湾各地の都市原住民に多く見られる姿だ。

[李烈]
番組の中、彼は自分をここまで育ててくれた人たちに感謝を表している。女でひとつ大学にまで通わせてくれた母親、国民学校の女性教師、そして彼を映画人として成功させるための絶大な支援者で馬志翔の影一製作所 - One Production Filmの負責人で辣腕プロデューサーの李烈を挙げている。李烈は《亜細亜的孤児》などコメント性の強い歌で知られているシンガーソングライター・羅大佑の長年の伴侶であり前妻。本人は女優として《網路情書》で最優秀女優賞獲得、以降《艋舺》など多くの優れた作品をプロデュースしている。その李烈が番組で曰く、馬志翔には「幽黙感」(ユーモア感)がない、原住民は陽気でユーモアあふれているのに何故?と彼を評していた。

まったくもって原住民らしくない原住民の馬志翔の答えはこうだ。「・・・確かにそうだ。でも俺はそれを映画の中で表現している・・・」。

そんな彼が、自分が原住民であることを自覚するようになったのは二十二・三歳ごろだったという。しかしその理由については明確な答をもらっていない。ただ一言、「自覚するようになった」。

その後、彼は台北と実家のある花蓮の間を「回歸」(ルーツを求めて)、そして母語を原住民文化を学び始める。もともと好きだった脚本づくりをコツコツと始める。原住民としての自分を表現するために・・・

[ 次に続く・・・ ]

[ 馬志翔関連記事 ]
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち
http://east-asia.blogspot.com/2010/10/blog-post_31.html
花岡両名の遺書
http://east-asia.blogspot.com/2010/11/ok.html
雑記 - 馬志翔演出の"飄搖的竹林"のことなど
http://east-asia.blogspot.com/2010/11/ok.html
映画 ”飄搖的竹林” - 土地を失った原住民族の悲哀
http://east-asia.blogspot.com/2011/06/blog-post.html

Sunday, August 21, 2011

[台北] Buddha Bar - リンク切れの書き換え

ある方からブログに記載したリンクが切れていますよ、とお知らせをいただいた。ほぼ三年ほど前、ブログで紹介したBuddha Barレーベルの曲のことらしい。ポチポチしてみると半数以上が繋がらない。Youtube曰く、アカウントが停止されたので云々・・・、ブロックされましたので云々・・・。三年というあいだにYoutubeもHDに対応させたりしたので、再アップでアドレスが変ったりしたようだ。なかにはいくら探せどたどり着かない曲もあった。そこでできる範囲で書き換えすることにした。

どうせならと、そのなかからお気に入りをいくつか再登場させることにした。ほとんど日本ではマイナーなジャンルだ。アラビア語圏では知れ渡っているとか、東欧ではとか条件付なものばかり。英語圏に該当しない地域の音が多くったのは私の嗜好による。台湾にいて中華文化ではなく、原住民の文化に首を突っ込んでいる状態と同じようなものだ。

"Santa Maria (Del Buen Ayre)" - Gotan ProjectGotan Projectのアルバム名"La revancha del tango"「タンゴの復讐」のなかの一曲。このビデオクリップ、カット・トリミング・モンタージュの技法が一昔前の実験映画、前衛映画、ヌーベルバーグを思い起こさせる。白黒の画面、ひとけのない大都会の一角、アスファルト・ガラスの超高層ビル・タイル張りの歩道、一人で踊る、裸足で踊る、男女で踊る、男と男で踊る、女と女が踊る、離れて踊る、グループで踊る、踊る脇を車が通り過ぎる・・・。「タンゴの復讐」ならではの映像。甘くない。

"Baadima"  - Elie Karam厦門の馴染みの珈琲店で流されていた曲。アタシャ好きなんだ、何て曲だと店の女性に聞くと、えーこれがー、とアタシのセンスを疑うまなざしを浴びせられたのがElie Karamという歌手。ささやくように、いや、うめくように歌う「Baadima」。
スケベそうなオヤジが薄暗いしょぼくれたクラブかなんかで身なりだけはバリッとして歌っている姿が思い浮かんでくる。
ビデオクリップが再アップされ、正体不明だったElie Karamという歌手、このクリップで声と容姿が一致した。曲はオリジナルから、前半を英語後半をアラビア語という構成に変えていた。しかし英語の部分ではまったくもって気分が乗ってこない。言語とは面白いものだ。

