昨日の続き。「ノーカントリー」でアカデミー賞助演男優賞受賞のスペイン人、ハビエル・バルデムの演技、どうみてもターミネーター西部版って演技だったなー。表情変えないし、ホテルの一室で散弾を受けた足の治療のシーンだって、最後に車当てられ腕折って骨がはみ出し子供から服買いとって腕釣りに使ったのだって。シュワちゃん最初のシーンで裸で地上に降り立った時もチンピラから服貰ってたし、目玉と右手をホテルで治療してたし・・・。
話変わってアタシの情報。アタシから遅れること二カ月、年かさのいった二人が会社を去って行ったらしい。元ボスと元ボスの毛嫌いしていた男の二人。毛嫌いしていたとはいえ、自らが呼び込んだ人間である、それはないだろうと思ってしまう。どちらにしろ、二人に共通していたのは、辞める辞めると口にしながら、会社を離れるのをひたすら恐れていたことだ。先の見えない離職はキツイに違いない。かくいうアタシだって、仕事の声はかかっているものの、いつからとはいえず、アモイで緊張しながら時間をつぶしているありさまである。
台湾はまだしも、ここ大陸では仕事上見かけが重要らしい。アモイのガッコの先生、しきりにアタシの白い髪の毛を気にされており、染めなさい染めなさいと勧める。ここで仕事をするのに差し障るといいたいのだろう。この地では、六十過ぎれば楽隠居、何も仕事に精出すことはない。マージャンしてればいいのだ。確かにテレビに登場する政治家にしろ、会社でトップを張る人間に白髪は見られない。街を行く年かさが張っておいでだろうと見受ける人間もみな黒髪である。まあ、髪の根元から白いものがのぞけるから、手入れも大変に違いない。余計な心配をしてしまう。
年寄りが魅力的に見えるのは米国映画に登場する面々か。ギンギンだろうが枯れていようが、実に味がある。それでいて色っぽい。男はそうあらねば、とついつい自らに言い聞かせてしまう。きっと生きざまに自信があるに違いないとも感じる。言動が二転三転していた会社を去った二人とは大違いである。「ノーカントリー」で引退間近の保安官、トミー・リー・ジョーンズの心境とはかなり違って見える。それにしても皺が魅力的に見える俳優というのもいいものだ。
かくいうアタシはどうなのか。髪の毛を染めたりする気もないし、仕事の日取りが決まらないからと言ってあくせくする仕草も見せたことはない。要は何かを始めるのが面倒臭いのだ。麻煩 ( ma2fan5 ) なのだ。このところ知り合いの若い女性たちがやけに騒がしいが、それもまた煩わしい。新しい中国語の先生、急に男友達と別れた話とか、彼との関係は実に爽やかなものだった、今度御馳走させて、と話し始める。馴染みの珈琲店一番の清楚で端正な美型は、今までになかったカウンターから出てきて挨拶にやって来る。色っぽい年寄りに見られているのか、枯れて人畜無害に見られているのか。それにしてもどれもこれも麻煩、煩わしく感じる今日この頃である。オー、本当に年取ったのかなー。
先ほど元の運転手の次ぎだった運転手から電話が入った。珍しいことだ。彼のボスが去り、彼の眼を気にすることがなくなったからだろうか、元の運転手を誘って会いに来るという。食事をごちそうするという。まあそれはアタシがするからおいでと返事をしておいた。女性からだけではない、アタシには男からの誘いもあるのだ。ホテル内に開院した医者も、何かにつけ食事に誘ってくれる。アタシにはまだ皺はないが、一人孤独に街をさまようことも部屋に閉じこもることもなく毎日が過ごせている。ありがたいことだ。友たちに感謝。そう、あたしは彼らを友として付き合ってきた。そこが去った二人との一番大きな相違点だった。
話は振り出しに。「ノーカントリー」、ハビエル・バルデムがエアボンベを持ち歩き、ホースの先を人様に当てていちころにしてしまう場面が出てくる。これ、屠殺用に使うものだそうだ。それにしても恐ろしい。
[ MEMO: スペイン語版「ノーカントリー」のチラシ。本当にここ中国はインターネット天国である。この映画のチラシの米国版、スペイン語版、中国語版、香港版、台湾版とちゃんと紹介してくれている。それにタイトルは中国・香港・台湾と皆違っているというから面白い。 ]
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