『君子危うきに近寄らず』 人格者は身を慎つつしむ者であるから、危険な所には初めから近付かない。 類:●The wise man never courts danger.(賢者は決して危険を求めない) ●Better be safe than sorry.(後で悔いるより最初から安全でいるのが ...
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アタシは人格者か?賢者か?それとも臆病者か?あれこれあって、人格者に、賢者に、臆病者になってしまった。
こちらでは「友」の定義が違っているようだ。「友」はお金を持ってきてくれる人、仕事に繋がる話のできる人間、金がなければ、コネがなければ「友」にもなってもらえない。
いっとき、コッチの先生と環境問題は仕事にならないかやってみようと企画書を作った。アタシが筋の通ったカタログを作り、コッチの先生が中国語に翻訳、コッチのツテを使って売り込みをした。残念ながら企画書はお蔵に入った。それが分かるや否や、コッチの先生、先端技術を審査する科学技術局に自分の名前で論文を提出した。アタシが台湾に売り込むがいいか、と問うと、どうぞどうぞおやりください、こっちは産業展覧会に出品するからどうぞどうぞ、資料が不足しているので送ってくれないかと来た。
ある台湾人がいて、気立てがよく、台湾では山の上にセルフビルドした家を持ち、いのししを追いかける生活をしていた。仕事でこちらに来てアタシと知り合った。ところがアタシをダシにKTVや豪華な食事をおごってもらっていた。相手はこちらで商売している台湾人。小賢しいアタシの知人は、アタシを日本からやってきて商売を始めようとしている、何かと面倒見るといいことがあるかもしれない、などと耳元で囁いたに違いない。それからというもの接待付けになった。しかしどうだろう、ネタが割れれば元の木阿弥、今では電話一つかかってこない。
台湾ではよく「食事しましたか?」という挨拶を耳にする。その日暮らしだった時代の名残だろうか。しかしここでは「儲かってまっか」。どうもアタシに縁のない話だ。
その一方で『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺のあることも知っている。
[ memo: 厦門の姐姐の実家を訪れたときのもの。きのこの栽培をしている蔵を利用した住まい。いつの日かアタシもこの手の蔵を魅力的な住まいに改装して住んでみたい。 ]
[ 今日のBuddha Bar ]
Buddha Barから。Armen Chakmakian の一曲、"Gypsy Rain "。
米国生まれの、ヒスパニック?インド系?それともアラビック?顔写真からはインド系に見えるが。
ピアノの不協和音を織り込んだモダン・コンポーザー。音が明晰なのは米国の地に生まれたからか。
2 comments:
日本人というのはどうも、東方海中の鳳来島で幸せな近代化を過ごして来たのが、実は東アジアでは希有のことであるのに気付いていない様なところがるのではないでしょうか。
今頃になって「共産党にダマされた。」などほざくのが団塊の知識人であったりして。
「延安」リービ英雄/岩波書店/2008
というのが面白かったです。この人、少年時代が台灣の美軍事顧問団の職員の子供なので、大陸を見る目が外省籍台灣人の「唐山夕陽」なんですね。
http://dehoudai.exblog.jp/10093461/
そうでしょうね、日本は世界でも稀な社会環境にあったんでしょうね。私はそんな絶滅奇種の日本好きです。
海外に出ているとそれをひしひしと感じます。
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