Buddha Barレーベルのあれこれを探していたときのこと。イスラエル人歌手Ishtarのことをいたく気に入った。歌よし容貌よし、しかし関連情報はレコードのバイヤー以外の記事がほとんどなかった。ただおひと方、音楽関係の、それもかなり異色な記事を書かれている方とやり取りをしたことがある。彼曰く、Ishtarなら日本でもはやるかと思ってんですけどね、と仰っていたがそれはかなわなかったようだ。

"La Paz al Final" - Ishtar Alabina地中海を囲む民族の血をごちゃ混ぜにしたような混血イスラエル国籍の歌手Ishtar。彼女はライブがいい。特にこのクリップが好きだ。途中少しだけベリーダンスを披露してくれるシーンがある。抑えた表現がことさらセクシーさを醸し出している。
"One More Time" - Ishtar Alabinaこちらはベリーダンサーを従えて踊ってくれている。黒の衣装もいい。ベリーダンスは「官能と倦怠」を表現しているという人がいる。昨年北京の新疆レストランでウィグル族のベリーダンスを観賞することができた。青い目のアジア人ダンサーに引き付けられ、そのことを実感した。

Buddha Barあたりを行き来していると、いつのまにか地中海沿岸を一回りしていたりしている。エジプト、イスラエル、レバノン、トルコ、ブルガリア、そしてスペイン・・・。多元多様な世界を覗ける。何より歴史のある場所だ、二百年そこらでとうてい達成できる文化ではない。

Monday, July 18, 2011

[台北] 司馬庫斯原住民部落がめざす自立と自冶

今月はじめ「司馬庫斯」という聞きなれない地名を冠したドキュメンタリーが放映された。


司馬庫斯は新竹県新竹から竹東に向かい、さらに尖石を越え、山あいのそのまた先にある泰雅族(タイヤル族)の部落、廃村寸前の村を頭目の努力により28戸178人の住民が共同経営・自主管理を実践する部落である。


彼らの生活は早朝の会合から始まる。参加者の確認、その日の仕事内容を説明し段取りをする。観光客受け入れのための宿泊施設の準備、食材の確保、サービスの段取りをする。共同で畑を耕す。とくに小米は原住民にとって今まで彼らを支えてきた穀物は疎かにしない。収穫祭での主役である。そして水蜜桃と観光が最大の収入。


共同経営に参加する部落民は給料一律、上下関係なし、年齢に関係なく男性が1万1千元女性1万4千元。男女差があるのは、育児・畑仕事以外に観光客用の賄いを担当する女性の労働負担が大きいから。
冠婚葬祭などは部落が面倒見る。小学校が土地面積不足土地供出でないと政府援助できないならと、自前で建設し、分校として認可をとり、部落民の有志が教師となり子供たちの教育をおこなっている。そこにはタイヤル族の言語や文化の継承という目的も含まれている。


しかし観光客の車の管理、彼らがもたらすゴミ、共同トイレの清掃など負担も大きい。ゴミと公共トイレの清掃、車の管理にかかる経費を回収するため、部落入り口にゲートを設け課金するも、政府からは道路上は公共用地ということで違法とみなされ中断してしまう。自然環境保護の上でも車を制限したい。彼らは今、シャトルバスで観光客を出迎える運行を考えている。


さらに部落民すべてが一体となっているわけではない。なかには個人で事業を考える人も。彼には先祖代々受け継いできた少なからぬ土地があった。それを手放すわけには行かない。活かさなければ祖先に顔向けできない。しかし彼の事業は成功に向かっていない。資金は底をつきかけている。問題は彼の事業が行き詰ったときのこと。部落以外の人に土地を手放したり、外からの資金が流入し、部落民のなかからより高収入な道を選ぶ人間がでてくるやも知れない。安定してきた共同経営方式・経済環境が変ってしまうかもしれない。

[video: 司馬庫斯 A Year in the Clouds 預告片]
問題はそれ以外にもある。法律。山あいの原住民部落のほとんどは国家公園区域内。色々な法律が関わっている。国家公園法、森林法、自然保護法、水利管理法などなど無数の網がかけられている。これらの法律と、原住民基本法とのせめぎあいが今おこなわれている。自立のためにはこの問題を避けて通れない。自立できな原住民に自治もない。”飄搖的竹林”のテーマ、土地を持てない原住民、かつて親父が植えた竹林で竹の子を取るだけで罰せられてしまうのだ。

