Thursday, January 28, 2010

[台北] 悲哀 - I

一昨夜大陸廈門から戻りました。廈門に出向いた目的は台湾のプロジェクトへ北京の投資家を参画させるためです。このプロジェクトで台湾側の仲介人を務めている方は体が不自由です。昨年四月末、一人住いのアモイで中風に見舞われました。幸いにも、その日は上海に行くことになっており、同行予定の人間がいくら連絡を取っても繋がらない、不審に思いその方の家のドアをたたき壊し倒れている彼を発見、最悪の事態だけは避けられたとのことです。

廈門で二日間、北京と連絡を取ろうとしたもののナシのつぶて。そして週末、連絡はことさら困難となります。北京サイドの投資家の知人がようやっと彼らと連絡をつけ、火曜日彼らが廈門にやってきて会談という段取りが整いました。予定を二日遅れなことです。しかし話し合いはもたれましたが、残念なことに北京サイドから良い返事を得ることはできませんでした。今考えてみると当然なことだったような気がします。

昨年夏、身体が不自由な彼に代わって私ともう一人、北京に出かけてあらかじめプロジェクトの内容を説明したことがありました。その際北京サイドの返事はというと、当分投資する予定はないということでした。台湾に戻り、仲介人の方にその旨伝えたものの、自分が説明すれば投資してもらえると言い放ちました。その後も病院のベットの中で手計算を続けていました。採らぬ狸の皮算用です。

この方は台湾側の投資家や土地持ちの方に北京からの投資が可能だと話巧みに引き付けていきます。夢はどんどんと大きくなります。それと時を同じくして周辺の人間、特に家族親兄弟に対して高圧的に対処するようになりました。不自由な身を看病させながら感謝の気持ちを表すことはなかったようです。周りの人間を使用人のように指図するようになります。誰もが忍耐の限界に達した時、私たちは廈門に出向いたのです。

大陸側の金を引き出そうと図った台湾側の仲介人の方と台北の空港でお会いした時、彼が持ち込んできた荷物の多さに我々は驚かされたのです。私はすぐに察知できました。彼は台湾から逃げ出そうとしているのだと。 [次回へ]

[写真: ある朝、部屋の窓から朝焼け雲が。見ている限り透明で美しい。しかしその場所は生活できるところではないのです。]

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