Thursday, February 23, 2006

今更ですが・・・韓流の魅力 (韓国)

携帯電話でDVD、などと遊んで見始めた韓国TVドラマ「冬のソナタ」、これが結構面白い。ペ・ヨンジュンの口元の締まりのなさも、見ているうちに気にならなくなるのもまた面白い。「冬のソナタ」?と気にもとめなかったのがこの様ですから、人気エンターテイメントにはそれなりの魅力が潜んでいる。

韓流の宣教師、junjunから大量のDVDを借り受けていたものの、大半は返却、残ったのは現代韓国の大河ドラマ「モレシゲ(砂時計)」と「ユリョン(幽霊)」だけ。携帯電話に使えるDVDは・・・と探していたら「冬ソナ」の1話から6話までがCDの山に紛れ込んでいた。そこでハマって汗をかきかき再度続きをお願いした。

今日、junjunに韓流の洗礼を受けた京ねえさんからDVDがどさっと届きました。添えられた手紙には・・・
「世の中ようやく春めいてまいりましたが、勝間(アトリエ)には冬のソナタが流れているとか。ご要望のDVD、その他みつくろってお送りします・・・」。感謝です。

台湾でも韓流が一大ブーム、台湾の芸能界では、次は「華流」と、この流れをせき止めねばと必死だとか。でも女優は「韓流」がいい(バキッ)・・・

Saturday, December 3, 2005

「幽霊」のなかの仮想敵国

「続:いまさらですが韓流・・・」で少しふれた韓国映画「幽霊」(ユリョン)、なかなか興味深いので再考。話というのは、核ミサイルを積んだ韓国の原子力潜水艦内部で反乱が起こり乗っ取られる。乗っ取った副艦長が目指したのは、核ミサイルを日本の都市に発射しようというもの・・・
監 督がMTV出身ということもあってか、ストーリーはコミックばりの展開。日本と米国を仮想敵国に設定しているとはいえ、反日のイメージはない。処女作とい うこともあって、話題を取りに行ったのかもしれない。しかし、日本人からみると、韓国が仮想敵国に日本を設定するかもしれない、いや、韓国に限らず日本が 仮想敵国にされることを否定できない状況にあるのか、という認識を知らされることになる。
ここ二十年、東アジアのあちこちを旅し、彼らと仕事をし、ときとして思わぬ嫌日感情にふれることがあった。こちらは「何で?」と思うものの、あちらは当然 という顔つきでだ。彼らに対して配慮が足りなかったんだよ、なんてことは言わないでほしい。配慮こそ、「差別」で「嫌日」を肯定することになるから。それ より堂々と仮想敵国日本、という若い映画監督の方がつきあえる。

この十年で急速に発展を続ける東アジアの国々、一昔前の牧歌的な東アジアはどこに行ってしまったのだろう。

Monday, November 21, 2005

[東アジアの人たち] 染め付け絵師の女

先日購入したDVD、孫周(sun1 zhou1)という監督の中国映画「周漁的火車」(zhou1 yu2 de5 huo3 che1)、日本では「たまゆらの女」に、中国の風景はこんなに綺麗だったろうかと驚かされました。同時に主人公のコン・リー(gong1 li4)演じる陶器の染め付け絵師の女性の生き様は、蘇州での出来事を思い出させるものでした・・・。 三年前、わたしは日本と蘇州の間を行き来していました。仕事のためです。高級別荘地を旧市街の一角に計画しようというものです。

初めて訪れたときのことです。投資家のお一人から、私たち計画者はお酒をごちそうしていただきました。「蘇荷天地」という、ゆったりとした空間を持った、 蘇州の伝統的意匠をモダナイズしたすばらしいクラブです。ここでわれわれはお店の女性たちと話をし、歌を謳い、お酒を飲んでいました。中国ではみられない 行き届いたサービス(いい意味での接客ですのでお間違えなく)を受けていました。

わたしの相手をしてくれた女性、がっしりとした体格、落ち着いた物腰、黒の意匠がよく似合う。話の仕方も歌の相手もできる。なかなか魅力的です。年齢は三 十代半ばぐらいでしょうか。出身地を聞きます。景徳鎮、陶器の町です。店に来る前の仕事を聞きます。染め付け絵師。それでは何か絵を描いてくれないかと頼 みます。彼女、コースターを手にボールペンでさらさらと描きました。壺絵などに出てくる女性の顔が描かれていました。見事でした。筆をボールペンに持ち替 えても、しっかりした線を描くことができます。彼女の話は客相手のそら言ではありませんでした。父親も絵付け師として、その教育を受けてきたのだといいま す。

なぜ景徳鎮から出てきたのか、簡単に想像できます。中国は国営企業の民営化を早々と始めていました。輸出産業として作り続けていた陶磁器の景徳鎮でも同様 です。そのあおりを受けた一家、働き場を失った結果の蘇州生活。おそらく結婚もし、子供もいることでしょう。あの落ち着き方でわかります。

クラブの一室はにぎやかに時間を迎えました。「差不多ba(口+巴)!」(そろそろでしょう!)という一声で、一同落ち着きを取り戻します。招待していた だいた方は、店の女性全員にチップを渡し始めました。そのときです。景徳鎮の女性きつい声が狭い部屋に響きわたりました。

「冗談じゃないわ!私たちのチップは○○○元何かでは少ないわ!こんな席になんかいられない!さあ××(別の女性の名前)、いきましょういきましょう!」

あっけにとられている我々の目の前から、彼女は悠々とでていってしまいました。
「おーおー、気の強い女だ」とか「すごいね」なぞとわたしと友人が話していると、投資家の人が大声を上げます。