六年前、櫸の巨大な風倒木が台風で下界とつなぐ一本の道をふさいだ。部落民は会議を開き、この木を部落内に飾る彫刻に利用しようとした。結果はどうだろう。国家公園を管轄する林務局から訴えられ、三名の部落民が有罪判決を受けることになった。彼らの生活環境を維持管理することは部族民として当然の権利なはづが犯罪とみなされた。頭目は部落一丸となりこの問題に取り組み、昨年初め、高等裁判所から無罪判決を勝ち取っている。その後国側が上訴したのかわからないが、そもそもは地方裁判所の判事が原住民基本法に原住民に無理解だったことが原因といわれている。
これに類した出来事は司馬庫斯部落だけではない。各地で問題が発生し、しばしば報道されている。

司馬庫斯原住民部落がめざす共同経営・自主管理という”国中有国”の継続は可能なのだろうか。かれらの活動を見守り続けたい。

Monday, July 4, 2011

[台北] David Darling & The Wulu Bunun

[video: Bunun + David Darling 霧鹿布農族 布音合唱團]
私は”音楽”に関して門外漢である。好きなだけだ。ジャンルにこだわることもない。好きと感じればそれが私の”音楽”になる。ただ”なぜ好きになったのか”を探ることが好きだ。音の"由来"を探ってみたり、なぜなんだと”分析”してみたりする。これは私の仕事柄(主に建築デザインのプログラミング)からくる習性みたいなもので、この一連の行為が脳みそを活性化させるのに役立っていると思っている。

最近もっぱら台湾原住民に関わるあれこれを覗いている。興味深い。私の思考のお手本になっている。彼らのライフスタイルや文化は間違いなくトレンドになるはずだ。

台湾原住民族は歌と踊り、最も人類の根源的な衝動を表現することに長けている。なかでも布農族の「音」は人を引き付ける。これは私が感じるくらいだから、西洋音楽系の連中が見逃すはずはない。そうなると、いったい彼らの「音」はどのようにして組み立てられているのか分析したり再構成しようとする試みがなされて当然だろう。

David Darlingという米国人チェリストが布農族の「音」に魅せられた。環境音楽系の演奏家でコンポーザーというのか、私には映画のBGMで知的な音を映像に与える作業が印象に残っている。
彼が布農族の布音合唱團とコラボしたフィルムを目にした。台湾東海岸、米どころの池上郷から山あいに入った霧鹿部落、そこでDavid Darlingと布農族布音合唱團のフィールドレコーディングがおこなわれている。

どのような情景のもと、どのような人たちが、どのように参加してこの録音がおこなわれたか、映像を見ていただければいい。私は、計画されていたとはいえ、この即興演奏が好きだ。絵と音と重ねて見ながら聴いている。

このとき得た「音」の体験は彼らにとってかなり衝撃的だったらしく、別のビデオクリップで流れるテロップには・・・
「下山の支度を終え、録音の結果を、撮影はどうだったかを気にしながら帰路につく。その道すがら、「我々の音楽は、天上から降りてきた音なんです」という布農族の友人の言葉を思い出した。・・・途中我々一同言葉を交わすことはなかった。」
とある。
[video: 勤快的小孩 by 霧鹿布農 Bunun, Wulu and David Darling]
映像は夕刻の山道をただただ映し出すだけだ。そこにレコーディングした布農族の音とDavid Darlingの弦の音を重ねている。

このとき収録されたいくつかの曲は、デジタル処理され、ECMレーベルから「David Darling & The Wulu Bunun / Mudanin Kata」というアルバムになっている。非常に綺麗な仕上がりだ。ある意味あまりに綺麗すぎてなにかが欠けてしまっていないだろうか気になってしまった・・・。

Tuesday, June 7, 2011

[台北] 「馬嘎巴海」 - 原住民の軽妙洒脱なライフスタイル

原住民のライフスタイルを軽妙に浮き立たせた短編「馬嘎巴海・Magabahai」、グリーンで省エネ、楽天的でミュージカル。見ていてホッとさせてくれること請け合いの映画が放映された。字幕がなくてもわかる環境映画といっていい。登場人物はアメリカ人青年とアミ族のおっさんの二人だけ。

