Tuesday, March 5, 2013

Weekly fotolog 東アジアは停看聴 / 20130225 - 20130305 暗闇の残る台北

雙連駅脇公園通りの青空市場にガチョウの肉をその場で捌いて売っている店があった。いつも客が列を成している。今まで私が気がつかなかったのは、肉が並んでいたから、肉は避けているから。しかし鍋からガチョウが首をだらんと垂らしている様を見ておのずと気がついた次第だ。しかし私はガチョウは食わない、いや食えない。あの脂っこさは手に負えないのだ。油を抜く調理法もあるのだろうが、そうなるとガチョウの味わいはなくなってしまう。 
もう一つの話題は、台北の都心の下町に暗闇の残る一角を見たこと。ふと入り込んだ路地裏の風景、そして場違いな珈琲店。

February 25, 2013

” We are selling goose meats processed and cooked in here”

台北:「名心鵝肉店の商品はすべてその場で調理しております」

青空市場とのつきあいは長い。しかしいまだに新しい発見がある。停・看・聴いまだ終わらず。ここはいったいどういう界隈なのだ。

昨日のこと、元宵節の市場、いつも人が列をなしている肉屋がある。今や肉には縁のなくなったわたしである。ちょっと目をやってそのまま通り過ぎるのが慣わし、だったのだが、ふと目に入ったのが大鍋からだらりとろくろ首のように鍋の縁から顔を出している七匹のガチョウ。首もとを切られ、皮をはがされ、薄いピンク色の肌を露出させている。これはこれはと店の吊るし看板を見ると・・・

専業鵝肉店 「名心鵝肉」
茶鵝・塩水鵝(お茶の湯を加えて煮込んだガチョウと塩を加えて煮込んだお肉)
現宰現煮 (現場で屠殺、現場で煮込)

これは珍しい、写真に収め、一通り買い物をしたあと戻って見ると、すでに彼らの姿はなく、まな板の上で処理されてしまったようで、湯がいた鵝肉と表面をカラッと油でいためた鵝肉が店先に並んでおりました。



February 26, 2013
Taipei Story : 我有一天 - My Some Day

March 01, 2013

Taipei Story 2 : 中山北路 光りと闇と… (video : Feb. 28, 2013)
台北:元宵節、小正月が終わっても今なお中山北路のイルミネーションは続いている。
この調子だとずっとこのままかもしれない。確かに夜の華やかさは今までとは比べようもない。花博が開かれた時はささやかな飾りだけだったが、これならば恐らく観光の目玉になるだろう。
食事をとる時間はいつもこの道を歩いている。道行く人の中にもカメラを向けている姿がある。しかし私の腕では効果的な写真が撮れない。試しに携帯を片手に握って、歩きながら撮り続けてみた。ゆれゆれな画面が不思議な気分を醸し出していた。それではとアプリの助けを受けて効果を加えてみた。
サウンドは懐かしいフランス映画、トリュフォの「大人は判ってくれない」から。


March 04, 2013
Taipei : From the back side of the Wenchang Temple at night 
台北:夜の文昌宮を裏側から眺めると
素食屋で食事を終え、いつもなら青空市場の公園通りをとぼとぼと帰路に着くのだが、このところ、裏道に入り込む楽しみを覚えてしまった。台北下町のはずれ、越せば中山北路の手前の一角は雑踏とほど遠い。その割には小さな店が路地裏を埋め尽くしている。昼間訪れると雑然としている風景は、夜になると暗闇が支配してあれやこれやをかき消し、看板こそ出ていないが何々横丁の感がする。
四六時中参拝者の絶えない文昌宮も、裏側にまわってみるとひっそり、私にはこちらから拝んだほうがご利益があるのではと、余計な感情を抱いたりしてしまう。

Taipei : From the back side of the Wenchang Temple at night 
台北:夜の文昌宮を裏側から眺めると
素食屋で食事を終え、いつもなら青空市場の公園通りをとぼとぼと帰路に着くのだが、このところ、裏道に入り込む楽しみを覚えてしまった。台北下町のはずれ、越せば中山北路の手前の一角は雑踏とほど遠い。その割には小さな店が路地裏を埋め尽くしている。昼間訪れると雑然としている風景は、夜になると暗闇が支配してあれやこれやをかき消し、看板こそ出ていないが何々横丁の感がする。
四六時中参拝者の絶えない文昌宮も、裏側にまわってみるとひっそり、私にはこちらから拝んだほうがご利益があるのではと、余計な感情を抱いたりしてしまう。


