Monday, October 31, 2011

朗報!

tumblrの「ブログも、そこからツイッターにも転送されていますよ」とある古い友人からご返事いただきました。ありがとうございま す。ただ、自分ではどちらも確認できない。ただただ投げっぱなしです。それでもこの地で沈黙しているよりはいい、と、さらに挑戦いたします。

台湾を発つ前にtumblrの設定でツイッターの認証を取っておいた、tumblrに繋なげて投稿できたなら、その先はこの地からの発信にならないということで可能なわけですね。 (Oct 29)

[notes : burikineko]

繋がらない・・・

厦門到着。定宿のビジネス・アパートメントにチェックイン。早速ネット事情を確かめてみる。おおよそ考えられるあの手この手を試してみるも、すべて遮断されている様子。手も足も出ません。

G-mailにはメールが届いている。返事を書くも送られているかは不明です。

ブログの更新?bloggerは開けない、ダッシュボードも当然開けない。ということは投稿ができない。ほかの人のブログも覗けない。tumblr は?私のブログは駄目。ただしダッシュボードまでは行き着きました。そこでこの記事を書いています。まもなく投稿します。ほかにもメールで投稿可能なはず なので試して見ますが、果たしてこちらに滞在中に投稿できているでしょうか。確認できましたらどなたかメールをいただけないでしょうか。但し twitterやfacebookは機能していませんので・・・ (Oct 29)

[notes : burikineko]

Saturday, October 29, 2011

さて、フェリーに乗ってきますか・・・

数日前までの曇天が去って台北は快晴なり。厦門で Hakka Tulou Forum 2011 なる催しを覗いてきます。予報ではあちらも快晴らしい。いい船旅ができそうです。そして旧友と洒落たバーでスタイニーボトルの栓を捻って乾杯をしたいと思 います。 (Oct 29)

[notes : burikineko]

Thursday, October 27, 2011

都市原住民を描いた馬志翔監督の「看見天堂」

那一年曾做錯的事」は李佳穎という女優が不思議なキャラを演じていましたが、彼女、馬志翔監督の手で「看見天堂」という映画にも登場しています。
この映画は都市の空き地に原住民たちがつくりあげた部落のお話。強制撤去されてもされてもまた粗末な手作り住居を築き上げる。部落住民はへこたれることが無い。みな陽気に明日を見ている。そんな部落と彼らをひょんなことから取材を始めた漢人の映画作家の卵を李佳が好演していました・・・ 


ロケ地は台北郊外の新店の渓谷脇の三蛍部落という実在する場所です。映画では「天堂部落」と呼んでいました。意味は天国の部落ですね。都市原住民が直面する問題を馬志翔がドラマに仕立てたんですね。ここにはあの伝説の原住民歌手・巴奈がいっときを過ごしたともいわれています。できのいい映画だと思ったんですが映画祭では評価されなかったらしい。入賞はかなわなかった。
今年のGolden Bell・金鐘奨がつい先日決まりました。四部門にノミネートされていた馬志翔監督の「飄搖的竹林」ですが残念ながらやはり選考されませんでした。この映画は原住民と土地にかかわるお話。「看見天堂」もそうでしたが、正面きって原住民問題を描いてしまったからなのでしょうか。監督賞を受賞したのは同じ原住民出身の作家でした。彼の作品「失落的海平線」は、阿美族に伝わる寓話を映像化したものです。
[この記事はtumbleblog - "A Cup of Asian-Tea" から引用したものです notes : burikineko]

Tuesday, September 6, 2011

台北: 馬志翔 - I 歌えない踊れない原住民


「賽徳克・巴萊 / Seedic Bale」が間もなく封切られる。霧社事件を描いたアクション映画だと監督は語っている。私の興味はここに登場する一人の男・馬志翔。彼は賽徳克族屯巴拉社部落道澤群の頭目、鐵木・瓦力斯(ティエム・ワリス)を演じている。

馬志翔 [mǎ zhì xiáng] [ㄇㄚˇ ㄓˋ ㄒㄧㄤˊ] は台湾原住民の俳優で脚本家で演出家。彼の演技をはじめて見たのは昨年秋、再再再・・・放映された2003年の作品「風中緋櫻・霧社事件」というテレビ連続ドラマ。なかで日本政府台湾総督府により優良蕃童として育て上げられた賽徳克族の青年・花岡一郎を演じていた。個性的な容貌とどこか遠くを見続けているような視線が印象的で、以降注目するようになった。