あらすじはというと・・・

高機能サイクル車にサイクルウェアで身を包み、耳にiPod車にGPS装備で軽快に国道を走るアメリカ人青年。次から次へと他の車を追い抜いていく。と、前をおんぼろ自転車、仕事帰りの原住民のおっさんがふらふらしながら走っている。鼻であしらいながらシューと追い抜くと後ろから「臭小子!」(くそがき!)の一言。青年は意気揚々と先を行く。しばらくするとiPodの電池がなくなる。イヤフォーンをはずしさらに前を行くと、先ほどのおっさんがふらふらギコギコ。不思議に思いさらに追い越す。するとまた前をおっさんのギコギコ自転車。どうも近道を走ってきたようだ。それならと後を追う青年。

わき道に入いったおっさんを追っていったものの青年、道に迷ってしまう。迷ってはおっさんが休んでいる道端に何度も戻ってしまう。GPSが役立たないらしい。おまけにペットボトルの水も飲み干してしまう。見かねたおっさん、青年に自分のボトルを差し出す。青年、受け取り口にするも噴き出す。中身は酒だった。
仕方なく後をついて行く青年。見晴らしのいい平地で一休み。枯れ草を石でつぶしパイプタバコのおっさん。お前も吸えと差し出され吸ってみるも咳き込む青年。目を上げるといつの間にか木に登って周りを眺めているおっさん。口笛を吹くと小鳥たちがそれに答える。枝の上で指揮をとり始める。山猿がさえずりに合わせて首を振る。鷹がひと声。山羊が鳴く、山豚がブーブ。稲穂が音を立ててなびく。水牛がひと鳴き。声を出して歌いだすおっさん。生きもの交響曲。ついつい青年も付き合って歌いだす。
[photo: アメリカ人青年とアミ族のおっさん]
山を降りる間もおんぼろ自転車が出すガタピシャ、キーキー、チェーンでジャージャー、即興を楽しんでいる・・・。

別れ際、「一期一会」といって布袋からなにかをつかみ出し青年に渡すおっさん。海岸べりで青年が放置されたサーフボードで波乗りをしているあいだ、流木の端切れでサーフボードを抱えた青年の姿の木彫を刻んでいた・・・。

僅か二十分足らずの作品。「馬嘎巴海」はアミ族語で「好」という意味だそうだ。彼らが交わす言葉はほとんどない。だいいちアミ語と英語とでは会話の仕様もない。それでいて意思疎通をはかってしまう不思議なキャラクターのおっさん。

配役の対比も面白い。プラスティックで装備されたアメリカ青年に対し、生成りの衣装、ポットは麻布袋で、商売道具も布製のバッグで包むというアミ族のおっさん。GPSなしで自在に動き回る、iPodがなくても生き物相手に音楽を奏でる、おんぼろ自転車相手に即興で歌う。

監督は杜均堂。見るからに若い。世新大学放送テレビ映画学研究所卒業作品が「馬嘎巴海」。2010年金馬賞最優秀短編賞受賞。親父は映画の音響技師として知られる杜篤之。《光陰的故事》、《悲情城市》、《海角七號》などを手がけている安徽省籍の漢人。

馬志翔の”飄搖的竹林”もそうだが、昨今の台湾、若い連中による質の高い作品が多い。

Sunday, June 5, 2011

[台北] 菜食主義者の世界環境日・密かな試み

[video: 「地球を貪り食う」(Devour the Earth)2007年改訂版]
暑い。蒸し暑い。今年一番の暑さか。窓を開けても風もないので部屋の中は30度を越えている。それに回りじゅうクーリングタワーの音が入り込んでくる。これでは身体が持たない。クーラーのスイッチをオンにする。

ところで今日は「世界環境日」らしい。それにしては塑化剤が飲料品のみならず、食品にまで使われていると大騒ぎの最中である。反面教育らしい出来事だ。

世界環境日なのだから、自分は環境に対してどの程度やさしいのか、自問してみることにした。まず車を持っていないので二酸化炭素は出さない。移動は台北市にいる限り、地下鉄と専用レーンのある市バスでほとんど用が足りる。それに運動不足解消に、出かけた後できるだけ歩いて戻るようにしている。これで昨年までの足のむくみもなくなった。

