Wednesday, June 1, 2011

[台北] 映画 ”飄搖的竹林” - 土地を失った原住民族の悲哀

[photo: 飄搖的竹林-右が馬志翔]
F1モナコか馬志翔か・・・TVでガチンコの組み合わせ。レコーダーを持ち合わせていないので記録もできない。F1モナコは何が起きるかわからないのとドライバーが栄光を掴むためのアドレナリンが噴出すコース。一方の馬志翔は私のお気に入りの俳優。がっしりしたガタイ、原住民独特の精悍な風貌、それに彼が演出する作品となれば見逃すわけにいかないのだ。結局二日待てばF1モナコの再放送はある。そこで前半の一時間、モナコのトンネル内でF.マッサがアホにもガードレールに接触しセーフティーカーが入ったところでチャンネルを切り替えた。

馬志翔演出の”飄搖的竹林”(風になびく竹林)は期待を裏切らなかった。しかし、予告片を見て感じたほど深刻さが感じられなかった。本筋からそれた部分に軽妙さが取り入れられていたからだろう。

大筋はというと・・・
[video: ”飄搖的竹林”予告片3分版]
泰雅族(タイヤル族)の狩人だった老人は孫を連れて山に向かう。孫に族語を一つ一つ教えながら。山道を行く先の様子を鳥の声を聴いては判断(鳥卜占)しながら。昔父親に教わったように。だんだんと厳しい山道に孫は音を上げ動こうとしない。しかたなく老人は彼を肩に分け入っていく。目の前には族衣装をまとい猟銃を手にした今は亡き父親と幼少の自分が見え隠れしている。
[photo: 飄搖的竹林-父親に猟人として鍛えられた子供時代]
老人はかつて父親が育てた竹林にたどり着く。孫はうれしそうにあちらの筍、こちらの竹の子と数を数えながら掘り起こす。突然声が竹林に響きわたる。老人は孫に「タイヤルの子供は勇敢なんだ、今来た道はわかるな、いけ!」。孫は必死に一人山をかけ降りる。

[photo: 飄搖的竹林-現代っ子の族人]
老人は保護区(追記:”保育区”と呼ぶそうだ)内で許可なく竹の子を採取した件で逮捕される。顔写真を撮られ、調書に拇印を押す。その知らせを受けた息子、林務局の林班(現場管理)に勤める彼は、上司から国家財産に手を付けてはいけないことぐらいわかっているだろうと叱責される。族仲間の警察官や議員に手を貸してもらい、彼の父親は釈放される。孫が父親に聞く。どうしてうちの竹やぶで竹の子とっていけないの。父親はいらだたしく息子に答える。今では人の土地なんだと。




[photo: 飄搖的竹林-竹林を行くタイヤルの猟人]
その晩、息子は族仲間を呼んで食事を振舞う。迷惑をかけた代償として。彼らが去ったあと、息子は父親に愚痴をこぼす。尻拭いをさせられ、みなから笑いものにされた、オヤジは恥ずかしくないのかと。父親は何も言わずにいる。鳥のさえずりが聞こえてくる。老人はじっと聞き入り、そして立ち上がり「行っていいのか、行っていいんだな」と暗闇に向かって歩き始める。息子は何事かと父親に問いかける。どこに行くんだ。老人は静かに夜空に向かって指をさす。

老人は息子に語りかける。お前には聞こえないのか。竹林が泣いている。かつてお前を連れて行ったオヤジの竹林だ。あの竹林が震えている・・・。息子はうなだれ頬を涙が伝わっていく。

所有者不明ということで土地を取り上げられた原住民。管理はするも所有権も使用権もない族人。生業の狩りもできない猟人。彼らの悲哀がにじみ出た作品だった。

出色だったのは主人公の老人。実に自然に演じていた。あたかも「自分」を演じているかのように。

あらすじでは書かなかったが、他にも族人のエピソードが紹介されている。風倒木のはしっきれを盗みだす要領のいいオヤジ。足を痛め仕事につくことができず、寝たきりの父親から土地権利書に拇印を無理やり取ろうとする男の話・・・。この原作は原住民族文學作品《番人之眼-飄搖的竹林》タイヤル族の瓦歷斯.諾幹(吳俊傑)のなかの一節にある。

馬志翔は自費でこの作品をつくっている。独立プロ作品である。ここ台湾では多くの基金会や国レベルで優れた作品に賞を与えている。おそらく”飄搖的竹林”はその筆頭に上げられるに違いない。

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