卒業していった十四名の生徒たちと彼らを支えてきた先生(右端) |
久しぶりに原住民族電子台にチャンネルを合わせる。放映されていたのは一片の記録フィルム。再放送。番組名は「靜土」。舞台は東海岸のとある小さな部落。出演者はそこの子供たちと一緒にある夢を実現させようと努力する熱血先生、そして美しい自然の風景。
映像は今年卒業する阿美族の子供と蘭嶼(ゆう)島に転任の決まっている先生との日常生活を淡淡と追っていく。生徒の少ない教室で上級生は何かと年下の子供の面倒を見る。台北で開かれる原住民の子供たちの夢、演技大会に参加するための練習を重ねる。家族と離れたことで気落ちした一人が学校から姿を消した。子供たちはみんなして探し出す。両親が出稼ぎに出かけたのだろう生徒を下校後に面倒を見る先生。彼らの背後にはいつも東海岸の美しい風景がある。
まず引かれたのが番組の題名「靜土」。演出者がこの二文字にいくつかの意味を重ねていたことがだんだんとわかってくる。ここは阿美族の住む静浦という部落。かつて、清朝時代、漢人が友好を騙り、宴会を開き、酒に酔わし、百二十数名の阿美族の勇士を虐殺した地なのだそうだ。先生はこの事件をテーマに選び演技大会に向かって練習を重ねる。
僻地ともいえる地で教育に携わる先生。彼はカメラに向かって語る。「(僻地に赴任することを)みな嫌がり、そこそこに子供たちとかかわる。僕はそうなりたくなかった」。単身宿舎に戻り久しぶりに母親に電話を入れる。台湾語である。番組を見るものはここで初めて先生が漢人・台湾人であることを知る。
そして演技大会に参加。原住民らしく歌も踊りも子供とは思えない高いレベルだった。残念ながら入賞は逃すも、帰りのバスの子供たちは気落ちした様子も見せずに騒いでいた。別れが近づく。十四名の生徒が卒業、あるものはここを去ることになり、学校から火の気が消える。先生は宿舎の荷物を片付け、船に乗り、次の赴任地・蘭嶼(ゆう)島に向かう。
人はやってきてそして去っていく。しかし重い歴史を持ったこの地は残る。「靜土」は残った。美しい自然とともに。
「靜土」という中国語はない。しかし同じ発音で「浄土」[jìngtǔ]がある。残念ながら私の中国語の理解力が不足していた。御紹介するには言葉の足りなかったことが心残りである。
6 comments:
先年ご案内いただいた森坂の子供たちも仕合せそうでしたね。蘭嶼の辺りから東海岸で5,000年以上に渡って文字を使わず幸せに暮らしていた人々が、文字に追いつめられ、近代国家に追いつめられて生きて来た道筋を振り返ると、「人間にとって何が幸せか?」に戻ってしまいます。
昨年末のことだったと思います。
新年度用部族語教科書は漢字とローマ字の併記でいかが?って検定を受けようとしたそうです。結果は知りませんが、彼らが文字を得ようとする画期的な出来事になるのでは?
テレビ画面を横目で見ていましたが、当然のこととはいえまったく理解できないでしたね、族語は。
今テレビで台湾原住民の音楽と西洋系原住民の音楽との共通点と違いを紹介しています...衣装と歌と踊りと見所ありです。
台湾の原住民は総人口のわずか2%強だということです。その彼らが自己主張始めたんですね、自治権も含めて。統治者には厄介な話でしょう。高金素梅という立法議員さんもおいでですし。
一人の老婦人、「部族の伝統を継承してほしい、但しだますような継承はしないでほしい、新しい伝承を試みてほしい、但し伝統のもっている根は守ってほしい...」という様なことを語っていました。
急逝した師匠の通夜に江古田まで。同級生と話をしていたら、彼の祖父がその昔台湾で警察官をしており、「高砂族の討伐で手柄を立てた。」人だという事が判明。これはちょっと面白いかもしれんと思います。
友人のその祖父の方がお元気でしたらお話を聞いてみたいですね。
”ina的厨房”に登場するお年寄り、70過ぎの方、がその日の料理に使う野菜を紹介するさいにでてくるお話、「...日本軍に追われて山ん中に逃げ込んで食べるものがなくなって食べた雑草が美味しかった。そのあと食べるようになったん...」。日本軍と原住民の関係がそんなところにもでてきたりしますね。
Post a Comment