電力消費のほうはどうだろう。住まいは八階、エレベーターを利用している。さすがに階段を使って徒歩に頼るほどの気力はない。データー交換用に一台のPCは四六時中オンのままだ。オフにすることはできない。あれやこれやで夜更かしもする。照明でどの程度電力を使っているのだろう。一番消費電力が大きいのは空調機に違いない。オンオフはこまめにしているものの、ここ亜熱帯の台北で空調機なしの生活は仕事はしなくていいですよ、というサインに近い。結局大して環境にやさしくないのかもしれない。

食事はどの程度環境に影響しているのだろう。

私は菜食主義だ。ただしいい加減な菜食主義なので、おそらくダイエタリー・ヴィーガン(Dietary Vegan)になるのかもしれない。ひと月かふた月に一度、身体が無性に肉を求めてくる。抵抗はしない。素直にKFCで激辛から揚げを口にする。そのときのチキンは旨い。実に美味い。味をしめて数日後にまた口にするとその脂っこさに辟易とする。やはりひと月かふた月に一度が身体にあっているようだ。
台北にいて菜食に困ることはない。大通りに囲まれたブロックに必ず一軒は菜食の食い物屋がある。看板には「素食」とでている。おおくがブッフェスタイルの量り売り。台湾に素食屋が多いのは宗教に関係しているからだが、Wikiによると、人口の10%が菜食主義者だという。にわかには信じられない。しかし私の部屋の向かいに住む方、その愛人は菜食主義者だ。おかげで彼は日々肉なしの生活を強いられ辟易としている。

原住民はダイエタリー・ヴィーガンに近い。その日の食材はその日に仕入れる的に過ごしているから菜食の質は高い。私には千メートルを越す「水よし・空気よし・土よし」な山あいで生活をする彼らのライフスタイルが羨望の的だ。

ベジタリアンは有名人にも多い。知られているところでポール・マッカートニーがそうだし、彼の音楽と違い、この方面に関してかなり過激な発言をしている。そしてこのフィルムでナレーターを務めている。

[video: 「地球を貪り食う」(Devour the Earth)2007年改訂版]
EN: "Devour the Earth"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=en
CN-zh.TW: "吞噬地球"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=zh-TW
CN-zh.CN: "吞噬地球"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=zh-CN
JP: "地球をむさぼり食う"
http://globetransformer.org/devour/index.php?lang=ja

「・・・
政府は行動を起こさないが
あなたにはできる
単純に肉・家禽・魚
これらを諦めればいい
この苦しみ 残酷さと破壊を
終わらせることができる
ベジタリアンになれば
殺りくを 食い止めることができる
選択権は
あなたにある
残酷さと破壊を
止める助けができる
ベジタリアンに
なりましょう
命のための戦いに
力を貸してください」

またWikipedeiaの「ベジタリアニズム」の項目には以下のような記述がある。

[環境破壊]
・2006年、国際連合食糧農業機関 (FAO) は畜産が環境破壊への主な脅威であるという報告をしている。
・畜産に限らず、先進国など大消費地の需要を賄う大規模プランテーションを含む収穫量の増大を目指した近代農法も、農薬の大量使用による環境への負荷を発生させている。
[温室効果ガス排出]
・2008年1月、自身がベジタリアンでもある気候変動に関する政府間パネル (IPCC) のラジェンドラ・パチャウリ議長は、肉は生産過程で二酸化炭素を大量に排出し輸送でもエネルギーを使用するので、肉の消費を減らすことは個人ができる温暖化対策の一つであると述べた。
・ラジェンドラ・パチャウリ議長は、畜産産業からの温室効果ガスの排出量は世界中の約20%であるとし、イギリス政府に2020年までに国内の食肉消費量を60%減らすことを求めている。
・レスター・R・ブラウンの設立したワールドウォッチ研究所の報告によれば、畜産業は輸送などを含め世界中の温室効果ガスの51%を排出している。

さああなたはどの程度環境にやさしい生活をおくっていますか?