March 05, 2013
Taipei : Coffee shop in the back alley 
台北:暗闇のなかの珈琲屋
昔、といっても日本がバブル景気で大騒ぎしていたころ、東アジア世紀末研究会と名うって仲間を集めては旅をしまくっていた。アジアで一人勝ちだった日本、他の周辺国は戦争の勝者であったにもかかわらず、敗戦国の発展ぶりを苦々しく眺めていたころだ。それらの国は街が薄暗かった。旅に参加したその中の一人、彫刻家の方がこう漏らした。「日本の都会は暗闇がなくなってしまったよなー」と。
八十年以降、台湾は高度成長期に入る。民主化が進み、あれほど「反攻大陸」と叫んでいたことが嘘のように消え去っていった。それとともに街は明るくなっていく。少ない街灯の下で、歩くと影が動いていく、そんな風景も見られなくなっていった、と思っていたが、未だ街中の、それも目抜き通りの裏に残されていた。
最近、週末ともなると地下鉄雙連駅脇の公園通りの青空市場で一軒一軒屋台の物売り屋を覗いている。ある昼下がり、ふと脇の路地裏に入り込んだところ、らしくない看板が目に付いた。「エスプレッソ」。場違いじゃろが…。間口三メートル足らず、店先に小さなテーブルが一つ、椅子が三脚。店の中は雑然とあれやこれやが並んでいて通り抜けるのがようやっと。奥は深くてうなぎの寝床状態。
珈琲豆と機械のの卸を兼ねてコーヒーを飲ませているらしい。「いらっしゃい、何を飲みますか?」とメニューを持ってくるも、私はネオン看板の「エスプレッソ」を指差し「量は?」と問う。店主「ダブルだけです」。注文する。エスプレッソ・マシンからの音が店内から聞こえてまもなく、小さなテーブルにソーサーも付かずにカップは運ばれてきた。味は?悪くない、いや旨い。
支払いの段になって、百元前後だろうと、日本円三百円ほど、と思いきや、「五十元です」。コンビニの大カップ五十元と同じである。私は時あらば訪れることにした。そしてベトナム・ネールサロンのネオンサインと暗闇の残る路地裏でエスプレッソを味わってきた。ベジタリアン・レストラン、菜食飯屋のあとのディナー・コーヒーを。


Taipei : Coffee shop in the back alley 
台北:暗闇のなかの珈琲屋
昔、といっても日本がバブル景気で大騒ぎしていたころ、東アジア世紀末研究会と名うって仲間を集めては旅をしまくっていた。アジアで一人勝ちだった日本、他の周辺国は戦争の勝者であったにもかかわらず、敗戦国の発展ぶりを苦々しく眺めていたころだ。それらの国は街が薄暗かった。旅に参加したその中の一人、彫刻家の方がこう漏らした。「日本の都会は暗闇がなくなってしまったよなー」と。
八十年以降、台湾は高度成長期に入る。民主化が進み、あれほど「反攻大陸」と叫んでいたことが嘘のように消え去っていった。それとともに街は明るくなっていく。少ない街灯の下で、歩くと影が動いていく、そんな風景も見られなくなっていった、と思っていたが、未だ街中の、それも目抜き通りの裏に残されていた。
最近、週末ともなると地下鉄雙連駅脇の公園通りの青空市場で一軒一軒屋台の物売り屋を覗いている。ある昼下がり、ふと脇の路地裏に入り込んだところ、らしくない看板が目に付いた。「エスプレッソ」。場違いじゃろが…。間口三メートル足らず、店先に小さなテーブルが一つ、椅子が三脚。店の中は雑然とあれやこれやが並んでいて通り抜けるのがようやっと。奥は深くてうなぎの寝床状態。
珈琲豆と機械のの卸を兼ねてコーヒーを飲ませているらしい。「いらっしゃい、何を飲みますか?」とメニューを持ってくるも、私はネオン看板の「エスプレッソ」を指差し「量は?」と問う。店主「ダブルだけです」。注文する。エスプレッソ・マシンからの音が店内から聞こえてまもなく、小さなテーブルにソーサーも付かずにカップは運ばれてきた。味は?悪くない、いや旨い。
支払いの段になって、百元前後だろうと、日本円三百円ほど、と思いきや、「五十元です」。コンビニの大カップ五十元と同じである。私は時あらば訪れることにした。そしてベトナム・ネールサロンのネオンサインと暗闇の残る路地裏でエスプレッソを味わってきた。ベジタリアン・レストラン、菜食飯屋のあとのディナー・コーヒーを。



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