[馬志翔]
彼は賽德克族の父親と、阿美族の母親のあいだに1978年花蓮懸玉里鎮で生まれた34歳。自身インディーズ系のプロダクション「影一製作所 - One Production Film」をもっている。

先日テレビをオンにすると、馬志翔との対談番組が始まろうとしていた。「新聞不挿電」、なんと訳したらいいのだろう、「ニュースに挿し込まれないニュース」、英文では「LAWA news」。LAWAは司会者拉娃・谷辛、泰雅族の出。二年前の再放送番組だった。
馬志翔と原住民に関する興味深い内容だったので紹介したいが、私のヒアリング能力と記憶力に限界があるので、どこまで正確に伝えられるかはわからない。まずはご理解の上読んでいただきたい。

番組の司会者の拉娃・谷辛は、歯に衣を着せず、しらっと厄介な質問を彼に向けていた。それを受ける馬志翔ははじめ、シャイで、話すことが苦手らしく言葉が続かず、舌打ちをしながら答えていたものの、対談の最後に話題が女性関係について聞かれた頃には、「それ、結婚のこと?次の機会、次の機会、次回ね」と交すまで口は滑らかになっていた。

対談が始まると直ぐ、司会者は「歌えないそうで・・・踊りも苦手とか・・・」。原住民のウリは歌と踊りと決まっている。それが苦手だと答える。それに「アイドル(偶像)といわれるのも興味ないっす」という。「だけど、俺、脚本書くし、(映画を)撮れるし。原住民だけどそれができる」と続ける。この自負はどこから来たのだろう・・・
(但しWikipedia Taiwan には、趣味:唱歌、専門:ギターとある・・・)

彼は中学時代父親を交通事故で亡くしている。その後台北・屏東・台北と都会を渡り歩きながら教育を受けている。本人は原住民という自覚はなく、”現代人”と自らを語っている。都市原住民として差別のない世界にいるんだという感覚だったのだろう。家庭でも、校長だった父親は子供が原住民らしく振舞うことを許さなかったという。しかし、その父親の死後、遺品の中にたくさんの原住民に関する資料を見つけ、それについて自らを問いはじめる。

原住民でありながら原住民族としての生活を送っていなかったゆえ、母語は話せなかった。当然風習習慣など縁がなかっただろう。仕事が忙しい母親に代わっておばーちゃんに預けられたときには会話に苦労している。おばーちゃんは原住民の言葉と日本語しかわからなかった。馬志翔が話せたのは国語と台湾語。歌も歌えず踊りもできずそのうえ母語も話せない原住民。「溝通」(コミュニケーション)のとれない、それが馬志翔だった。アイデンティティーを持たない、感じない原住民。現在台湾各地の都市原住民に多く見られる姿だ。

[李烈]
番組の中、彼は自分をここまで育ててくれた人たちに感謝を表している。女でひとつ大学にまで通わせてくれた母親、国民学校の女性教師、そして彼を映画人として成功させるための絶大な支援者で馬志翔の影一製作所 - One Production Filmの負責人で辣腕プロデューサーの李烈を挙げている。李烈は《亜細亜的孤児》などコメント性の強い歌で知られているシンガーソングライター・羅大佑の長年の伴侶であり前妻。本人は女優として《網路情書》で最優秀女優賞獲得、以降《艋舺》など多くの優れた作品をプロデュースしている。その李烈が番組で曰く、馬志翔には「幽黙感」(ユーモア感)がない、原住民は陽気でユーモアあふれているのに何故?と彼を評していた。

まったくもって原住民らしくない原住民の馬志翔の答えはこうだ。「・・・確かにそうだ。でも俺はそれを映画の中で表現している・・・」。

そんな彼が、自分が原住民であることを自覚するようになったのは二十二・三歳ごろだったという。しかしその理由については明確な答をもらっていない。ただ一言、「自覚するようになった」。

その後、彼は台北と実家のある花蓮の間を「回歸」(ルーツを求めて)、そして母語を原住民文化を学び始める。もともと好きだった脚本づくりをコツコツと始める。原住民としての自分を表現するために・・・

[ 次に続く・・・ ]