「あの女の名前はなんという!総経理を呼んでこい!」

と、すごい剣幕です。そうですメンツが立ちません。それに女性は失礼です。いくらチップで生計を立てているとはいっても、チップは客の気持ちです。それを 大声で罵倒するようでは仕事は勤まりません。しばらくして総経理がとんできました。ことの成り行きを一通り説明すると、総経理がマネージャーに女性を呼び にいかせます。

彼女、やってきました。やってきたのはいいのですが、わたしに謝ります。これも筋違いです。「わたしじゃない、あの方に謝りなさい」。彼女、一通り頭を下げ、一言二言口にして部屋を後にします。総経理「大変ご迷惑をおかけしました。彼女はすぐさま辞めさせます」。

後日訪れた際、彼女はすでにこの店にはいませんでした。いくらわたしには魅力的な女性に映ったとはいえ、中国全土を覆う「拝金主義」は、人間関係すらずたずたにしてしまうのでしょうか。

仕事の方はどうなったかといいますと、あまりの一等地での計画だったため、開発許可を得るのに国の審査が必要になるなど、条件は厳しくなるばかり、結局投資家たちはこの計画を中断してしまいました。

Wednesday, November 16, 2005

気分は東アジアの旅・荒川仲町通り商店街

その昔、東アジアのあちらこちらを、気ままに旅をしては、雑誌に与太記事を書いていた頃のことです。歴史背景もいい加減に、日本の中のコリアンタウンを東京ロンドン弾丸列車構想に沿って旅をしよう、を企画しました。

そのときの記事、「昭和最後の日-記憶のなかの韓国」いらい、時代とともにコリアンタウンはごく身近な存在になっていました。韓流も一役買っているでしょう。そうかこうかは分かりません、東京の下町を食い歩きしようという企画で行き当たった荒川仲町通り商店街、雰囲気は十分コリアンタウンでした・・・
ま ず驚かされたのは、ほぼ500メートルにもわたる商店街、道幅は4メートルもない、その両側を平屋か二階建の店が延々と続いている。丁度時刻は夕方五時、 店先には煌々と明かりがつき、各種各様な小売店。行き交う客の中から聞こえてくるハングル、店の看板にハングル、韓流ビデオもDVDもここなら簡単に手に 入ります。日本食の総菜店と韓国料理の総菜店、日本そば屋に韓国家庭料理店。ここはどこかと見まごうばかりです。

商店街のはずれで焼き肉屋に入ります。連れのshinさんが店の女将さんに聞きます。

shinさん「ここは韓国の店が多いですね」
女将さん「家庭料理が多いですね」
shinさん「女将さんは土地の方ですか?」
女将さん「いえ、二年前に新宿から」
女将さん「みんな外から来たの人が多くてね」

外から来た人たち?、女将さんが言いたかったのは・・・
勝手な想像です、女将さんは在日韓国人、外から来た人たちは韓国人、焼き肉屋の女将さんと外から来た人たちの韓国家庭料理のお店。

漫画「三丁目の夕日」のようなこの商店街、懐かしい記憶の中に異国が入り始めていました。

Monday, September 5, 2005

[台北通信] 追記-台北通信・食い物II

4a409d13.jpg[農暦] 8月2日 [月齢] 1.38 二日月 [潮汐] 大潮 [勝間の天気] 曇り

豆腐の味噌漬けです。豆腐のチーズともいえます。台湾でお粥を注文すると一欠けら付いてくることがあります。美味です。私は紹興酒のつきだしにもしました。

長期滞在をしていると、普通の中華料理・家庭料理でも飽きてきます。それにやはりわたしには油っぽい。で、注文はお粥に、生卵に、野菜をさっと炒めたものに、この豆腐の味噌漬け。夜もこれで十分です。

今回はなじみのホテルに滞在しました。今年、ホテルの改装を機に引退したママさん、わたしがいるというので豆腐の味噌漬けをおみやげにと持ってきてくれま した。わたしの好物を今でも覚えていてくれました。感謝です。すでに八十歳を超えておいでだといいます。お互いに健康を約束しあって別れました。

Thursday, September 1, 2005

[台北通信] 追記-台北通信・食い物

2b9cab0f.jpg[農暦] 7月28日 [月齢] 27.3 有明月 [潮汐] 中潮 [勝間の天気] 曇り

台北から戻る航空便を予約した際のこと。
席の指定と食い物について聞かれました。
予約係「牛さんはお食べになりますか?」
私「たべません」
予約係「はいわかりました」

水平飛行に移ると食事の準備が始まったようです。で、私には料理がいの一番に届きました。透明のカバーには「NB」のシールが。そうです、 「NoBeef」。中身はほぼベジタブル・ミール、野菜中心のメニューでした。台北の屋台に飾られていた串焼きが思い浮かんだのはいうまでもありません。

[写真は台北・林森北路の屋台]

Saturday, August 27, 2005

[台北通信] 日本へ

a23493c9.jpg[農歴] 7月23日 [桃園空港の天気] 薄曇り

帰国です。最終的に台湾の航空会社を選びました。これが間違い、ジャンボで満員、空港カウンターは混乱しています。

とりあえずなかに。最後の台北通信を書いています。明日からはまた勝間通信となります。

[帰国後カテゴリを「台北通信」に変更しています。ご了承ください]