[追記] ベジタリアンとして知られている人にはステーブ・ジョブズ 氏がいますね。氏を崇拝される方が地球上に数千万人おいでになる。その人たちが彼のライフスタイルを見習ったなら、かなりの成果がでるのではないかと期待しています。

Wednesday, June 1, 2011

[台北] 映画 ”飄搖的竹林” - 土地を失った原住民族の悲哀

[photo: 飄搖的竹林-右が馬志翔]
F1モナコか馬志翔か・・・TVでガチンコの組み合わせ。レコーダーを持ち合わせていないので記録もできない。F1モナコは何が起きるかわからないのとドライバーが栄光を掴むためのアドレナリンが噴出すコース。一方の馬志翔は私のお気に入りの俳優。がっしりしたガタイ、原住民独特の精悍な風貌、それに彼が演出する作品となれば見逃すわけにいかないのだ。結局二日待てばF1モナコの再放送はある。そこで前半の一時間、モナコのトンネル内でF.マッサがアホにもガードレールに接触しセーフティーカーが入ったところでチャンネルを切り替えた。

馬志翔演出の”飄搖的竹林”(風になびく竹林)は期待を裏切らなかった。しかし、予告片を見て感じたほど深刻さが感じられなかった。本筋からそれた部分に軽妙さが取り入れられていたからだろう。

大筋はというと・・・
[video: ”飄搖的竹林”予告片3分版]
泰雅族(タイヤル族)の狩人だった老人は孫を連れて山に向かう。孫に族語を一つ一つ教えながら。山道を行く先の様子を鳥の声を聴いては判断(鳥卜占)しながら。昔父親に教わったように。だんだんと厳しい山道に孫は音を上げ動こうとしない。しかたなく老人は彼を肩に分け入っていく。目の前には族衣装をまとい猟銃を手にした今は亡き父親と幼少の自分が見え隠れしている。
[photo: 飄搖的竹林-父親に猟人として鍛えられた子供時代]
老人はかつて父親が育てた竹林にたどり着く。孫はうれしそうにあちらの筍、こちらの竹の子と数を数えながら掘り起こす。突然声が竹林に響きわたる。老人は孫に「タイヤルの子供は勇敢なんだ、今来た道はわかるな、いけ!」。孫は必死に一人山をかけ降りる。

[photo: 飄搖的竹林-現代っ子の族人]
老人は保護区(追記:”保育区”と呼ぶそうだ)内で許可なく竹の子を採取した件で逮捕される。顔写真を撮られ、調書に拇印を押す。その知らせを受けた息子、林務局の林班(現場管理)に勤める彼は、上司から国家財産に手を付けてはいけないことぐらいわかっているだろうと叱責される。族仲間の警察官や議員に手を貸してもらい、彼の父親は釈放される。孫が父親に聞く。どうしてうちの竹やぶで竹の子とっていけないの。父親はいらだたしく息子に答える。今では人の土地なんだと。




[photo: 飄搖的竹林-竹林を行くタイヤルの猟人]
その晩、息子は族仲間を呼んで食事を振舞う。迷惑をかけた代償として。彼らが去ったあと、息子は父親に愚痴をこぼす。尻拭いをさせられ、みなから笑いものにされた、オヤジは恥ずかしくないのかと。父親は何も言わずにいる。鳥のさえずりが聞こえてくる。老人はじっと聞き入り、そして立ち上がり「行っていいのか、行っていいんだな」と暗闇に向かって歩き始める。息子は何事かと父親に問いかける。どこに行くんだ。老人は静かに夜空に向かって指をさす。

老人は息子に語りかける。お前には聞こえないのか。竹林が泣いている。かつてお前を連れて行ったオヤジの竹林だ。あの竹林が震えている・・・。息子はうなだれ頬を涙が伝わっていく。

所有者不明ということで土地を取り上げられた原住民。管理はするも所有権も使用権もない族人。生業の狩りもできない猟人。彼らの悲哀がにじみ出た作品だった。

出色だったのは主人公の老人。実に自然に演じていた。あたかも「自分」を演じているかのように。

あらすじでは書かなかったが、他にも族人のエピソードが紹介されている。風倒木のはしっきれを盗みだす要領のいいオヤジ。足を痛め仕事につくことができず、寝たきりの父親から土地権利書に拇印を無理やり取ろうとする男の話・・・。この原作は原住民族文學作品《番人之眼-飄搖的竹林》タイヤル族の瓦歷斯.諾幹(吳俊傑)のなかの一節にある。

馬志翔は自費でこの作品をつくっている。独立プロ作品である。ここ台湾では多くの基金会や国レベルで優れた作品に賞を与えている。おそらく”飄搖的竹林”はその筆頭に上げられるに違いない。