Wednesday, November 12, 2008

[廈門] 榕樹の下でうたた寝を


『金融崩壊の根本原因は「人間の本能」:神経科学者が語る米国批判』なんてタイトルの記事を見ると納得したくなる。経済学者より精神科学者のほうが信用できる気がする。

『・・・特 に米国では、欲しいものを次々と手に入れていく物質的な旅路とでもいうものの果てに幸せはある、と教えられる』とか『われわれは、欲しいものがすぐ手に入ればそれでよいと、あらゆるトリックを用いて自らに思い込ませている』とか『市 場は、自らの将来を抵当に入れる人のようなものと考えればいい。ただし、市場は他人の金でそれをしている』、『結局は、待つよ り今すぐ手に入れるという概念に立脚したねずみ講と同じものになる。そして、これらすべては同じ本能的衝動を起源とする』という話を聞くとうれしくなってくる。

アタシは極貧の生活は望まないが、貧しい生活ながら精神的に余裕のある日々がすごせるならそれでよしと考えている。厦門の生活は魅力的だし、郊外の農村はもっと魅力的で、いずれその地で生涯を終えてもいいと思っている。真夏の昼下がり、農家の庭先、緑の生い茂った榕树 [róng shù ガジュマル ] の下に籐製の長いすにだらしない格好で昼寝をしている老人。時間のたつのもしらずにうたた寝を続ける。夕刻、かわいらしい村の少女がやってきて声をかける。「おジーちゃん、ご飯ができたよー」。一日の終わり。その繰り返しの日々。

この地で二年間の仕事、アタシにとって得るものは多くなかった。成りは大企業、中身は町場の商店街のおっさん並み(差別していっている訳ではない。マネージメントの内容について語っているのだ)。もう残された時間は多くない。実のある仕事をしたい。きっかけを探していた。その結果、この半年がんばってきたことが実現できそうだ。アタシは今週末台湾に向かう。エコ・ビレッジの開発というテーマを実現させるために・・・。

何年かのち、アタシは再び厦門に戻り、農家の庭先の夢を見てみたい。

[ memo ] 村の中を流れる小川ではアヒルが群れをなして動き回っている。川の色は日々の天候で違って見える。夏場には子供たちがこの川に入ってアヒルを追い掛け回していることだろう。(ミン西に土楼を見にいった際に撮影)

[ 今日のBuddha Bar ]
Buddha Bar IVからManuel Franjo歌う "Tiempo"

"Sen Gelmez Oldun"をミキシングしていたDavid Visanプロデュースの甘い甘いスローバラード。

2 comments:

fumanchu said...

天地万物を創造主が造った、という聖書がコマッタチャンな訳で、最近流行の「地球環境を守ろう」なんてのも、その西洋三教による地球征服の一端、という感じがします。
台灣山地の原住民の村にキリスト教の教会が、なんてのもそうした風景ですね。
儒仏道三教を奉ずる東アジアが恵まれていたのは、水田稲作に負うところが多いのではないかと思います。そんな気分で浜松周辺の田んぼを見て歩くと、房州勝間同様、結構面白いです。
http://www.trekearth.com/themes.php?offset=2&thid=5652
市街地の真ん中にも田んぼが残っていたりします。
http://www.trekearth.com/gallery/photo955010.htm

しかし問題は人々が化石燃料の消費という誘惑にどこまで耐えるかではないでしょうか。中国大陸もこれからそうした滅びの道を辿ろうとしている様思えます。

burikineko said...

私たち、地球の一部を借りて生きてきたわけですから、それがいつの間にか食いつぶしてきていた。後はその分を地球に返す作業になるのではと思って仕事してきます。