[ 馬志翔関連記事 ]
「風中緋櫻-霧社事件」を演じた若者たち
http://east-asia.blogspot.com/2010/10/blog-post_31.html
花岡両名の遺書
http://east-asia.blogspot.com/2010/11/ok.html
雑記 - 馬志翔演出の"飄搖的竹林"のことなど
http://east-asia.blogspot.com/2010/11/ok.html
映画 ”飄搖的竹林” - 土地を失った原住民族の悲哀
http://east-asia.blogspot.com/2011/06/blog-post.html

Sunday, August 21, 2011

[台北] Buddha Bar - リンク切れの書き換え

ある方からブログに記載したリンクが切れていますよ、とお知らせをいただいた。ほぼ三年ほど前、ブログで紹介したBuddha Barレーベルの曲のことらしい。ポチポチしてみると半数以上が繋がらない。Youtube曰く、アカウントが停止されたので云々・・・、ブロックされましたので云々・・・。三年というあいだにYoutubeもHDに対応させたりしたので、再アップでアドレスが変ったりしたようだ。なかにはいくら探せどたどり着かない曲もあった。そこでできる範囲で書き換えすることにした。

どうせならと、そのなかからお気に入りをいくつか再登場させることにした。ほとんど日本ではマイナーなジャンルだ。アラビア語圏では知れ渡っているとか、東欧ではとか条件付なものばかり。英語圏に該当しない地域の音が多くったのは私の嗜好による。台湾にいて中華文化ではなく、原住民の文化に首を突っ込んでいる状態と同じようなものだ。

"Santa Maria (Del Buen Ayre)" - Gotan ProjectGotan Projectのアルバム名"La revancha del tango"「タンゴの復讐」のなかの一曲。このビデオクリップ、カット・トリミング・モンタージュの技法が一昔前の実験映画、前衛映画、ヌーベルバーグを思い起こさせる。白黒の画面、ひとけのない大都会の一角、アスファルト・ガラスの超高層ビル・タイル張りの歩道、一人で踊る、裸足で踊る、男女で踊る、男と男で踊る、女と女が踊る、離れて踊る、グループで踊る、踊る脇を車が通り過ぎる・・・。「タンゴの復讐」ならではの映像。甘くない。

"Baadima"  - Elie Karam厦門の馴染みの珈琲店で流されていた曲。アタシャ好きなんだ、何て曲だと店の女性に聞くと、えーこれがー、とアタシのセンスを疑うまなざしを浴びせられたのがElie Karamという歌手。ささやくように、いや、うめくように歌う「Baadima」。
スケベそうなオヤジが薄暗いしょぼくれたクラブかなんかで身なりだけはバリッとして歌っている姿が思い浮かんでくる。
ビデオクリップが再アップされ、正体不明だったElie Karamという歌手、このクリップで声と容姿が一致した。曲はオリジナルから、前半を英語後半をアラビア語という構成に変えていた。しかし英語の部分ではまったくもって気分が乗ってこない。言語とは面白いものだ。

Buddha Barレーベルのあれこれを探していたときのこと。イスラエル人歌手Ishtarのことをいたく気に入った。歌よし容貌よし、しかし関連情報はレコードのバイヤー以外の記事がほとんどなかった。ただおひと方、音楽関係の、それもかなり異色な記事を書かれている方とやり取りをしたことがある。彼曰く、Ishtarなら日本でもはやるかと思ってんですけどね、と仰っていたがそれはかなわなかったようだ。

"La Paz al Final" - Ishtar Alabina地中海を囲む民族の血をごちゃ混ぜにしたような混血イスラエル国籍の歌手Ishtar。彼女はライブがいい。特にこのクリップが好きだ。途中少しだけベリーダンスを披露してくれるシーンがある。抑えた表現がことさらセクシーさを醸し出している。
"One More Time" - Ishtar Alabinaこちらはベリーダンサーを従えて踊ってくれている。黒の衣装もいい。ベリーダンスは「官能と倦怠」を表現しているという人がいる。昨年北京の新疆レストランでウィグル族のベリーダンスを観賞することができた。青い目のアジア人ダンサーに引き付けられ、そのことを実感した。

Buddha Barあたりを行き来していると、いつのまにか地中海沿岸を一回りしていたりしている。エジプト、イスラエル、レバノン、トルコ、ブルガリア、そしてスペイン・・・。多元多様な世界を覗ける。何より歴史のある場所だ、二百年そこらでとうてい達成できる文化ではない。